11 許されるなら
弥琥が目をまたたいた。その目をまっすぐに見つめる。
「狼守りは、狼を使って国を守ってきた。でも本当は狼を守った一族だったはずでしょう。一族のはじまりは、神を助けたひとりの男だったのだから。いつからかその意味がすり替わってしまったけれど、いまが正すときだと思う。いまさらだと思うかもしれないし、わたしも遅すぎたと思うけれど、一族の役目を果たしたいの。だから、わたしとともに生きて、弥琥!」
足もとに、あたたかいものが触れた。狼姿の琥春が頬を寄せていた。まほろは屈み、琥春を抱きしめる。ぬくもりに頬を寄せた。琥春は弱々しく鳴き、まほろに寄り添う。
狼たちの命もあり方も、歪めてしまった。けれど、信じたい。琥春のように、彼らともわかり合えるはずだ。彼らが憎しみから解放される道だってあるはず。かつての一族と狼のように、対等でいられる未来が、きっとある。
「わたしは、あなたたちとともに生きたい」
「戯れ言だ」
「信じて」
まほろは弥琥に腕を伸ばし、見つめた。覚悟が伝わるように、声に力を込める。
「わたしは、あなたを道具にはしない」
弥琥の瞳が揺れていた。嫌悪を込めたような、不可解を込めたような瞳だった。
幼いころのまほろは、いつだっておびえた瞳で弥琥を見ていた。そうして弥琥は、にらみつけるような視線を向けてきた。自分は嫌われているのだと、まほろはわかっていた。
けれどいまなら、気づくことができる。まほろと琥春が遊ぶ場所に居合わせた弥琥は、そのときだけ、ちがう顔をしていた。
まほろと琥春だけが、あの丘の邸で特別だった。あたたかくて、やさしい場所。弥琥には手に入れることができなかったもの。
「人間は、嫌い?」
嫌いだろう。憎いだろう。けれど弥琥は、狼たちは、もう人間なしでは生きられない。そういう運命なのだ。逃れることなどできはしない。
だからこそ。
「人間が恋しい?」
息ができなくなった。弥琥の指がまほろの首を鷲掴みにしていた。ひとの手の形をしているものの、爪は狼のそれだった。多くのひとの命を奪い、まほろの家族を踏み敷いた爪。まほろの肌を引き裂くことが、容易にできる。
「ふざけたことを言うな!」
喉がしまり、気道がつぶれる。視界がにじんだ。
でも――、弥琥は恋しいのでしょう?
まほろは臆せず、弥琥を見つめつづける。いまならあなたたちの心がわかる。
やがて、弥琥の指から力が抜けた。弥琥は恐ろしいものを見る目で、まほろを見ていた。まほろは咳きこみ、それでも言葉を絞りだす。
「主が、あなたたちには、必要だから」
「黙れ」
「やさしい主が、いてくれたらと、あなたたちは」
「黙れ」
「望んで、いたんでしょう」
もう、まほろには弥琥が恐ろしい獣だと思えなかった。
視線をまわりの狼たちにも向ける。本当は彼らだって、知っているのだ。願っているのだ。認めてほしいのだ。狼たちも生きているのだと、意志があるのだと。狼は道具ではない。命ある獣だと。主となる人間に、認めてほしかったのだ。
まほろは知っている。丘の邸で、まほろと琥春が遊んでいるとき、弥琥やほかの狼がうらやましそうに見ていたことを。
「あなたたちに、手を伸ばせばよかった」
恐れずに。彼らの憎しみも受け止とめて。
「あなたたちと、共にあればよかった」
彼らとともに、生きていけばよかった。
「弥琥。ごめんね」
悔しいだろう。人間にすがらなければならない自分が、きっと悔しいはずだ。人間が憎いだろう。おぞましいだろう。でも、それでも。欲してしまうはずだ。
「わたしが、なるから。あなたたちの望む人間になるから」
狼守りの一族、最後のひとりとして。もう、間違えない。まほろは弥琥の指に触れる。
「わたしは、絶対に、狼を裏切らない」
弥琥が、目を見開く。
弥琥の手は、冷たい。きっとこれがはじめて触れる人間のあたたかさだろう。まほろは弥琥の手を両手で包んだ。弥琥の顔が歪む。葛藤が、見て取れる。
「……ずっと、虐げられてきたのだ。ずっとだ」
弥琥が、絞りだすように言った。
「おまえひとりで、なにができる。これまで道具として扱われて死んだ狼たちの怨みは、どうなる」
「うん……」
難しい。死んでいった狼に、なにができるのか。過去は変えられない。だが、未来なら変えられる。
「いま、生きているあなたたちを、わたしは救いたい」
身勝手なことだとは知っている。それでも、望んでしまうのだ。
「だから、お願い。わたしと生きてほしい」
まほろのとなりで浅く息をしていた琥春が、すり寄ってきた。
「わたしは――、狼が好きだよ」
目を見開く弥琥の頬に手を伸ばす。触れることはしない。ただ、伸ばした。
あとは、あなたに任せるよ。
まほろは弥琥を見つめる。弥琥は、くちびるを噛んだ。泣きだしそうな顔だった。
許してくれるなら、あなたの涙を拭おう。
ねえ、弥琥。だから。信じて、選んでほしい。




