記憶が飛ぶ
翌朝、私はクロさんの腕の中で目覚めた。あの高級そうなお酒を舐めた後の記憶がない。起き上がると頭が割れそうに痛かった。気持ちが悪い。それに何も着ていない。隣で身動ぎしたクロさんが目を開けて微笑んだ。
「今…癒しますから…二日酔いですね…」
クロさんはそう言って私のズキズキ痛むこめかみに指先を当てる。じわじわと痛みが引いて、清々しい朝の目覚めの空気を私は味わった。
「あの…昨日…お酒を飲んだ後の記憶が…ないんですけど…」
「おや、そうでしたか?通りで…積極的だとは思っていのですが…酔っていたんですね…」
「えっ!?私…何かしましたか?」
「いいえ。いつものように…とても可愛らしかったですよ?」
「クロさん!?」
周りを見回すと眠っていたのは喫茶店の二階の部屋だった。クロさんが指を鳴らすと着替えが終わる。いつの間にか部屋の奥にもう一つドアがある。私の疑問にクロさんは笑って答えた。
「奥にはシラタマとアオハが眠っていますよ。要するに子ども部屋ですね」
以前にこの部屋を使ったときも今いる部屋は同じ広さだった気がするのに奥にも部屋が増築されているのは奇妙な感じだった。現実の建物ならあり得ない。外から見ても外観は変わらないのに部屋が増えている。
「シロガネさんが空間を増やしただけですよ。あまり難しく考え過ぎないで下さい」
「はぁ…」
私とクロさんが喫茶店の方に降りると、すでにシロガネさんは起きていて私を見るなりニヤリと笑った。
「マソホちゃん、おはよ。たくさんクロさんに可愛がってもらったかな?」
「シロガネさん…マソホさんは昨日の夜の記憶が飛んでます。やはり度数の高いお酒には弱いんですね」
「あらら、そっかーヤミカが全然酔わない分、マソホちゃんは酔っ払いやすくなっちゃったのかなぁ?クロさんにくっついて人前なのにエロいキスし始めるから、フブキが焦ってたよ?」
「……!!キ…キスしたんですか!?えっ?みんな…見てたんですかそれ!?」
「あーうん。クジョウなんか、クロさんがうらやましいなんて、うっかり口滑らせて、ミランにガッツリキスされてたわ。せっかく何事もなく帰ってきたのに賭けが終わった途端にこれだから…」
「わぁぁ…恥ずかしい…」
私は頭を抱えた。
「私も禁酒します!!ツブシさんみたいに!」
私が宣言するとシロガネさんが首を横に振った。
「人前でキスしたくらいで大袈裟だねぇ。范とペコなんか人前でもキスしてるだろ。慣れだよ慣れ!」
シロガネさんはそう言って笑った。
***
「マソホ…今日はいつにも増して…気迫が凄いね…」
私は今日も痛みの訓練に没頭していた。今は小休憩の時間だ。とは言っても、下からどんどん這い上がってくる巨大なムカデが姿を見せる度にひたすら駆除し続けていた。キリがないので上に到着したムカデから順番に斬っている。気持ち悪いけれどやるしかない。寝起きの二日酔いが抜けている分マシだと私は思った。
「…ねぇ…ヤミカさん、私…昨日の夜…酔っ払いだった?起きても記憶がなくて…シロガネさんに言われたんだけど…酷かった?」
「……酷かったか酷くないかってよりは…可愛らしかったかな。最初はね。マソホも女なんだなって思って、私はちょっと安心した」
「え?安心?醜態を晒したのに?」
私とヤミカさんは同時に現れたムカデを斬り伏せる。飛び散った体液と破片にヤミカさんは顔をしかめて飛び退る。
「うん。だってマソホは欲望なんかないって風にふわふわして見えるから…欲深いのは自分だけなのかな?って思ったりしてた」
「私にもクロさんにも…欲望はあるよ?ブローチを外したら…クロさんもやっぱり男の人だなって思うし…」
話している私たちの前にムカデではないものが現れる。巨大なクモだった。
「うわぁ、嫌だなぁ。映画で見ても嫌な気分になったのに」
「それって魔法使いの学校の話?」
「違う…指輪を捨てに行く話」
「あ…そっちね。あのクモには…毒針があったんじゃなかった?」
「嫌なこと思い出さないで!」
私はできるだけ鎌のサイズを大きくイメージした。身体の形を男性に変えると、できるだけ近づかないままで巨大な鎌を一振りした。クモは真っ二つになる。少し離れた別の場所ではフブキさんとアシシさんもムカデの群れと戦っていた。
「マソホ…ほれちゃいそう」
クモを斬り伏せた私にヤミカさんが少しふざけてそう言った。まだ今日は余裕がある方だ。本当に切羽詰まっていたらヤミカさんは無言になる。
「やぁ、レディたち大丈夫かい??」
何やら芝居がかったせりふが聞こえてきたので振り返るとそこに立っているのはダイコンさんだった。ダイコンさんは私の顔を見て、不思議そうに首を傾げる。
「あれれぇ?マソホさんだと思ったら…違った…?君、誰?」
「私はマソホですよ。今は男性だけど。だから、ダイコンさんの助けは不要です。あっちに行ってあげたらどうですか?」
私はキャーキャー悲鳴の上がる方を指差す。
「無理無理!!」
「ムカデいやー!!こんなの聞いてない!!」
鎌を手に持ってはいるものの、一人はムカデを見るなり顔を背けてガタガタと震えているし、もう一人に至っては鎌すら出せずに頭を覆っている。二人とも若い女性のようだ。
「えっ?マソホさん?男性になれるのかい?」
「なれますよ。こちらは加勢不要です」
私は巨大な殺虫剤をイメージする。少ししてガスボンベほどのサイズの殺虫剤が現れた。ヤミカさんもすぐに同じイメージで殺虫剤を取り出すと、ムカデの群れ目がけて噴射した。
「そ…それは、死神を目指す者として卑怯なんじゃないかい?」
ダイコンさんが声を上げる。
「卑怯でも何でも勝ち残った者が発言する権利を持つんです。負けて魂ごと消えたら意味がないじゃないですか。どんな手でも使いますよ。ほら、ダイコンさんも格好良く人助けしてきたらいいじゃないですか」
私の言葉にダイコンさんは、私たちのいる場所から軽々と跳んで震える女性たちのいる場所へと向かっていった。私とヤミカさんは殺虫剤を噴射し下から押し寄せるムカデを、次々に撃退した。鎌よりこちらの方が早い。ただひっくり返ったムカデが脚をワシャワシャ動かすので見た目はかなり気持ち悪い。
「あの跳躍力…真似できたらなぁ」
私が言うとヤミカさんも頷いた。
「跳躍力だけはね…」
ダイコンさんがキャーキャー言っている女性たちに何かを話しかけて頼られているのが見える。ダイコンさんは派手な黄色い鎌を振って嬉々としてムカデ退治を始めた。
「どうしてダイコンさんって赤と青の服着てるんだろ…」
私は思わずつぶやいてしまった。
「鎌を合わせて三原色…三原色が似合うのはつくづくアニメの主人公くらいだって思う…あの姿で魂を回収しに来られたら…マソホは受け入れられる?何かの詐欺だって思いそう…」
「うん…まぁ…悲惨な死に方してたら…ふざけないでって思うかもしれない…いつもやけに元気だよね…」
「だね…」
ムカデから飛び散った黄色っぽい体液が、若い女性の一人に降りかかる。少し経ってそれは青く変色した。ダイコンさんが派手に鎌を振り回したせいだ。私とヤミカさんは姿を見せたムカデに殺虫剤を噴射する。この方法だと体液は飛び散らない。
「いやぁぁぁぁ!!」
体液を被った女性の悲鳴が辺りに響き渡った。




