精霊の炎
いつもの駅で降りたクロさんとヒサメさんはコナツさんと共に静かに話しながら歩いていた。この時間帯に出歩かない私はクロさんの目を通して興味深く辺りの景色を眺めていた。途中でコナツさんは第二階級と第三階級の死神が多く居住する場所で二人と別れた。二人はしばらく歩いて喫茶店に到着する。遅い時間帯は鍵がかかっているらしく、クロさんは身体の中に手を入れた。うっかり私に触れてさり気なく撫でてからその近くから鍵を取り出す。とても変な感じだと思った。ドアを開けて中に入るとクロさんはきっちり鍵を閉めた。喫茶店のソファーに横たわってアシシさんが眠っていたが、目をこすって顔を上げた。
「おかえりなさい…クロさん…ヒサメさん…あれ?マソホさんは?」
「私の中に入っていますよ」
「あ…ここです…」
私はクロさんの中からするりと出た。私はそのまま立ったはずだったのにフラリとして、クロさんに支えられていた。
「マソホさん、いきなり出てはいけませんよ。消耗してるんですから」
クロさんの腕に抱えられたまま私はアシシさんの顔を見て苦笑した。アシシさんは真面目な顔をして言った。
「マソホさん、初仕事お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
私はクロさんに支えられたままお礼を言った。
「アシシ、待ってたのか。忠犬みたいだな」
ヒサメさんは言ってアシシさんの頭をわしわしと撫でる。
「だってヒサメさん鍵閉め忘れたことあったじゃないですか…今日は警戒してるから…鍵が開いてて何かあってからでは困りますから…」
「よしよし、ちゃんとクロさんが閉めてくれたから大丈夫だよ。アシシの部屋行こっか。それにシロガネが喫茶店にいるし鍵なんかかけなくても大丈夫だよ」
「それでも…第二階級のナナクサさんも念の為に泊まってもらってるんですから…ヒサメさんみたいに、何かあってもみんながみんなすぐ戦える訳じゃないですし…」
「まーったく、アシシは心配症だな。悪かったよ。そんなにあたしがいなくて不安だったのか?んじゃ、クロさんもマソホちゃんもお疲れさま!マソホちゃん、クロさんにゆっくり溶かしてもらいな。おやすみ!」
ヒサメさんはアシシさんの肩に腕を回して先に二階に上がってゆく。私はクロさんに再び身体の中に入れられた。クロさんは階段を上がって静かに部屋のドアを開けると、パチンと指を鳴らして一気にパジャマ姿になった。クロさんの中から出された私も同じように変わっていてお風呂上がりのような少しホカホカする感じになっていた。クロさんはベッドに私を横たえる。まだ部屋の中は暗い。
「あの…クロさん?」
「今日はお疲れさまでした。これからゆっくり癒していきますからね」
クロさんはそう言ってベッドの中に入ると、私を抱きしめてくれた。ベッドの中で抱きしめられてようやく私は無事に帰ってくることができて自分が安堵していることに気付いた。とても緊張していたせいで身体が強張っていたことにも、クロさんに触れられてようやく気付いた。
「少し…中を触りますが…大丈夫ですか?嫌な感覚があったら言って下さいね」
クロさんの手が私のお腹の中に入ってくる。ちょうど炎の熱を感じた辺りだ。クロさんの指が触れると少し熱が増すような気がした。私は目を閉じてクロさんの指先を感じていた。
「思ったよりも…炎が馴染んでます…不思議ですね。拒絶反応もなく…悪魔の一部を受け入れるなんて…おや?」
クロさんが少し驚いた声を上げたので私は目を開けた。クロさんを見上げるとやや困惑したような顔をしていた。
「…魂に刻まれた生前の傷跡が…炎のある場所だけ…消え去りました…何もなかったかのように…」
「えっ?」
「マソホさんはまだ第五階級なので傷跡を可視化するのは早いと思いますが…その気になれば第一階級以上の死神は、魂の履歴を傷として可視化することができるんですよ?」
「そ…そうなんですか?」
「ですが、お腹の辺りにあった傷がきれいに消えてしまいました…炎の影響なのかもしれません…事細かに覚えているのは私がマソホさんと縁を結んでいるからで…他の人にはそこまでの違いを認識するのは難しいでしょうが…身体に異変はありませんか?」
「はい…大丈夫です…ただ…クロさんの手が近くにあると…更に…燃えるような感じはします…」
「なるほど。そうですか…とりあえずは休みましょう…ですがその前に…少しだけ…」
クロさんはそう言って顔を近付けてきた。私が目を閉じると静かに唇が重なった。ブローチを外した訳ではないのに、クロさんも私も無心になってしばらくそうしていた。気付けば私はクロさんに抱かれていた。ブローチを交換せずにそうなったのは初めてだった。
(すみません…苦しいです…か?)
(大丈夫…です…)
声に出さずに会話する。お互いの気持ちが近くにあって、どちらの感情なのか少し混乱しそうになった。抱き合っているうちに私はクロさんの中に溶け、クロさんもまた私の中に溶けた。どちらがどちらなのかもう分からず、共有された感覚はただひたすらに穏やかで心地良かった。時折炎が燃えるような熱が加わり私たちは互いの欲望に流された。そのままいつしか私たちは眠りに落ちてしまったようだった。ふと頭を撫でられる気配がして目を開けると、カーテンの隙間から見える窓の外が少し白み始めていた。
「まだ早いですから…休みましょう…午前中は休みですから…マソホさんも無理せずゆっくりしていていいんですよ…」
クロさんの優しい声と抱きしめる確かな腕に安堵して私は再び目を閉じる。私はまた穏やかで深い眠りに落ちていった。
***
目が覚めて喫茶店に降りた私は、シロガネさんが用意しているのが朝食ではなく昼食だということに気付いていた。
「おはよ、マソホちゃん、初仕事お疲れさま」
「おはようございます…たくさん…寝てしまいました…」
「ヒサメなんかまだ起きてこないよ?クロさんとマソホちゃんは早い方だよ。それにマソホちゃん、自分の中に別の人の魂を入れたでしょ?初仕事でその役割…クロさんもしれっとやらせちゃうから…ほんと、そういうとこが鬼畜だって言われるんだよ…」
「え…?そうなんですか?別に入るのも入れるのも大差なかったですけど…」
私が首を捻るとシロガネさんはスマホの画面をスクロールしながら、どうやらSNSを見ていたようだった。
「初仕事の研修生の中でいい仕事をした研修生は上位の十名がランキング形式で発表されるんだけどさ、マソホちゃん断トツでトップだよ?」
「発表されるんですか?えぇ?知りませんでした。恥ずかしい…」
「クロさんはSNSやってないから知らないんだろうけどさ…二位との点差がえげつないって、さすが鬼軍曹とかまぁ騒がしいったらないよね。要するに初仕事でそれをやったら、亡くなった人の感情に引っ張られて、ヤバいことになる研修生もいるから、通常は段階を経てやることを、最初からやっちゃったってこと。同行するのと収納するのとでは大違いだし」
「はぁ…そうなんですね。ただ…傷が開いて痛そうな見た目でお子さんの前に立たせるのは良くないなと感じて…それに傷の数も自分のときよりはずっと少なかったから大丈夫だと判断しただけなんですけど」
隣でサラダを盛り付けていたヤミカさんが小さく笑った。
「多分マソホならそう言うと思った。大したことを大したこととも思わずにやっちゃうし、クロさんの見極めが絶妙だから成功してるけど、失敗したら…どうなるのかとか、考えないの?マソホも」
「マソホさんは失敗しませんよ。それに失敗したら私がフォローすればいいだけの話ですから、問題はありません。失敗から学ぶこともありますしね。むしろ問題なのは…顔見知りの悪魔と遭遇したことの方ですね」
「は?」
シロガネさんの顔が険しくなる。クロさんは出されたコーヒーをカウンター席に座って一口飲んだ。手招きされて私もクロさんの隣に座る。
「…マソホさんの違い…分かりますか?」
「え?違い…?うーん?初仕事から帰ってきたわりには元気だなと思ったけど…悪魔?知り合いなんていたの?クロさん…」
「ほら、マソホさん、シロガネさんにも分からないですから、そこまで大ごとにしなくても大丈夫そうですね…マソホさんが悪魔の所有している魂から…精霊の炎を受け取ったというか…私が飲むはずがマソホさんが飲んでしまったんですよね。そうしたら、魂の履歴が変わりました…亡くなった際につけられた傷が一部消えたんですよね…」
「…そんなことが…可能なのか?なんなんだ?その炎って」
「それが本来の目的ではありませんから、副作用的なものだと思いますが…炎自体はGPSを兼ねているそうです。後は悪魔との連絡ツールですね。ただし、この悪魔はこちらを襲撃した悪魔とは異なる世界から空間を裂いて出入りしている悪魔で…全く彼らとは異なる存在です。以前も一度遭遇したのですが、大切なただ一つの魂を探すために訪れたと説明されました。戦ったことは一度もありません。今回も話をして…別れました」
「クロさん…それにしたってGPSはまずくないか?襲撃する気がないといいながら、居場所を特定するためだったらどうするんだよ。それに連絡ツール?いったい何を連絡してくるんだ?クロハツの目玉を持ってる悪魔みたいな気紛れか?」
シロガネさんの渋面にクロさんは微笑んだ。
「我々を悩ませている悪魔を退治しないのかと逆に聞かれましてね。こちらが本格的に戦う心積もりがあるのなら、彼の部下の精鋭部隊を貸すと提案されました…」
「……思ったよりも随分と危ない話だな。悪魔を信用するのか?」
「私は…これまで話した印象からすると…米国の死神統括本部よりはよほど、そちらの方が力になってくれそうな予感はしましたけどね。それに…彼と本気で戦ったら…無事に済むかと言ったら…少々自信がないのも事実です。恐らく…中華屋を攻撃した悪魔よりも強い…ですから、本当に始末する気なら、とっくに私は消え去っていておかしくはないんですが、すでに二度見逃されています。一度目はもっと彼よりも力のありそうな悪魔と共にいましたし…マソホさんの中の炎は嫌な感じもしないんですよね。彼は自分の気配を残すとマーキングを疑われるからと、炎を渡したくらいですから…一応我々の立ち位置も考えてのことだと思いました…」
「うーん…胡散臭いなぁ。俺は本人に会ったことがないから何とも言えないけど…統括に隠し通せるとは思えないから早めに報告しといた方がいいんじゃないか?ただでさえ、クロさんはペリーに目をつけられてるんだからさ。このタイミングで悪魔と仲良くしてると思われるのも正直なところ…危険要素でしかないし、あまり期待しない方がいい…そう思うけどね」
「そうですか…まぁ、このまま何も起こらずに済むとも思えませんから…こちらから接触するか向こうから接触してくるか…ただマソホさんの身体から取り出せないので…昨夜も私に移そうかと思ったのですが無理でした」
「え?炎に触ったのって、それで?」
私が言うとクロさんは頷いた。
「すみません…結果としてマソホさんを巻き込みましたね。炎の効果を試すなら私の身体の方が調べやすかったのですが…移せない以上、マソホさんを調べるしかありません。本当に困ったときに駆けつけてくれるのかも含めて…分からないことしかないのが現状ですからね。それと…ブローチを外さなくても…生きていた頃のように感情が動いた件についても…炎の影響がゼロだとも言えませんから…」
「……なに、クロさん、それって…ブローチを外さなくても、色々できちゃったってことなの?は?クロさんが!?」
目の前のシロガネさんの驚きように私の方がびっくりしてしまった。そんなにおかしなことなのだろうか。
「マソホちゃん、それ、本当?」
「あ…はい…本当……ですけど…」
「はぁぁ…何って…今日一番の驚きかもしれない。俺だって外さないと無理なんだよ?軽々しいこと言ってるけどさ。あれは衝動的な感情の流れに対して抑止力のように機能していて…なのに効かなかったってこと?それは…まずいんじゃないの?」
「安心して下さい、マソホさんに対してだけですから。マソホさんも同様に…だって、シロガネさんはマソホさんの違いに気付きませんでしたよね?気付けないものはないのと同じだと、こちらではよく言うではありませんか。一方に見えても一方からは見えないものがある…マソホさんは何も違わない。微細な違いに気付けるのは縁を結んだ私だけです。元の魂の半分であるヤミカさんと縁を結んだシロガネさんにも分からない違いを他の誰が見抜けるのかと言ったら…あまり大勢は思いつきませんね…目のいいヒサメさんでも、悪いものでも食べたかと言っていましたからね。悪いものって…その辺の魂を飼うヒサメさんじゃないんですから…」
クロさんの言葉にシロガネさんはどこか揚げ足を取られた子どものように不満そうな表情を浮かべた。
「あぁぁ…これだから、クロさんと話をすると先の発言から巧妙に絡め取られてぐうの音も出ない自分を実感させられるからイヤになるんだよなぁ…仰る通りですよ。俺にはマソホちゃんの違いが分からない。見抜けなかった」
シロガネさんは観念したように両手を上げて降参のポーズを取った。




