静かな怒り
クロさんの姿はあっという間に観覧席から消える。シロガネさんが人差し指で下を指差すのが見えた。訓練場に張り巡らされていた死神二人の力はいつの間にか消えていて、足元に転がったガイコツもハエも全てなくなっていた。やがて背後にいつもの見慣れた出口のドアが見えてそこがガラリと開いた。
「…所属階級と名前を言いなさい。返答次第では君たち二人の元の指導官と話をしようかと思うのですが。あぁ、巻き込んですみませんでした。チグサさんは、訓練が終わったのでもう外に出て帰って大丈夫ですよ?お疲れ様でした」
クロさんの言葉にチグサさんは慌てて訓練場から出てゆく。ちらりとこちらを振り返ったので私は小さく手を振った。クロさんは微笑んでいた。けれどもこの微笑み方はまずいと私の勘が告げていた。いつになく怒っている。死神二人はすっかり青ざめて押し黙っていた。
「名乗らないのですか?聞かれても答えない舌は不要と判断して切り取るか引っこ抜くかしてもいいのですが。私の噂はご存じでしょう?」
クロさんが一歩を踏み出しヤミカさんに化けていた死神の頬を片手で掴むと口をこじ開ける。本当に舌を引っこ抜きそうな顔付きに私はハラハラした。
「ひぃっ!ひひます…ひひますっ!」
クロさんが手を離すと、死神は第二階級のミズマだと名乗った。もう一人も第二階級のナナクサだと即答する。いつの間にかドアのところに現れたシロガネさんがスマホに名前を入力して経歴を調べていた。
「あーね…何となく分かっちゃった。どこが個別調査に乗り出したのか。ミズマの担当…米国の死神統括本部に所属してるペリーくんだわ。しばらく大人しかったのにねぇ…」
「ペリーくんなんて勝手につけたあだ名で軽々しく呼ばないで下さい!!クロフネさんは偉大な死神です!!」
ミズマさんが声を上げる。クロさんはその名前を聞くと目を細めた。とても怖い。私はゾワッとしたのに、ミズマさんは気付いていないのかクロさんに対して不服そうな表情を向けた。
「あぁ…なるほど。自国に術師の素質のある死神が育たないからと何かにつけて特別区にケチをつけようとしてくる、仕事熱心なお方ですか。別に我々は鎖国をしている訳ではないのですが、どうにも特別区の情報開示を求めて止まない…本当にしつこいですね」
「そ、その…マソホさんは、さっき式神を使ってきましたけど…それって本当に許可されているんですか?」
ナナクサさんが恐る恐る声を上げる。クロさんは微笑んだ。
「統括にきちんと許可を得て、式神については使用していますよ。日本には日本のやり方がある。米国統括本部も使い魔なり何なり…こちらの技を真似したいのなら取り入れて試せばいいのに、自分たちが持ちえないものをこちらが使うと途端に横槍を入れてくるのも…鬱陶しいですね。あちらの方に式神や付喪神について理解しろと言っても…現代の研修生にも説明しにくいイメージを共通認識として、それを基準に新たな存在を構築させるのは難しいから私はお勧めしないだけです。それなら恐らく魔女の使い魔の方がよほどイメージしやすいでしょう。その土地と環境に馴染みのあるイメージの方が格段に呼び出しやすい。なのに、式神の構成を数値化し分析結果を出せと言われても、こちらとしてはそんなことはやったところで何の意味もないし、データを見たところでそれを元に彼らが私のような式神を同様に作れるのかと言ったら…到底無理でしょうからね」
クロさんの後ろからシラタマが顔を出す。シラタマはニコニコしながら大蛇の姿に変わった。
「マソホさんは擬似的出産体験で私の保管していた前前世の我々の子どもであるシラタマを出産しました。それがマソホさんの望んだことだったから、私は彼女の子宮にシラタマの魂を入れた…シラタマが輪廻の輪に入らなかったのもシラタマの意思で私やマソホさんが無理矢理引き留めた訳ではありません」
「そうだよ?僕はお父さんとお母さんと子どもの姿で過ごしたかったからこっちに残っただけ。蛇になれるのは式神のときにその姿が使いやすかったからそうしてるだけで、コロコロ姿を変えるからって前に僕のことを見て悪魔だって言った死神の手下にコソコソ探られるのはあんまり気分が良くないよ」
シラタマはチロチロと口から舌を出しながら話す。いや、話すというよりは、この姿のときはどちらかというと頭の中に言葉を響かせてくる感じだった。シラタマはするりと子どもの姿になると私に駆け寄って抱きついてきた。
「シラタマ!」
私は受け止めてシラタマを抱きしめる。ミズマさんはとても気まずそうな顔をして私とクロさんの顔を交互に見た。
「ミズマさん、いったい…彼に何を吹き込まれたのですか?」
クロさんの問いかけにミズマさんは口を開くのも恐ろしいと言う風に青ざめた顔で首を横に振った。けれども話さなければ舌を引っこ抜くと言われたのを思い出したのか、とても言いにくそうに重い口を開いて言った。
「特別区の死神は…凄惨な死を迎えた美しい女性の魂を優先的に受け入れて…彼女たちから搾取している…と。その…自分たちの意のままに動くように育て上げて…意思を奪って隷属させているのではないかと…それを調べるように言われました…」
「プッ…なんだそのどこかで聞いたような話は。それは特別区じゃなくハイアオんとこに直接調査を入れろって話だよ。あのさ、君ら何を勘違いさせられてるのか知らないけど、呪禁師はクロさんだけじゃないからね?ハイアオだってそうだ。あっちの方が少し前に今言ったみたいなことをツブシにやってたのに、それには一切触れずに特別区が特別区がって、何を言ってるのか可笑しくなってくるよ。それに…俺ももう一回基礎からちゃんとやり直すことに決めたからさ。統括のところで式神作りに適切なアドバイスができる程度の勉強はし直すつもりだよ。だからクロさん以外にもマークする死神が増えたとでも報告しておけよ、慌てるに決まってる」
シロガネさんが笑いながら言うと、ナナクサさんは困ったような複雑な表情を浮かべてミズマさんの方を見た。
「ごめん、ミズマ。やっぱり俺…クロフネさんにはついていけない…移籍の話もなかったことにして」
そしてナナクサさんは突然クロさんの前に土下座した。
「疑って大変申し訳ありませんでした。自分は…本当は呪禁師や式神についてもっと知りたいんです。俺の担当はそういうことには無関心で何も教えてくれませんでしたから。お願いします。俺も式神が欲しいんです。俺をもっと強い死神に鍛え直して下さい。お願いします!!」
「おい!ナナクサ裏切るのか!?式神って…お前正気か!?あっちの統括本部から異端だと言われて追放されても知らないぞ!?」
ミズマさんはギョッとしたようにナナクサさんの方を見て声を荒げた。クロさんは肩をすくめた。
「異端ですか。ま…あちらの方は好きですよね。異端審問…。別に私は死神ではない異端の存在だと言われようとも痛くもかゆくもないですが、そんなことをしていたらこの国における優秀な死神が減ってしまいますねぇ…異端だと騒ぐなら悪魔と戦う術を確立させてから騒いで欲しいものです。我々が式神を使うことに前向きになったのは先の襲撃事件があったからであって、米国側が昨今悪魔狩りに消極的なことも要因の一つなのですが…悪魔を生み出す土壌…要するに戦争を長引かせ悪化させるのは果たしてどこの国なのでしょうねぇ。この議論を始めると平行線を辿る上に第二次世界大戦の話まで戻らなければならなくなることもしばしばですから、上ではまず話題にしないのですが、その辺りについて考えたことはありますか?」
ミズマさんは苦々しい顔のまま黙り込んでしまった。言動を見る限りは彼は統括のように明治から存在している死神とは違うようだ。第二次世界大戦と言われたところで、私のように歴史の授業で習った程度の感覚しかないに違いない。
「…疑って…すみませんでした…現状を見たまま報告します…ナナクサ、お前…そんなこと考えながら…一緒に組んでたのかよ。正直なところショックだわ。二度と…顔も見たくない」
ナナクサさんを残してミズマさんは部屋から出てしまう。クロさんは土下座していたナナクサさんの腕を取って起こした。シロガネさんがニヤリと笑った。
「なるほどね。男子寮に申し込んできたナナクサって、君だったんだ。下心ありありだね。嫌いじゃないよ」
「ち、違います!いや、違わないんですけど…最初は内部に入り込んで調査しろって言われたからダメ元で申し込んだんです。それでたまたま今日の訓練に特別区の研修生が参加してると知って…ミズマと担当死神を脅して無理矢理交代したんですけど…いや言ってて…これ…最低ですね。本当に…申し訳ありませんでした。式神に興味があるのは…本当です…でも…俺の指導官はその手の話が嫌いで…質問してもはぐらかされて…結局何も分かりませんでした…」
ナナクサさんが言うと、シロガネさんはナナクサさんの肩を叩いた。
「そりゃあね、だって指導官…セキリュウだもんなぁ。聞いたところで…あの人、元科学者だから…って言うと語弊があるけどさ。科学の力は信じても式神なんか信じる訳ないよ。あのね、ここではわりと信じるか信じないかも、自分の作り出すものに影響が出るからさ。セキリュウは呪禁師の存在も信じてないから、語れないし式神が使えるようになる日も永遠に来ないんだよ。分かるかな?自分がそこにない、と思ったものをあるように見せかけることはできないんだ。それは人それぞれの考え方だから根本から変えることも難しい。でもナナクサは興味を持った。あるんじゃないかって思ったからだろ?」
「…はい。だって…マソホさんが実際に使ったのを見たら…信じない訳にはいかないし…あるなら知りたいと思っていたのも本当です…」
ナナクサさんはそう言った。
「クロさん、どうする?ナナクサの受け入れ許可…」
「…仕方ないですね。土下座して謝罪しましたから、今回のことは不問にします。寮にも受け入れますが、寮にいる女性に軽々しく手出ししないで下さいね。それぞれのパートナーから苦情が出ますから」
クロさんはそう言いながら私の方に歩み寄ると肩に腕を回してきた。私は少しドキリとする。私の小指を強調するようにクロさんは私の手を持ち上げて、自分の赤い糸の結びついた小指を絡めた。
「私とマソホさんは、このように来世にも縁が続いていますから…間に入り込むことは不可能だと思っていて下さい」
クロさんはそう言うといつになく好戦的な笑みを浮かべてナナクサさんにアピールをした。




