災難
私は少し眠って目が覚めた。クロさんはすでに先に目覚めていて、私が同化を解くと微笑んで自分のブローチを外して私に差し出してきた。気分の乗らないときは手を上から握ってブローチごと戻して下さいと言われていた。私は戻したことはなかった。クロさんの手のひらからブローチを受け取る前に自分のブローチも外す。クロさんのブローチを受け取って私は自分のブローチをクロさんの手のひらに乗せた。以前は枕元に並べて置いていたブローチは握ったまま手のひらの中に直接しまう。お互いのブローチを収納し終えると私はクロさんと指を絡ませた。そこから、私たちはしばらくの間お互いの熱に溺れた。クロさんは私の両手を離さずに唇を重ねる。クロさんは不意に私に向かって言った。
「男性に…なれますか?」
「なれます…けど…クロさんは…平気ですか?」
「えぇ…マソホさんですから」
私は恥ずかしいと思いながらも姿を変えた。クロさんの指は絡んだままだった。先ほどと変わらずにクロさんは口付けを始める。感覚はあまり変わらない。
「この姿のまま…私に同化して下さい…どちらの姿でも慣れていた方がいいと思いますから…」
私は言われた通りにやろうとした。けれどもなぜか女性の姿のときのようにすんなり入り込めなかった。クロさんの腕に少し力が込められてやや強引に私は中に引き込まれてようやく同化した。途端に私はクロさんが感じている感覚を共有して鳥肌が立った。私と抱き合ったせいなのか、いつにも増して肌に触れるブランケットの感触すらが刺激になるような、そんな感じがした。ゾクゾクする。
(分かりますか?マソホさんに触れると…私はこんな風に…あらゆる感覚が研ぎ澄まされたようになります…)
(はい…)
(男性の姿になっているときの方が…共有しやすいかと)
(確かにそうですね…)
私は少し恥ずかしくなりながら頷いた。クロさんはしばらく私を包みこんだまま黙っていたが、やがて意を決したように重い口を開いた。
「今日は…一家で無理心中を図る魂の回収です。我々は、子どもたちと母親を回収します。子どもと言っても…上は十三歳で下の子は八歳です。父親の魂は別の死神が回収します…父親が…家族を殺害した後に自殺するはずなので…子どもたちは絞殺ですが…大人二人は…血が流れますから…現場を見るには覚悟が必要です…」
(そう…ですか…分かりました)
「もしも、マソホさんも気分が悪くなるようなことがあれば…私の中にすぐに入って下さい。ヤミカさんも、初仕事のときはギリギリでしたから…今回我々は回収のみでその後のケアは別の死神が担当します。家族で亡くなる場合…特に誰かが誰かを殺害した場合はまた複雑な感情が絡みますから…」
(はい…)
私は初回にしては随分と重い任務に当たったような気がしていた。するとクロさんから少し困ったような気配を感じた。
「実は…もう一つの任務と…選べたのですが…もう一つの同時刻の任務は…その…場所がラブホテルで…妻が夫の浮気現場に踏み込んで…浮気相手と夫の両方を滅多刺しにするんですよね…」
(うわぁ…それはそれで…抵抗があるかもしれません…滅多刺しにはもう慣れてはいるとは思いますけど…)
私が言うとクロさんの手がお腹の辺りに触れた。
「マソホさんの傷の場所は…私は一つ残らず記憶しています…亡くなったときの傷と…研修生になってからついた傷と…あなたは傷だらけですから…こうして少しでも甘やかして…心地良い体験もたくさん記憶させたいと思うのですよ…」
クロさんがそう言った次の瞬間に私はクロさんの中から出ていた。目の前にクロさんの顔がある。再び姿は女性に戻っていた。
「さすがに出かける前に…男性の姿のマソホさんを抱いたのでは…マソホさんが別の衝撃を受けそうですから、それはおいおいにしましょう」
「えっ…?本当に…するんですか?おいおいって…あの…クロさん!?」
私は慌てる。クロさんは私を抱き寄せると頭を撫でながら耳元で囁いた。
「何事も経験ですからね。死神としてのレベルアップの一環だとでも思っていて下さい。そう構えることはありませんよ?もちろん、マソホさんが嫌ならキス以上のことはしませんから安心して下さい」
クロさんは余裕の笑みを浮かべて私の身体を撫で始める。私はそこからまたしばらくクロさんに甘やかされることになった。
***
私が喫茶店に降りるとヤミカさんが私を見て何とも言えない表情を浮かべた。クロさんは今別の死神と電話で少し難しい顔をして話していた。
「な、なに?」
「ううん…別に…」
そう言いながらもヤミカさんは歩み寄ってきて私を抱きしめる。そして突然耳元で囁いた。
「ねぇ、マソホ…気を付けてね?思いもよらないところで落とし穴があるっていうか…急にフラッシュバックすること…あるから」
「そっか…分かった。気をつけるよ。具合が悪くなったらクロさんに同化するから大丈夫」
私が言うとヤミカさんは急に驚いた顔をして私を見つめた。
「ど…同化って…そんなことまでしてるの…!?」
「え?別にそんなすごいことじゃないよ…鎌を収納するのと大差ないっていうか…」
「でも…感覚も共有するんでしょ?」
「うん、そうだけど…」
なぜかヤミカさんは赤くなっている。そのとき喫茶店のドアが開いてシロガネさんの声が聞こえた。
「ただいま…いやぁ…大変な目に遭ったよ」
後ろから入ってきたクジョウさんはなぜか頭に包帯を巻いていた。
「どうしたんですか?」
私とヤミカさんはほぼ同時に声を上げる。
「あー俺はそのとき受付で書類書いてたんだよ。そしたらクジョウが後ろでいきなり知らない女にグサッだもんね…とりあえず病院だったから処置は早かったけどさ…」
シロガネさんはため息をついた。
「あの…見た目ほどはもう大変なことにはなってないんですけど…マジで知らない女性で…トウキが可哀想って叫びながら警備員に連れて行かれたけど…」
クジョウさんの隣にいるアキさんも頷いた。
「私も知り合いじゃなくて…講座で見たような気はするんですけど名前も知らなくて…話したこともないんです…」
「恐らく…波紋に近い症状が出たんだよ、トウキって奴から。で、彼女は影響されやすいから突然攻撃的になった。そんなこんなでマッチングはできたけど、今日は魂を取り込むのは止めようってクロハツに言われてさ。動揺してるときにやるもんじゃないって…クジョウの治療だけして帰ってきた」
「いやぁ…自分の頭が額からスパッと切り取られるって…めちゃくちゃスプラッタでしたね…何が飛んでったのかと思ったら自分の脳味噌だったっていう…死んでて良かったですよ。とりあえず取り乱さないで冷静に対応できましたから…」
「えぇ…!?」
私は思いのほかクジョウさんの肝が据わっていることに驚きながら話を聞いていた。現実なら大惨事どころではない。
「私のせいでごめんなさい」
アキさんが頭を下げる。クジョウさんは首を横に振った。
「いや、アキさんは悪くないですよ。元々フリをするって言い出したのも俺だし…」
二階からクロさんが降りてくる。クロさんはすでに病院で起こった事件のことを知っている様子で、クジョウさんに向かって大変でしたねと言った。
「問題はトウキさんが彼女に何かを指示したりは一切していないということなんですよね。拘束された研修生も全て自分の意思でやったと言っている…波紋が出てしまえば良かったのですが、波紋が出ない範囲内の接触について…彼はもしかすると調べていて分かっていたのかもしれません。例えば共に食事をして悩みを女性に話す…女性の同情を誘うような…」
「え…それって、俺がやってることと同じじゃないですか…」
クジョウさんは解せない顔になる。シロガネさんがフッと笑った。
「クジョウは同情しても変な影響を受けたりはしないってミランが踏んだんだよ。そんな簡単に影響されるような奴にはそもそも気軽にバイトを勧めたりはしないよ。逆に…影響が出そうな相手を選んでトウキが相談したんだとしたら、トウキも相手をよく見ているってことにはなるな。利用価値があるかないか。その見極めについては…鼻が利くというか…参ったね。こういうのは自分の手を汚さない分…正直厄介だ」
シロガネさんは言う。そのとき喫茶店のドアが開いて、ナナクサさんが遠慮がちに顔を覗かせた。
「あの…入っても…大丈夫ですか?」
「あぁ、ちょうどいいところに来たよ。クロさんはもうすぐ夜勤に行っちゃうからさ。ナナクサ第二階級だろ。見学ついでに今日は泊まって行ってくれないか?警備も兼ねて」
ナナクサさんは驚いた顔をしながらも、クジョウさんの頭の包帯を見てハッとしたように声を上げた。
「病院で襲撃されたのって…彼のことだったんですか!?気味の悪い事件が起こったなと思っていたところだったんですよ…そうでしたか…研修生になって日も浅いのに大変な目に遭いましたね」
ナナクサさんはそう言って気の毒そうにクジョウさんの頭に巻かれた包帯を見た。




