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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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重い口を開く

 クジョウはやや緊張しながらアキと向かい合って座っていた。生前にこんな風に娘ほどに歳の離れた若い女性と二人きりで珈琲など飲んだことはない。ほとんどトラックに乗って長距離を移動していたし、休みの日だって小洒落た店に妻と入ったことはなかった。妻は妻で友人たちと楽しくやっていたから、それでいいと思っていた。浮気はもちろん不倫もしていない。けれども、それではダメだったのだ。妻の心が自分から離れてしまっていたことにクジョウが気付いたときには、二人の関係は修復が不可能なほどに冷え切っていた。娘は冷たい視線をクジョウに向けた。


「俺はイケおじじゃないんですよ…それどころか、どっちかっていうとイケてない方なんで…的確なアドバイスも多分できない…」


「そんなことないです……あの、ガムシロップ入れていいですよ?私は全然気にしませんから…」


 クジョウがブラックのままアイス珈琲を飲んでいるのを見たアキが柔らかく言った。


「あのとき、クジョウさんが言ってくれたから…私、勇気を出すことができたんです…あの…養成講座のロビーで…」


 アキはクジョウの顔を見た。クジョウは思わず目を泳がせる。心の中で少し強く思った言葉が伝わっていたとは思っていなかったのだが、恐らくあの日のことを言ってるのだろうと思った。それ以外に彼女との接点はない。


「私…付き合っている彼と…事故でうっかり仲良く死んでしまったように…周囲には見えてるのかもしれません…でも死神を目指し始めてから…どんどん相手のことが分からなくなってしまって…今回別れることに決めたんです。そうしたら、別れ話まで通じなくて…新しい刺激が欲しいだけだろって言われちゃいました。擬似的出産も…やっぱり、する意味がないって。時間の無駄だって言われました」


 アキはふぅと一息ついた。クジョウはガムシロップを入れてくるくると落ち着きなくストローで混ぜた。一口飲む。美味しい珈琲はホットでもアイスでも甘くても甘くなくても美味しい。広がる香りが豊かで奥深い。


「俺は女性じゃないんで…出産に関してはあまりよく分かってないところもあるんですけど…マソホさんが最近、擬似的出産体験をして…それが終わってから会ったら…なんかいい顔してるなと思ったんですよね。一つ何かが吹っ切れた清々しい感じ…すみません、説明が下手で。でも、要するに俺が言いたいのは、する意味がないってのは間違いだってことです。選択して行動することには本人にしか分からないかもしれないけれど必ず意味がある…意味のないことなんてないんですよ。きっと。なんて、こうして珈琲を飲むことにも何かしらの理由付けを行おうとして格好つけたいだけなのかもしれませんけどね」


 クジョウは照れ隠しのように笑って遠くに視線を向けた。一昔前の任侠映画に出ていた俳優のような横顔だと思ってアキはその精悍な顔をそっと見る。トウキとは真逆の鋭い見た目だ。なのに声色は穏やかで優しい。トウキはもっと優しそうな柔和な顔立ちをしている。なのにしばしばアキには無神経だと感じるキツい言葉を平気で投げかける。それが刺さってアキは言い返せない。胃の辺りがギュッとなって、途端に何も言えなくなってしまう。今まで刺さった言葉が鋭利な刃物だとしたら、アキはもう再起不能なほどに血塗れだった。クジョウは説明が下手だと言いながらも、自分の考えを分かりやすいように丁寧に説明しようとしてくれている。会話が成り立つことだけでアキはこの上もない穏やかな気持ちさせられる。優しさは見た目とは比例しないのだと、最近になってアキはようやく理解しつつあった。


「クジョウさんって、見た目はちょっと怖そうなのに…そんなこと全然なくって…私は、話しやすいなって思います。相手の話をちゃんと聞けるって、実はすごい能力だと私思うんです。私、どれだけ伝えようとしても…聞き流されたり、考え過ぎって会話を遮られたりで…最近特に自分がそのことに疲れていたんだなと…実感してたところだったので…」


「そんなに褒められると、すぐ男ってやつは調子に乗るんです。だから、あんまり褒めないで下さい。嬉しいですけど、別れた妻のことは全然思いやってやれなかった最低な男なんですよ俺は。離婚届を突き付けられるまで気付かなかった…だから、アキさんの彼氏のことも…まだ若いからアキさんに甘えてるんだろうなって思ったりもしてますが…ちょっと甘え過ぎだし、自己中過ぎるなと思ったことは確かにありましたよ。たまたまロビーでの会話が耳に入ってきて、その断片で判断するのも良くないってことは分かってますが」


 クジョウは腕を組んで考え込んでしまった。クジョウはそのまましばらく黙り込む。


「あの…トウキは…あの日ロビーで私のこと、何か言ってましたか?」


「いえ…まぁ…個人的には研修生の中にも嫌な奴がいるなって思ったってだけで、あくまで俺の主観ですから」


「…あの、私傷付かないので、なんて言ってたか教えて下さい。もう覚悟はできてますから…」


 クジョウはアキの顔を見た。本人には言えない。聞くに堪えない内容だった。


「俺がもしトウキって奴の彼女の立場だったら、ぶん殴って即別れてるなって思った…ってことで詳細は勘弁して下さい。これまでの話を聞いていても二人の心のすれ違いってだけの話ではないってことが分かりました。俺は基本、別れろと簡単には言わないスタンスなんですけど、今回に限っては例外かもしれません。アキさんはさっさと別れて自分の進みたい道を選んでもいいと俺は思います。トウキって奴が執着するようなら、俺が追い払ってやりますよ。俺はこの見た目がそういうことに役立つってことも分かってますから利用して構いません」


 クジョウは真面目な顔でアキを真っ直ぐに見つめた。アキはドキリとする。こんな眼差しを異性に向けられるのは初めてだった。アキは思わずコクリと頷く。


「は…はい。ありがとうございます…」


 アキは小さく頭を下げた。



***



 その後アキさんはこれから住む新しい自室に案内されて、部屋の中を整え始めたのでしばらく三階の一室にこもりきりになった。屋上からコップを回収したクジョウさんが降りてきたのが見えた。クジョウさんはどこか難しい顔をしている。


「あの…何かあったんですか?」


 私が話しかけると、クジョウさんは大袈裟なくらい驚いてコップを落としそうになった。


「わぁぁ、マソホさん、びっくりするじゃないですか!」


「いえ…何かとても難しい顔をしてるので…オジ活に失敗したのかと…」


「意外と言うねぇ、マソホさん」


「はい、少し慣れてきましたから」


 私の言葉にクジョウさんは、顔をくしゃっとさせて笑う。それだけで急に親しみやすい表情になる。


「うーん、いや、アキさんは早く縁を切るべきだと思ってさ。トウキって奴と」


 私は落としそうになったときに受け取ったコップをシンクで手早く洗った。水切りのカゴに入れていると、クロさんが人数分の玄米茶を淹れ始めた。私はお茶とそこにあった黒糖饅頭をお盆に乗せて喫茶店のテーブルに出した。クジョウさんも近くに来て座る。クジョウさんは黒糖饅頭を見るとニヤッとした。和菓子が好きなのは最近知ったばかりだった。


「ありがとうマソホさん」


「お茶を淹れたのはクロさんです」


「それで…クジョウさんは何か詳しい話は聞けましたか?」


 クロさんが尋ねる。


「いいえ…むしろ逆…というか…」


「逆とは?」


 クロさんの問いかけにクジョウさんは頭を掻いた。


「トウキって奴が知り合いと話しているのを…偶然俺が聞いてしまってて、アキさんの知らない向こうの本音を俺は知ってるんですよ。アキさんに関することで…それで、俺の中ではその時すでにトウキにはロクでもない判定が下ってて…本来なら、恋人とこじれた女性にすぐに別れろなんて言うべきじゃないって思ってたんですけどね…今回ばかりは、そうも言えないなと…」


 そう言ってクジョウさんは、大きなため息をついた。クジョウさんはお茶を一口飲んでから、意を決したように口を開いた。

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