夜空の列車
列車に乗り込んだクロさんは、空いている席に座るとおもむろに苹果を取り出すと、クルクルと皮を剥いてソラくんとコトコさんに手渡した。コトコさんはくすぐったそうに笑う。
「死出の旅路へのお供はやはりリンゴでしょう…列車に乗っているのでしたらね。コトコさんのイメージを具現化しましたから…」
かの有名な小説の場面を再現しているのだと私は思った。クロさんから私も苹果を受け取り一口かじる。瑞々しくて甘い。今まで食べたどの苹果よりも美味しい気がしていた。私の中にいるお母さんも味を共有したのか少し驚いた気配がした。窓の外の雲間にススキの野原と美しいりんどうの紫の花畑が見えた。
「季節が少々合いませんが…物語を再現するとこんな景色を少年たちは見ていたのだと思います…」
クロさんが言うとコトコさんは頷いた。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸になるなら…どんなことでもするって…あの子は言ったけれど…私たちは…お母さんを幸せにすることは一生できないのかも…死んじゃったから…」
コトコさんがぽつりと呟いた。私の中でお母さんのコトネさんが動く気配がした。私はコトネさんを外に出すと隣の席に座る。クロさんも立ち上がって通路を挟んだこちら側に移動してきた。コトネさんは子どもたち二人を抱きしめて泣いていた。
「守ってあげられなくて…ごめんね…」
「仕方ないよ。だってママ、仕事に行ってたでしょ…だから…間に合う訳なかったから…」
「ごめんね…ごめんね…」
それでもコトネさんはそう言って泣いていた。もう血は流れない。それでもコトネさんは二人に生きていてほしかったのだと思った。鼻の奥がツンとなる。私は目をこすって窓の外を見た。何かが飛んでいる。鷺だろうかと私は思った。
「そういえば私…どうやってクロさんに連れてきてもらったんでしたっけ?」
私は記憶を辿る。クロさんと一緒にドラマを見てその後の記憶はあいまいだった。
「マソホさんは満足して眠ってしまいましたから私の中に入れて運んできました。ぐっすり眠っていたので…私が飛んで戻りました」
「そうだったんですね…でも…空の列車の旅も…いいですね…」
辺りを見回すといつの間にか他の座席にも人が座っていた。遠くの座席でひらひらと手を振っているのが見える。ヒサメさんだった。ヒサメさんは立ち上がるとこちらに歩いてきた。私が奥の座席に移動するとヒサメさんは隣に座ってニッと笑った。
「マソホちゃん、初仕事お疲れ!」
ヒサメさんは私の頭を撫でる。真っ赤な髪にペリドットの瞳の女性が現れたのでコトコさんはポカンとした顔をした。
「どうもこんばんは。ちょっと空間共有させてもらうよ。あたしはヒサメ。クロさんと同じ死神。あーあたしは今日は付き添い程度で一応同行したから魂を回収する担当死神は別にいるんだ。だからフラフラしてても問題ないよ。で、なんかあったの?」
ヒサメさんの言葉にクロさんは小さく嘆息する。はぐらかすのかと思ったらクロさんは本当のことを言った。
「…相変わらず勘が鋭いですね…ちょっと知人に会っただけですよ…ヒサメさんは話を聞かずに戦いを挑んでくるから困っているようでした」
「あん…?ちょっ…クロさん、知人って…まさか悪魔なのか!?あ、あいつか!?めちゃくちゃ強くて鎌が折れるかと思ったんだよ。突っ込んでからマズいって思ったよね…」
「えぇ、正確には異世界の悪魔ですが。空間を裂いて移動してきてまた閉じて去っていきましたよ。ただ探し物をしていただけのようです。あの悪魔は魂を食い散らかしたりはしないので、出来れば戦わずに今度話してみて下さい。ヒサメさんの戦いっぷりを褒めてましたし…」
「悪魔に褒めれても全然嬉しくないっつーの!本気で言ってんの??ん?マソホちゃん…なんか変なものでも食べた?」
ヒサメさんはそう言うと私のお腹に突然手を突っ込んできた。私は慌てたがするりとヒサメさんの手は手首まで私のお腹に入り込む。
「うわっ!あつっ!!」
ヒサメさんは慌てて手を引き抜いて反対の手から出した氷を握る。赤くなったヒサメさんの手を見てクロさんがやれやれという顔付きで首を横に振った。
「…最初は私が飲むはずだったのですが…マソホさんが飲み込んでしまったんですよね。遭遇した悪魔のパートナーの少年が持っていた炎です…」
「クロさん…クロさんって一見すると穏やかそうに見えるのにあたしよりやることかなり破天荒だよね?自覚ある?そんな得体の知れない炎をマソホちゃんに飲ませて、よくそんな平気な顔してられるよね?悪魔の罠だったらどうするんだ?」
ヒサメさんは手の中の氷の残りを口に放り込んでガリガリと噛み砕いた。私はお腹に手を当てる。そこだけ少し温泉に浸かっているような気分だ。下手するとくつろいでしまいそうなほどだった。
「勘としか…言いようがないですが…彼とは過去にも一度遭遇してるんですよ…前に遭遇した際には彼は別の悪魔と一緒でした。彼よりも更に強い力を持った悪魔で…本気で死神を狩ろうとしているのなら、あのとき私は魂ごと取り込まれるなりしていたでしょうから…そういうつもりはないのだと私は判断しました。彼一人でも手に余りそうなのに…二対一では…敵う訳がありませんから…」
クロさんの言葉にヒサメさんは腕を組んで考えていたが、しばらくすると頷いた。
「まぁ…確かにね。魂を食い散らかす悪魔どもは、そもそも話し合おうなんて提案もしてこないしね。あたしが鎌を向けたとき…私の中にも回収した魂があったんだけど…それには一切触れてこなかったな…今思えば。その点から考えても…魂を食うのが目的ではないし、魂を食わずに自分たちの力を上げる方法を知っているのかもしれない…存在としては大いに気になるところだけど…炎を入れた目的は?」
ヒサメさんに問われてクロさんは声に出さずにヒサメさんの顔をじっと見つめた。
(こちらの世界で野放しになっている悪魔を狩るなら、精鋭部隊を貸してもいいと…炎は連絡ツールです)
(それはさすがに危ないだろ!だいたい、悪魔を狩るのに悪魔の手を借りるなんて非常識にも程がある!)
(…ですが…天使は視察には来ても手を貸してはくれませんよね?それこそ天界の精鋭部隊でも貸していただけるのであれば、米国死神統括本部の意向に従ってこちらもやっていく覚悟は出来ますが…こちらが犠牲を払っても消極的な回避作戦しか提案してくれないのであれば、そろそろ日本は日本で独自の死神の精鋭部隊を作る腹積もりをしてもいい時期に差し掛かっているのではないかと私は考えますよ?生きている人間は戦争をしているのに、死んだ途端にやはり戦争は間違いだったと悔いて戦わないやり方を選択する者も多いと聞きますが、生きた人間の業が生み出した悪魔を放置していい理由にはならない…生み出したならそれを始末するまで責任を持つべきだと私は考えます)
「はぁぁ…クロさん、言いたいことは分かったけど…相変わらず過激だね。あたしだって何も考えない訳じゃないけど、その話…統括に言ったらものすごい嫌な顔されるよ?あの人も一応は下と上との板挟みの間で苦しむ中間管理職なんだからさ?生きてないから痛む胃もないだろうけど、気分は悪くなること間違いなしだ。マソホちゃん…あんたの旦那はほんと…こういうとこは厄介だよね…妥協しないから」
ヒサメさんに同情の眼差しを向けられた私はどう答えていいものか困ってしまった。けれどもそのとき列車のスピードが徐々に落ちて車内にアナウンスが流れた。
「まもなく終着駅です。ご利用の方はお手荷物などお忘れ物のないようにご注意下さい。本日はご利用誠にありがとうございました。輪廻の輪に入りましたらまたのご乗車を心よりお待ちしております…」
私はアナウンスを聞きながら思った。
(輪廻の輪に入ったら乗ることもあるんだ…)
窓の外の景色はいつの間にか、病院に行く際に見た景色に変わっている。そう思ったらしばらくして列車は本当に停まった。
「みなさん、降りますよ」
クロさんが微笑んで声をかけた。ヒサメさんも立ち上がる。奥の方の座席でやや不安そうな顔をしている女性が、ヒサメさんの顔を見てホッとするのが見えた。




