魂の一部
その後ナナクサさんはシロガネさんと少し話をして後で寮の部屋を見に来る約束をしていた。というのも午後からシロガネさんはアキさんとクジョウさんと共に魂のマッチングをするために病院へ行く予定だったからだった。午後一に鎌を登録する予定の私とクロさんは今日は喫茶店には戻らずに、近場の飲食店で食事を済ませる約束をしていたので、シロガネさんたちとはそこで別れた。ヤミカさんは見るからに疲労していて、ダイコンさんのおしゃべりを聞いていたら疲れたと言っていた。
クロさんは今日はいつものカフェには向かわずに、少し歩いてベーカリーに入った。中にはイートインスペースもある。香ばしい匂いが広がった。こんな近くにパン屋があったことを私は知らなかった。
「いらっしゃい…って、クロガネ先生じゃないですか!」
店長らしき三十代くらいの見た目の男性が声を上げる。知り合いなのだろうか。
「こんにちは。タテハ。元気にしていましたか?」
「はい。この通り…あ…マソホさん…ですよね?一方的に知っていてすみません。クロガネ先生は有名人ですから、研修生も注目されるのはいつものことなんですよ…どうぞ、お好きなパンを選んで下さい」
「マソホさん、どうぞ」
トングを渡されたので私はクロさんの持つトレーにパンを選んで入れた。正直なところどれも美味しそうで迷う。
「クロさんはどれにしますか?」
「そうですね。私は…」
言いかけたところで、シラタマがひょいと顔を出す。
「お父さんの好きなパンはこれ!」
シラタマが指差したのは昔ながらのあんドーナツだった。
「食後のデザートに食べると美味しいんですよ」
クロさんが言うので私は二つ取る。シラタマはウィンナーロールとピロシキを選んでいた。不意に服の裾を引かれて、私はアオハが姿を現していることに気付く。
「アオハは何を食べる?」
パンを補充に来た店員の女性が驚いた顔をしてアオハを見るのが分かった。
「えっ!?第六階級なのに式神!?」
どうやら彼女も研修生らしい。胸のネームプレートにはモガミと書かれていた。タテハさんが笑う。
「クロガネ先生は僕の師匠みたいな存在だからね。モガミはクロガネ先生が講座の開講担当が終わってから入ったから知らないかもしれないけど…優しそうに見えてとっても厳しい先生だったから、僕の同期の死神はみんなまとめて舐めた根性を叩き直されたよね…」
「えぇ…?タテハさんがそんなこと言うならガチじゃないですか…すみません、知らなくて」
モガミさんはぺこりと頭を下げた。
「あなたが噂のモガミさんでしたか。一度お会いしようと思っていたんですよ。タテハさんのパートナーは大変ではないですか?」
「えっ…いえっ…そんなことは…ない…です…」
モガミさんは急に照れたように言って首を横に振る。
「タテハさんは最後まで私の手を煩わせた研修生でしたからね…」
「先生、あの頃の話はナシですよ!恥ずかしいです」
タテハさんが苦笑した。
***
「こちらは完全予約制なので、一時間限定一組の部屋なんですよ」
一階のイートインスペースではなくクロさんに連れられて二階に移動すると、こじんまりした部屋があった。私たちはそこでパンとセットの飲み物とサラダを食べる。窓から見える景色はどう考えても違う場所の景色だった。この建物の位置からすると死神養成所の建物が邪魔をして日陰になっていてもおかしくない位置関係なのに、窓からは穏やかな日の光が差し込んで青空が見えた。アオハは焼きたてのプチメロンパンを食べてニコニコしていた。
「食べながら聞いてほしいのですが…これから私は少し違法なことをマソホさんに提案します」
クロさんの言葉に私は思わずアイスティーを吹き出しそうになった。
「い、違法って…何ですか!?」
「鎌の登録の前に、マソホさんの魂の一部を…切り取ってはどうかという話です…」
「えっ…?それって…大丈夫なんですか?」
「大丈夫かどうかで言うなら大丈夫ですが、これは違法な行為なので公には認められていません。マソホさんとヤミカさんはただでさえ半分になっていたので…こちらに連れて来れるようになるのに時間が掛かってしまいました。魂の濃さと言ったらいいでしょうか…やはり生前過ごした時間も少し短かったので、マソホさんとヤミカさんは気配が薄かったのです。ですから…安定させる意味もあって、私が縁を深めて消えないようにしてきました。その甲斐あって、この度ようやくこの店に入ることができました…」
「魂の一部を切り取って…どうするんですか?」
「厳重に…保管します。異形化した魂や悪魔に出会ったときに魂を喰われても…再生できます。元のサイズに戻すまでには時間は多少かかりますが…要するにバックアップだと思っていただけると分かりやすいかと。もちろん不安でしたら止めても構いませんよ。強制ではありませんから。ただ…鎌を登録してしまうとバックアップはできません。ですから今決めて下さい」
「…クロさんも…しているのですか?」
「私は…鎌の登録が済んだ後でしたから…したくても、できませんでした。今、鎌を登録後でもできないのか方法を模索しているところです…可能になったら私もしますよ」
「…そうですか。じゃあ…私は…バックアップ…します」
「分かりました。では食べ終わったら隣の部屋に移動しましょう。違法といっても…大半の死神が行っています。皆知らないフリをしているだけです。統括も…知ってはいますが見逃してくれている…と言ったらいいでしょう。ただごく一部の死神の中には良しとしない者もいるので…当然ながらその死神は自分の研修生にもこの方法を説明しません。例えば…ナナクサさんなども…バックアップなしで死神の鎌を登録しています…」
クロさんは小さく嘆息した。私は残りの飲み物を飲み終える。
「ごちそうさまでした」
私が言うとクロさんは立ち上がった。
「シラタマとアオハはここで待っていて。シラタマ、アオハを頼んだよ?」
「うん、分かったよ」
シラタマはこくりと頷いた。
***
隣の部屋はおよそパン屋の二階とは思えない、どちらかというと病室に近い作りをしていた。私はベッドに横たえられる。ドアがノックされてタテハさんも中に入ってきた。タテハさんは神妙な顔をしてクロさんの方を見た。
「あの…今回はクロガネ先生が施術して下さい。マソホさんの魂は少し特殊なので…私は見学させていただきたいと思います」
「おや、そうですか。でも…確かに…そうですね。マソホさんはヤミカさんの一部でお腹を埋めましたから…今回は私が行いましょう。よく見ていて下さい。いずれは…タテハが行う日も来ますから…マソホさん、目を閉じていて下さい。いいと言うまで開けないで下さいね…」
クロさんの手がまぶたに触れたので私は目を閉じた。頭から足のつま先までくまなく触れられる。クロさんの指先を感じて私は少しドキドキした。ふわりと何かが持ち上げられるようなそんな感覚がした。シャキンと音がする。まるで布を切るような。それは一瞬で何の痛みもなかった。
「では、確かにお預かりします」
タテハさんの声が聞こえてドアが開いて閉まる音が聞こえた。私は再び身体に触れる指先を感じた。唇の辺りに指が触れてそのまま熱い何かが重なる。クロさんの唇だと私はその感覚で分かった。しばらく口付けを交わしていると耳元でクロさんの声が響いた。
「目を開けていいですよ」
間近にクロさんの顔がある。私の顔を覗き込みながらクロさんは微笑んだ。
「無事に終わりましたよ」
クロさんは私を抱き起こすと、そのまましばらく抱きしめてくれた。別に身体に違和感はなかったのに、なぜか私は少しだけ不安になっていた。それを見透かすようにクロさんは私を抱きしめたまま言った。
「自分の一部を切り離すと…少し不安になります。でも大丈夫です。失った訳ではありませんから。心が落ち着くまで、しばらくこうしていますから。大丈夫…」
クロさんに頭を撫でられて私は頷いた。こんなにクロさんは私に優しいのに、度々厳しいという発言が出てくるのが気になる。どっちが本当のクロさんなのだろう、不意にそんなことを思って私は思わず言ってしまった。
「クロさんは…どうして私に優しいんですか?厳しくしなくて…大丈夫ですか?私…甘やかされてる気がします…」
私の言葉にクロさんはフッと笑い声を漏らした。
「マソホさんは真面目で手のかからない研修生ですから。わざわざ厳しくしなくても…夜中勝手に部屋を抜け出したりもしないでしょう?私の手を煩わせようなどと…マソホさんはイタズラしたりもしませんから」
「イタズラ?」
「えぇ。タテハなどは…私の家に大量のゴキブリを発生させたり…次から次へと、よくもまぁ、そんな下らないイタズラを思いつくなと呆れるほどに、当時担当していたもう一人の研修生と私を怒らせることを片っ端からやりましたからね…」
「そう…なんですか。えぇ?想像できません」
今は穏やかなタテハさんがそんなやんちゃなことをやっていたのかと私は不思議な気持ちになる。クロさんは言った。
「タテハが変わったのは…私の言うことを聞かずに…地下道に入って…もう一人の研修生を失ってからです。バラバラになったタテハを私は集めてなんとか再生しましたが…もう一人は…どうしても戻せなかった…喰われて異形化した部分が多過ぎたんです…タテハは自らの意思で彼の残りを自分の身体に取り込みました…タテハの中には…一部…もう一人の魂が今も眠っています。小指の爪ほどの欠片で…今は親指の爪くらいにはなりましたが…一体あと何十年かかるのか…分かりません。それでもタテハは諦めていませんから…それがきっかけです。彼がこのバックアップを始めたのは」
クロさんは私の頭を撫でて再び唇を重ねる。私はクロさんの悲しみを読み取った。大きく感情は動かなくても伝わってくるものはある。私はクロさんの身体を抱きしめる腕に力を込めた。
「クロさん…私…強くなります…クロさんが…悲しくならないように」
私が言うとクロさんはふわりと微笑んで私の顔を見下ろした。
「…まったく…敵いませんね。マソホさんには」
クロさんは私の肩に顔を埋める。
「そんな、不意をつかないで下さい…」
私はそうつぶやくクロさんの頭を撫でた。いつもされているから、今日はそうしたい気分だった。
「死神だって…感情がゼロって訳じゃないんですから…私の前では…ただのパートナーとして…人らしい表情を見せても…いいんじゃないかって思います…」
私の言葉にクロさんは何も言わなかった。しばらく沈黙してからクロさんは小声で囁いた。
「マソホさん…ありがとう…」
「どういたしまして。いつも甘やかされてる分のお返しです」
私は少し照れながらそう返事をした。




