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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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同化

 その日の夜、ペコさんやシラタマ、アオハが眠るのを待ってから、私とクロさんは自宅で少しだけお酒を飲んだ。私はとりあえずシラタマが何だかんだでアオハに先輩風を吹かせながらも面倒を見てくれているので助かっていた。シラタマも弟分ができたような気持ちになっているんでしょうとクロさんは言った。笑って話していたクロさんは不意に押し黙る。


「…マソホさん…」


 私を見つめるクロさんが静かに手を伸ばして私のブローチを外すのが分かった。私もクロさんのブローチをそっと外す。お互いのブローチを握りしめたまま私はクロさんを見上げた。気付いた瞬間にはすでに私は布団の上に倒れていた。どうやって移動したのかも分からなかった。


「マソホさん…」


 私の上に覆い被さったクロさんが耳元で囁く。絡まった両手の指を意識しながら私は目を閉じた。唇が重なる。そこから先は優しく、ときに激しくクロさんから与えられる感覚を一つも漏らさないように受け止めるのに必死だった。この感覚が悪魔と戦うときに本当に何かの役に立つのだろうか。鎌を振るってひたすら戦うだけの方が性に合っているかもしれないとすら思う。それでもクロさんの熱を感じてその瞬間に私は、彼の深い愛情を受け取ったことを感じていた。私はクロさんにしがみついたまま、今まで感じたこともない高揚感に包まれて、生きていた頃によく感じていたあの虚しさはいったい何だったのだろうかと思った。


「マソホさん…難しく考えなくても大丈夫ですよ」


「あ…すみません…」


「謝らないで下さい。それよりも大丈夫ですか?」


「…はい…」


 クロさんがコップの水を差し出してくれたので、私は起き上がって水を飲んだ。火照った身体の中を冷たい水が降りてゆく。クロさんも水をごくごくと飲むと、再び布団の中に横たわって腕を広げた。


「こちらへ…」


 私はコップを置くと素直にその腕の中に入った。ホッとする。


「マソホさん、少しは慣れてきましたか?」


「…は、はい…」


「…死神になるには…こうやって怖いものを少しずつ減らしてゆく必要がありますから。無理に好きになる必要はありませんが…慣れることは大事だと思います…」


「怖いものを減らす…えっ?じゃあ…苦手な物にも慣れなくちゃいけないってことですか?」


「そうですね、どうかしましたか?」


「あ、あのっ…私…脚のたくさんある長い虫は…苦手なんです。ムカデとか…クモも…そこまで得意ではないし…」


「あぁ…なるほど。マソホさんは蛇を克服できていても、節足動物の中には苦手なものもいる、ということですか。これも今後の課題ですね。悪魔は相手の恐れに敏感ですから。マソホさんがムカデが苦手だと知ったなら大量のムカデになって襲いかかるかもしれませんし…」


 私はうっかり想像してしまい、クロさんの腕の中で震えた。耐えられそうにない。クロさんの手が私の肩を撫でる。


「大丈夫ですよ。怖いと思ったら別のイメージに置き換える訓練もこの先にありますから。マソホさんは痛みの訓練は、恐らく今から残りに取り掛かっても他の研修生よりも進み方は早いと思います。ですから苦手な物の克服で多少躓いても、何の問題もありません。とりあえず、あまり好きではなかった異性との触れ合いにも少しは慣れてきているようですし…」


 クロさんに瞳を覗き込まれる。私はお腹の辺りがぎゅっとなる感覚にはまだ慣れてはいなかった。それでも逸らさずにその瞳を見つめる。


「それは…クロさんだからです…」


 やっとのことで私が言うとクロさんはどこか嬉しそうに微笑んだ。


「マソホさんの口からようやくその言葉を聞ける日が来ましたね…」


 クロさんは再び腕に力を込めてきた。私はそうされるととても切なくなった。私も腕を伸ばしてクロさんの身体に腕を回す。今確かにお互いの魂がここにあると確認するように互いの輪郭に触れて確認する。クロさんの手が腰に触れて自分の方に少し強引に引き寄せられる。そこから突然私の輪郭は曖昧になって急に形が保てなくなった。


「え…!?クロさん…!」


 私が慌てて声を上げるとクロさんは微笑んだ。


「これは異形化ではありませんから…マソホさんは今私の中に入ってしまっただけです…全身を同化させてしまって構いませんよ。戻せますから。これで男性の身体をイメージしやすくなります。戦闘時に男性化した場合の方が有利になることもありますから、覚えておいて損はないと思いますよ。自身のイメージで修復不可能なほど負傷した場合にも…近くに別の死神がいればこうして魂を保護することもありますから…慣れておくといいでしょう」


 気づけば私はクロさんの中に入っていた。


「私の手を動かしてみますか?」


(そんなこと…できるんですか?)


「えぇ」


 私は右手を握ることを考えた。目の前にクロさんの腕があってその手が自分のもののように動く。握った力加減の違いに私は驚いた。


「動かせましたね。これは…変な感じですねぇ。勝手に私の手が動いている…私も実のところ、ここまで誰かを同化させたのは初めてなので…不思議な感覚ですね」


(そう…なんですか?クロさんでも…初めてのことって…あるんですね)


 私が心の中で言うとクロさんはフッと短く笑った。クロさんの中で声を聞くと響き方までが違う。


「それはもちろんありますよ。死神の在り方も時代によって変化しますから、昔は許可されていて今は出来なくなったことも在りますし…」


(例えばどんなことですか?)


「分かりやすい話で言うなら、今現在は悪魔の得物を己の物として所有することは禁じられています。ハイアオさんの鎌は…今となっては違法ですが、当時は許可されていました。ハイアオさんの鎌の登録は悪魔の鎌で正式に受理されているので変更はできないのです。元々の鎌も戦いの際に砕かれて失ったそうですから、魂を喰われずに残すために悪魔の得物を奪って自分の支配下に置いた…戦法としてはそれしか選択肢はなかったとも言えます。ですが今現在はまだ禁止が解かれていない…」


(じゃあ…仮に今悪魔と戦って鎌を失うことになったら…逃げる以外に方法がないということ…なんですか?それって…本当に正しいんでしょうか…)


「私も悪魔の得物を鎌として所有する経験はさすがにないので…そうした場合に本当に己の精神に影響を及ぼすのかは、分かっていないとしか言いようがないですね。逃げることが可能ならまだいいのですが、絶体絶命の際に助かるには…私でもハイアオさんと同じ戦法を選ぶとしか今は言えませんね。たとえそれで追放になったとしても…消え去るよりはマシだと私は思います…」


 クロさんに同化したままで私は考えた。そこで私は不意にクロさんが私になら鎌を奪われてもいいと言っていたことを思い出した。私の動揺が伝わったのか、クロさんがくすぐったそうに笑った。


(あの…クロさんが…私になら鎌を奪われてもいいって言ったのを…どうしてのろけって…シロガネさんは言ったんですか?)


「今この状態でそれを聞くんですか?まぁ…いいでしょう。死神の鎌は魂と直結しています。ですから奪われた場合、恐らくその死神の魂は消滅します」


(えっ…じゃあ…それって…)


「えぇ。私はマソホさんの手でならこの魂が消滅しても構わないと…そう思っていますよ?それでマソホさんの魂を残せるのなら…私はむしろ喜んで鎌を差し出すでしょうね。分かりやすく言うなら魂を差し出してもいいほどに深く愛しているという意味です」


 私はあまりに驚いた衝撃でクロさんの中から飛び出してしまった。クロさんはそんな私を見て面白そうに笑った。


「そっ…そんな、恥ずかしいことを言ってたんですか!?ダメですよ!クロさんが消えたら私が困ります!絶対にそれはダメです!」


 慌てる私を見てもクロさんは満足そうに笑うだけだった。本日最大ののろけ、と言ったシロガネさんの言葉が誇張でも何でもなかったことを、私はようやく本当の意味で理解して、恥ずかしさのあまり、しばらくクロさんの顔がまともに見れなくなってしまったのだった。

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