損得勘定
その日、クジョウは聴講が終わり、ロビーの椅子にぼんやり座って他のメンバーが戻るのを待っていた。ペコとミナミは別の講義に出ていた。後から入ったのだから当然だが、受講可能なものとそうでない物がある。順不同で受けて、ついていける内容もあったが、そろそろそうもいかなくなっていた。近くにあったパンフレットを何となく手に取って眺めていると、反対側の席に若い男性が二人やってきてドサリと座って一人が足を組んだ。
「あーかったりぃ…ってか、まだあいつら終わんないの?」
「まぁまぁ…トウキさん落ち着いて下さいよ…」
隣の若者は困ったように口を開く。ちらりと盗み見たクジョウは、それが女性受けしそうな余ったるい顔立ちの二人組だったことに意外な思いがした。外見と口調が随分とちぐはぐだ。
「何が擬似的出産だよ。んなのやったって意味ねーよ。こっちの痛みの訓練が進まなくなるじゃん」
唇を歪めると優しそうに見えたその顔つきが一気に変わる。
「トウキさん…それは…ちょっと…」
もう一人の青年は何かを言いかけて口をつぐむ。
「なに?ツキだって、ちょっとは思ってるだろ?あいつと組んでたら何かと全部やってくれるから楽できるし。それが妊娠なんかしてたら最低でも一週間も遅れるんだ。まじでフルの十ヶ月コースなんか選択されたら最悪じゃん。お前だってストレスの捌け口が十ヶ月もないって想像してみろよ、それなのにその間ずっと痛みの訓練?そんなのやってられるかよ。夜のサービスだって利用したら点数がかなり減るんだから、そこはやっぱり点を溜めるには節約しとかないとさ。一応彼女持ちの状態はキープした方が合理的だろ。さっさと四級に上がってしまえばこっちのもんだろ?」
トウキと呼ばれた男性は飲み終えたペットボトルの容器を回収ボックスに投げ入れようとして失敗した。それがクジョウの足元に転がってくる。クジョウは無視をした。ツキと呼ばれた男性の方が立ち上がって、そのペットボトルを拾い上げて回収ボックスに入れる。通り過ぎざまに、クジョウに向かって小さく会釈した。
「…すみません」
「あぁ…」
ツキと呼ばれた男性は再びトウキの隣に座る。ツキは困ったような顔をしていたが、やがて口を開いた。
「でも…トウキさん、最近アキさん…あまり元気がないんじゃないですか?」
「あー?あいつが暗いのなんて、デフォルトだろ。大した美人でもないんだから、少しは愛想笑いでもしてろって感じだよな。あーあ、特別区の死神はいいよなぁ。美人囲っててなんか楽しそうじゃん。俺も早くあんな風になりたいよ。ツキだって、別に俺の妹だからって、あいつとずっと一緒にいる必要ないからな?いい女がいたら乗り替えるだろ?俺だって今は便利だからとりあえず保留にしてるだけだし。あいつ…戦闘能力に特化してるとか…もうこの際男になった方がいいんじゃね?四級に上がるには、いた方がこっちも何かと有利だし」
「トウキさん、だからそれは言い過ぎですって…」
しばらくすると、女性二人がやってきた。ちらりとクジョウは盗み見る。
「遅い」
「…ごめんなさい」
トウキに言われた女性は困ったような顔をして謝った。別にトウキが言うほどでもない。ただ清楚な顔立ちに明るく染めた髪の色はあまり合っていないなと思った。どこかアンバランスで無理をしているように見える。
「どうせ出産体験なんかやんないのに、話なんか聞いたって時間の無駄だろ。チセだってしないだろ?早くどっかで飯食おう。腹減ったよ。それともアキが作ってくれるの?あ、俺やっぱりオムライス食べたい。アキ、ちゃちゃっと作ってよ!節約節約!」
四人は歩き出す。アキと呼ばれた女性は物言いたげな視線を向けたが何かを諦めて無理矢理微笑んだようにクジョウには見えた。クジョウの視線に気付いたのかアキが一瞬こちらを振り返る。その瞳の暗い色にクジョウはハッとした。思わず心の中で強く問いかける。
(大丈夫か?このままだと、潰されるよ?)
アキは一瞬目を見開いて驚いたような顔をして慌てて顔を背けた。その肩を馴れ馴れしくトウキと呼ばれた男性が抱く。それがアキとクジョウの初めての出会いだった。
***
話を聞き終えた私はよほど腹の立った顔付きをしていたのか、クジョウさんは黒糖饅頭を食べながら困ったようにクロさんの方を見た。
「……結局それって都合良くアキさんを利用してるだけじゃないですか。しかも当たり前だと思ってる。その点数を消費しないために彼女としてキープしておくって考え方自体終わってますよ。仮にそんなこと言われたら私は昼も夜もずっと男の姿のままでいます!」
私はそのまま言葉通り男性の姿になってしまった。クロさんがおっとりと笑ってそんな私の頭を撫でる。
「ダメですよ…マソホさんが男性の姿になったところで…私にとっては女性のときとあまり大差ありませんから、その戦法も無意味ですねぇ…」
「…おっと、クロさん?それはまた随分と意味深な発言をしないで下さいよ。心臓に悪い…」
「その心臓は動いていませんよ…気のせいです。いっそのこと、彼女でもそうでなくても点数が減るシステムに変えてしまってもいいのかもしれませんが…そうなると、それはそれで大変なのか…難しいですねぇ」
クロさんはあごに手を当てて考え込む。
「それにしても、トウキという人は合理主義の塊のような人ですね。点数を消費しないから階級が上がるのも早かった…早速嗜好品を買おうとしたクジョウさんとは考え方の根本からして違いますねぇ…お昼も節約してアキさんに作らせて、出産体験も妊娠期間がもったいないと…要するに自分が損をすると感じる物事は尽く排除したいのでしょうね。そんな損得勘定のみでやっていけるほど、死神は甘くはないんですが…」
クロさんは玄米茶を一口飲んだ。
「あの…なんか、褒められた気がしないんですが…」
クロさんはニコリと笑う。
「褒めた訳ではありませんからね。点数が入った途端に消費しようとする人も珍しかったものですから。点数があれば罰則が科せられた場合に点数を消費してその罰則を軽減してもらうことも可能なんです。なかった場合には…お分かりですね?昔は大量の蚊とブヨの入った狭い空間に閉じ込められる罰もあったそうですよ?あまり想像したくないですね…」
私は一気に身体が痒くなった。クジョウさんも口をへの字にして押し黙る。
「あぁ…ヤバい罰則があったんですね…今はなくなったんですか?」
「えぇ。でも拘束されることはありますね。体罰はさすがに減りましたが…監視と拘束を担当する死神の匙加減によるところもありますから…あまり怒らせると鎌で斬られるくらいのことはあるかもしれませんね。ダイコンさんは…確か喋り過ぎて口を縫い付けられた経験があるはずです。真夜中に大声で歌を歌って一人芝居を始めて注意されたときの話ですが…」
「フッ…」
クジョウさんが笑い声を漏らしたところに、ヤミカさんが現れた。
「コウギョクさんとメイゲツさんが帰ってくるって。無事に出産して輪廻の輪に返したって、ミランさんから連絡があったみたい」
「そっか…」
私は出来るだけ感情を込めずに言ったつもりだった。けれども急にシラタマが現れてぎゅっと私の腕にくっついてきた。
「ママ、一緒にいるって決めたのは僕だよ?ママが泣いたからってよりも…だから、そんな顔しないで」
「シラタマ…」
私はシラタマを抱きしめ返す。そこに反対側からアオハが現れてくっついてきたので私はアオハの頭も撫でる。
「ねぇ、パパ、どうしてトウキって人が言ってたことアキさんに教えてあげないの?」
シラタマが首を傾げる。
「…それは…クジョウさんというフィルターを通して見た事実だからですよ。私が直接見聞きした訳ではないですから、それが真実だと伝える訳にはいきません。本人どうしの話し合いの場を設けるべきとは思いますが、クジョウさんの話を元に考えると…アキさんは彼の前では言いたいことも言えなくなってしまうのだと思います。それでも別れたいと切り出した。相当な勇気を出したんでしょうね。でもそれは新しい刺激が欲しいだけだと言われてしまった…」
「こんにちは!」
そのとき喫茶店のドアが開いてコウギョクさんとメイゲツさんがやって来た。その後ろから少年が入ってくる。少年はするりと中に入るとドアを閉めた。
「あの、ここに会いたい人がいるって…言ってついてきてしまったんですけど…」
「こんにちは」
微笑んだ少年はぺこりと礼儀正しく頭を下げた。クロさんが立ち上がる。
「…こんにちは。なるほど、幼くなる方が得意ですか。情に訴えるには…その方が有利だからですよね、トウキさん?」
私は少年の顔を二度見する。私はまだ男性の姿のままだった。この人が話題に出てきたトウキさんなのかと思う。確かに優しそうな見た目をしている。今は少年だから微笑むと可愛らしいと言っても差し支えはない。
「バレちゃったか。早いな。やっぱり特別区って言われるだけあって、その目は節穴じゃないってことか…」
「あなたは戦いの時に、さっさと毒にやられて終わらせる方法をあえて選びましたね…そんなに戦いたくないんですか?そんな風に手抜きをしていたら、死神になれたところでロクな仕事は与えられませんよ?地下清掃係…ご存知ですか?都市伝説ではなく、この仕事は本当に実在します。異形化した魂が増え過ぎないように、新米の死神が定期的な見回りを行うのですが、実のところこの役割を多く割り振られるのは、研修生時代にズルいやり方で階級を上げた死神が多く選ばれます…四級に上がると地下清掃の要請が入るんですよ?きちんとテキストを読んでいればお分かりかと思いますが…多分読み飛ばしてますよね?」
「は…?どうせハッタリだろ?そんなの。点数があれば免除だって…」
「地下清掃は、自身の鎌で狩り取った異形がある程度溜まらないと終わりません。強い異形を一匹狩るか、弱い異形を複数狩るかは個人の力量に任されますが、他人の狩った異形を自分の手柄のように横取りすることはできません。これまでの痛みの訓練のように誤魔化せなくなるということですが…これは、ほんの一例に過ぎませんね。大して鎌も振らずに四級に上がるトウキさん?その手で異形を狩る自身はあるんですか?」
クロさんは凄みのある笑みを浮かべる。近くにいたクジョウさんが思わずゾッとしたように私の顔を見た。先ほどよりも威圧感が半端ない。
(マソホさん、クロさんって…)
心の中に幾分か慌てたクジョウさんの声が聞こえた。
(…だって…クロさんは呪禁師であり死神でもあるんですから…怒らせると怖いですよ?基本的に不真面目な人には厳しいですから。クロさんは)
私は可愛らしい見た目で精一杯誤魔化そうとしているトウキさんの顔をもう一度見る。その顔は完全に強張り、先ほどまでの笑顔の仮面がすっかり剥がれ落ちていた。




