恐れを隠す
帰宅してから私はお茶を淹れてテーブルを囲んで座った。初めて入る家にアオハは興奮していた。シラタマが得意気に部屋の案内を始めたので、私たちはそのまま話すことにした。ペコくんは少し緊張した面持ちでクロさんの顔を見ていた。
「あの…それで話って…今日…遅くなったことは関係していますか…?」
ペコくんの言葉を聞いてクロさんは首を横に振る。
「范さんから連絡は貰っていましたから大丈夫ですよ。行き過ぎた接触もなかったようですし。ペコさんが異形化しない程度に范さんほどの死神になれば、触れ合い方もきちんと線引きをしていますからそこのところは安心して下さい」
ペコくんは少し赤くなる。
「あの…全部…クロさんには…報告されてるんですか?」
「さて、どうでしょうね。私は范さんの報告を信じますから、范さんが報告したことと、しなかったこと、その内容について事細かにペコさんに説明を求めたりはしませんよ。特別なお二人の体験を秘密にしていても異形化する訳ではありませんから、デートはデートだと割り切って楽しんで大丈夫です。ただし、それは一定のランクの死神相手の場合のみですから、研修生どうしで楽しむ場合は要注意です。まぁ、ペコさんはその辺の研修生などには見向きもしないと思いますが、今後も一方的な好意を寄せられる可能性もありますから念のためです」
クロさんは微笑んだ。ペコくんは明らかにホッとした顔をする。
「今日話したかったのは、別件です。ササメさんのことです」
「えっ!?」
ペコくんはハッとしたように顔を上げた。少し表情が強張る。
「よく聞いて下さい。ササメさんは悪魔の花嫁になりました。スズさんの魂は悪魔に喰われて消滅しました。ササメさんはスズさんを生贄に捧げたんです」
「そ…んな…」
ペコくんは呆然とした顔付きになった。
「何かの…間違いじゃ…ないんですね。公表されるってことは…」
「はい。クロハツさんという…悪魔に目玉を奪われた死神がいるのですが、彼がその光景を確認しました。彼の目玉を奪った悪魔は少し変わっていて、彼に自分の見た光景を共有してくるのです。現在ササメさんの魂は悪魔が花嫁として所有している。悪魔の名は軽々しく口にしない方が安全なので、通称のみ明かしますが…嫉妬の悪魔…と呼ばれる者です」
私はササメさんがヒサメさんに嫉妬していたのを思い出す。なるべくしてなったような気がした。
「悪魔にとって死神は自身の動力源にもなる魅力的な魂です。餌にするか花嫁にするかは悪魔次第ですが、一度味をしめたら再び先日のような事件が起こらないとも限りません。ですから今後は私たちのような死神についても監視は厳しくなると思います。もちろん、研修生も同様に。范さんはすでにこの事実を知っていますから、ペコさんに危険なことをすることはありません。それでも、もしもペコさんが怖いと思ったり疑問に思うことがあれば、遠慮せずに私に聞いて下さい。范さんに限らず、誰かに何かをされた場合は、波紋が出ないかのチェックも含めて些細なことでも教えてもらえると、こちらとしては助かりますが、どうしても言えない内容の場合は波紋のチェックのみを行える機関が今後設けられますから、そちらに行くことをお勧めします。マソホさんもですよ?」
「えっ!?あ、はい」
突然話を振られたので私は慌てて頷いた。
「いいですか?出産の体験を終えたばかりで両手を拘束されて自由を奪われた状態でマソホさんは無理矢理キスをされたそうですが、それはあなたが言ったように決して大丈夫なことではないんですよ?現にマソホさんは直後に異形化しそうになったのでしょう?大きな負の感情により、マソホさんは異形化するところまで追い詰められた。それとも、マソホさんがサギリさんにキスしてほしいと望んだのですか?そうではないでしょう?」
「ご、ごめんなさい…私…そんな大変なことだとは思っていなくて…」
私が謝るとクロさんは困ったような顔で私を見た。
「私は謝罪の言葉を求めている訳ではないんです。全ては私の不在がもたらした結果ですから、私にも責任があります。私が言いたいのは…マソホさんはその瞬間異形化するほどの恐怖を味わったのに、それに対して大丈夫だと簡単に言ってしまうことが問題だと言っているんです。あなたはまだ研修生だ。怖いものは正直に怖いと言っても恥にはならないんですよ。むしろ認めないことの方がササメさんのように悪魔を呼び寄せる結果になるのですから、もっと自分の魂を大切にして下さい。感情を誤魔化す必要はないんです」
「…はい…」
私は頷いた。確かに私は心のどこかでは思っていた。あの体験はキスだけで未遂に終わったのだから大丈夫だったのだと。けれどもあの瞬間のサギリさんは確かに私に対して性的な欲望を顕にしていた。シロガネさんとクジョウさんが来なければ、あの先のことが起こっていたかもしれないと思ったら、耐えられそうになかった。
「マソホさん…?」
隣のペコくんの手が私に気遣わしげに触れて、そのときになってようやく私は自分が涙を流していることに気付いた。
「あれ…?ご、ごめんなさい。こんなはずじゃ…」
私は慌てて涙を拭う。なのに一度流れ出てしまうと次から次へと止まらなかった。クロさんは立ち上がって私の方にやってくると、私を抱きしめて言った。
「すみません…泣かせるつもりではなかったのですが…キツい言い方になってしまいましたね。マソホさんの根底にあるのも…やはり異性に対する恐怖心なのだと思います。当然ですよ。力尽くでは敵いませんから。ですからサギリさんも一定の階級を過ぎた頃から男性の姿を選択するようになったのだと思います。元々サギリさんは自身が女性であることに、いくばくかの違和感を抱いていたようですから…マソホさんがベニだった頃の女性の友だちであった方のサギリさんは…今は…ほぼ統括の前でのみ見せる姿だと認識しておいた方がいいかもしれません…普段のサギリさんは男性として過ごしています」
クロさんは私の頭を撫でた。
「…じゃあ…もう…サギリさんとは…友だちとしては…接することは…出来ない…そう思った方がいいんですか?」
「私はマソホさんが誰と友だちになろうとしても止める権利はありません。けれども…サギリさんがマソホさんのことをどういう目で見ているのかについては…今現在となっては少々危ういところがあるのも事実です。ですから、私はマソホさんに早めに式神を持たせることにしたんです。あなたにとって不本意なことを行う可能性のある死神からもあなたを守る必要がありますから。ペコさんもそれは同様です。マソホさんもペコさんも、ハイアオさんという存在があることも忘れてはいけませんからね」
クロさんは私の涙を指先で拭ってくれた。ペコくんも頷いた。
「クロさん…分かりました…。これからは気をつけるように…します」
私はクロさんの腕の中で頷きながら言った。クロさんの腕は温かい。私を守る腕だ。私はそう思った。




