恋心
クロさんに連絡が来てからきっかり三十分後に范さんはペコくんを連れて喫茶店に戻ってきた。
「それじゃ、ペコ、また連絡する」
范さんはそう言って軽くペコくんの頬にキスをするとぎゅっときつく抱きしめて、大急ぎで去って行った。時間ギリギリまで一緒に過ごしたことが分かる慌てように、シロガネさんは呆気にとられたような顔をしてその背中を見送る。しばらくぼんやりとしていたペコくんは、ハッと我に返ったように目をしばたかせて、それから突然私の方に駆け寄ってくると抱きついてきた。中学生の姿が揺らいでペコくんは再び四年生の子どもに戻ってしまう。私が戸惑いながらペコくんの頭を撫でると、顔を上げたペコくんは泣いていた。
「どうしたの!?何か嫌なことでもあった?」
ペコくんはぶんぶんと首を横に振る。私はペコくんの背中を撫でながら近くの席にペコくんと共に座った。シロガネさんがさりげなく箱ティッシュとリンゴジュースを置いてくれた。シロガネさんはペコくんの頭を撫でると、あえて少し遠くに座ってクロさんと話を始めた。ペコくんはティッシュを取って鼻をかむ。少し落ち着いてきたのか、目をこすったペコくんはリンゴジュースを飲んで、小学生とは思えない深いため息をついた。
「…早く…大人になりたい…」
「…そっか。そんなに范さんのことが…好き?」
無言のままでペコくんは頷く。
「好き過ぎて…頭…おかしくなりそう…」
私は何と答えていいのか分からなくなってしまった。私はそんな風に表現できるような状態を経験したことはなかった。もちろんクロさんのことは好きだけれど、その好きは穏やかにじんわりと体温が上がっていくような緩やかな好きだったから、突然ペコくんのように急激に上がるような恋愛感情ではなかった。今日のデートで何かあったのだろうかと思った。でも根掘り葉掘りは聞けないとも思う。
「デート…楽しかった?」
結局無難な言葉を口にするとペコくんは頷いただけで、その内容までは教えてはくれなかった。ペコくんはこつんと私の肩に頭を乗せた。
「マソホさんは、こんな風にはならないの?この辺が苦しい…って」
ペコくんは胸のあたりに触れる。私は頷いた。
「私とクロさんは…のんびり楽しんでるから…振れ幅もそんなに極端じゃないって言えばいいのかな…ゆっくり穏やかな感じ…ヤミカさんの方がまだ共感できるんじゃないかな。なんとなく、だけど。ごめんね、参考にならなくて」
「何か言った?マソホ…」
ヤミカさんが紅茶のグラスを片手にこちらにやってきてペコくんの向かいに座る。
「范さんのことが好き過ぎて、頭がおかしくなりそうなんだって。ヤミカさんはシロガネさんと燃え上がる感じだったんじゃない?」
ヤミカさんは私の顔を見て目を大きく見開いた。
「なっ…!突然どうしたの!?私はそんなんじゃないから…!!」
けれどもヤミカさんは耳まで赤くなっていた。
「マソホの方こそ…!前前世からなんでしょ?それに…近くに本人がいるのにそんな話しないでよ!!」
コソコソとヤミカさんは言ったのに、そのときシロガネさんがこちらを振り返ってニヤリと笑った。
「ヤミカ、素直じゃないねぇ。あんなに熱く燃え上がったのに忘れたとは言わせないよ?ペコ、デート楽しかったんだろ?だったら、また次のデートを楽しみに頑張ればいいじゃん。どうしても一人で眠りたくない夜は、范を呼んでみるからさ。それにしても范も忙しいよね。男になったり女になったり…だから呼べなくても怒るなよ?」
ペコくんはシロガネさんの言葉に神妙な顔をして頷いた。
「そろそろ帰りましょうか。シラタマもアオハも行きますよ」
どこからともなくシラタマと共に現れた見たことのない子どもに気付いてペコくんは驚いたような顔をした。
「あ、この子は私の式神でアオハって名前にしたの。生きていた頃に少し縁のあったカエルなの」
アオハは私の言葉を聞くとくるりと回って小さなカエルの姿になって私の肩の上に着地する。ペコくんは目を見張る。
「式神!?この子…マソホさんの式神なんですか!?式神がいるってなんか格好いい!!クロさん!僕も式神…そのうち持てるようになりますか!?」
急に元気になったペコくんの勢いに押され気味になりながらも、クロさんは頷いた。
「えぇ…すぐにとはいきませんが…統括が持たせてもいいと判断した研修生には、式神と契約できるように付き添って指導しますよ。現世でやるよりもこちらの方が契約はしやすいでしょうし。ですから今は講座の数をこなして成長するのみですね。魂に講座の履歴が増えれば増えるほどペコさんの魂も成長しますから…理想の姿に近付く日も早くなると思います」
クロさんが微笑むとペコくんは目を輝かせて言った。
「また目標ができました!やった!頑張らなくちゃ!」
ペコくんの切り替えの早さは小学生故なのか、それとも式神を持てる可能性があると分かったからなのか、よく分からなかったけれど、元気になってくれて私はホッとした。クロさんが歩きながらペコくんに向かって静かに声をかけた。
「帰ったら、ペコさんに大事な話があります。明日になったら全員に公表されますが、元々関係者だったペコさんには先に知る権利があると思いますから、話を聞いて下さいね」
クロさんは優しく言った。私のホッとした気分は再び不安に変わる。元々関係者だと言ったからには、あの件しかないだろうと思った。ペコくんがショックを受けないといいけれど、と私は思いながら、茜色に染まる空を見上げた。




