死神の戦法
私がクロさんと共に喫茶店に戻るとまだペコくんは戻ってきていなかった。クロさんが携帯電話を見て苦笑する。もう三十分下さいと范さんから連絡が入っていたからだった。
私の手の中のカエルを見たヤミカさんは意外にも怖がらずに、じっと観察を始めた。カエルは平気のようだ。
「こんな風にじっくりと見る機会ってなかったから…」
ヤミカさんが言うとシロガネさんは笑った。
「昔なんかその辺カエルだらけで、あちこちにいたんだけどなぁ。雨降ったら窓にくっついてたりしてね。ヤミカやマソホちゃんの世代じゃ、カエルすら簡単には見れない世の中になってるんだねぇ」
私はなんとなくカエルの頭の部分を撫でてみた。カエルは大人しく私の手の中にいて逃げなかった。ところがシラタマがやってきて私の手の中を覗き込んだ瞬間、思いもよらない異変が起こった。
「わぁ!カエルだ!」
シラタマはひょいと私の手の中からカエルを掴み取ると光に透かすように目の前に掲げた。手足をバタつかせたカエルはそこで突然鳴いた。
「ケロッ!こら、離せよっ!僕はマソホの式神なんだっ!」
「僕だってお父さんの式神だよ。式神歴で言ったら大先輩だ!もっと敬え!」
シラタマの手の中で暴れたカエルは突然緑のティーシャツにデニムのハーフパンツ姿の少年になった。黒目がちな大きな瞳で私を見つめる。少年はニッと笑った。どことなく笑みがカエルっぽい。
「え…?アオハ…なの?」
「うん、そうだよ。あのときマソホが助けたオタマジャクシだよ。お陰で僕はあの後、たくさん餌を食べて大きくなったんだ。手足が出て窓のすき間から逃げたから、大人になった姿は見せられなかったけどさ」
アオハはぴょんと跳んで私の膝の上に座ると、シラタマに向かって余裕の笑みを浮かべた。
「シラタマ兄ちゃん、これからよろしくね。でも僕はマソホを一番に思ってるからこの膝の上は僕の場所だよ!」
シラタマはムッとした顔をして、クロさんの袖を引く。
「お父さん、こいつ可愛くない…蛇になって飲んでもいい?」
クロさんはシラタマの顔を見下ろして困ったように首を横に振る。
「曲がりなりにも式神だから、飲むとシラタマはお腹を壊すよ?無害そうに見えても弱肉強食の水槽の中で生き残った魂だからね。人ではない生き物たちの本性を見誤ってはいけないよ?」
「……」
シラタマは忌々しいといった顔付きで拳を握ると親指を立てて下に向かって下げた。
「僕はそんな挑発には乗らないよ」
アオハは私の膝の上で子どもらしくプラプラと足を振りながら、クロさんを見上げた。
「ねぇ、死神の先生、僕にも人の形での戦い方教えて?ちゃんと人間のことも勉強したいんだ」
「やっぱり主人が真面目だと式神も似るもんなのかなぁ。勉強熱心で何よりだよ。それでいくと俺は不真面目な魂を引き寄せそうだなぁ…」
シロガネさんがアオハと私を交互に見ながらそんなことを言う。私にはよく分からなかったけれども、式神になる魂についての説明を受けていたらしいヤミカさんは少し上を向いて考えていた。
「私…生き物と関わってこなかったから…分からない。思い当たる魂って言われても…本当にないかもしれない…」
「クロさん、そういう場合って他にもあるんでしょ?生き物じゃなくても生前大切にしていたものとか…」
「…え?大切にしてたもの?そういう物でも式神になるの?」
ヤミカさんは目を丸くする。クロさんは頷いた。
「そうですね。大切に使っていた道具には魂が宿ると聞いたことはありませんか?古くは付喪神と呼んで…百年を経た道具には魂が宿るなどと言っていましたが…消費社会の現代においては長い歳月を経る間もなく次々と新しい物が生み出されては消えていきますから、考え方自体としては古いのかもしれませんね。端的に言ってしまえばヤミカさんの心次第です。ヤミカさんの心に何が残っているか。それを呼び寄せると思えば早いかもしれませんね。大切に使っていた何か…ヒントはそれですね。思い出したなら私に教えて下さい。物の方が生き物よりも契約は比較的簡単かもしれません。ただ、別の誰かが大切にしていたもので、それにもしも思い入れがあった場合は要注意です。己の物にするには少々骨の折れる作業がありますから、最初の式神にするには不向きですね。もう少し慣れてきたら教えます…この術式をうまく使いこなせば…将来的には悪魔の得物を自分の支配下に置くことも可能なのではないかと、私は考えています…」
クロさんは最後にサラッと恐ろしいことを言って微笑んだ。黙って話を聞いていたクジョウさんも、その言葉に恐れをなしたのが私にも伝わった。シロガネさんは首を横に振る。
「クロさんが言うと洒落になんないからなぁ。でもハイアオの二の舞になんないでよ?あいつが少しおかしくなったのは、悪魔の得物を自分の鎌にしたときからじゃないか。理論上やれると分かっていても、ハイアオを見ていたらクロさんだって積極的にやりたいとは思わないだろ?」
シロガネさんの言葉に一番驚いたのは私だった。私はハイアオさんの鎌が死神の作り出した鎌だとずっと思っていたからだった。研修生のブローチの石の散りばめられた恐ろしい鎌を思い出す。けれども言われてみれば確かにあの鎌は異質だった。悪魔の得物だったと言われてようやく納得した部分もあった。何と言っても研修生の魂を集めて閉じ込めている鎌だ。なのに統括が何の措置を取らないのもおかしいとは思っていた。
「やりたいかどうかで言うならやりたくはないに決まっていますよ。でも万が一、魂の回収の際に悪魔と戦うことになった場合を想定するならこの戦法でしか勝ち残る術はないのかもしれないとも…私は思っていますよ。現に悪魔をそれで倒したのが彼ですから。自分の魂をむざむざと喰われて悪魔の力にされてしまうくらいなら、死神として逸脱した存在となろうとも、何が何でも喰われずにここに戻る手段を持っておかなければならない…悪魔の湧きやすい米国でいったい何人の優秀な死神を失ったのか…呪術と死神の力の融合をあちらはすでにそれこそが悪魔的な手法だと非難しますが、統括も腹を括ったのだと思います。悪魔の花嫁となって悪魔の中で己の魂を生かし続ける死神が現れてしまったのですから当然といえば当然ですね」
「…あぁ、どうせ公表されることだしね。ササメだよ。悪魔に攫われた。ササメはスズの魂を悪魔に差し出して、自分が花嫁になった。幼い無垢な魂を喰うのを好む悪魔もいる。ササメは死神としては中級程度だけど、悪魔と一つになったらさすがに強くなる…肉体のない無防備な魂がうじゃうじゃしているここは、悪魔にとっちゃいい餌場だから…そのうちまた狙ってくる可能性も高い…」
私とヤミカさんはシロガネさんの言葉に思わず息を飲んでしまった。ササメさんはスズさんを助けたのではなかったのだと知ってしまったからだった。ササメさんがスズさんを犠牲にして自分の魂を残したのだという事実に私は呆然としてしまい、その一方でササメさんが自己犠牲を選ばなかったことを自分が非難できる立場ににはないことも痛いほどに分かってしまった。自分が同じ状況に直面した場合、相手を助けて自分が消えることを選べるかと言ったら、私には自信がなかった。ただ、もしも、その相手がクロさんだったなら私は迷わずクロさんの魂を残したいと思うだろうとは思った。同時にクロさんも私の魂を残すことに賭けるに違いない、そうも思った。結局、どちらかを犠牲にせずに両方の魂を残すためには戦って勝つしか道は残されていないのだ。だったら。
「私は…別の誰かの大切な物を自分の式神にするやり方も…知りたいです。それで、その相手が傷付かないといいんですけど…そんな都合の良い話ではないですよね」
私が言うとヤミカさんは少し驚いた顔をした。
「そうですね。自分の大切に使っていたものが奪われるところを想像してみて下さい。やはり腹が立ったり悔しかったり…そういう思いはすると思いますよ」
「あの…変な質問なんですけど…呪術で…死神の鎌も奪えますか?」
私の言葉にクロさんとシロガネさんは表情こそ動かさなかったが、何を言い出すのかと思ったに違いなかった。クロさんは沈黙する。
「それこそ、理論上はできるんだろうけど、やったことはないな。没収が可能なんだから、そこから呪術で自分のものにしてしまえば…でも何だろうなぁ…」
シロガネさんはブルッと身震いした。
「生理的に受け付けないってやつなのかな。どう思う?クロさんは」
クロさんはしばらく黙っていたがやがて口を開くと意外なことを言った。
「マソホさんになら私の鎌を奪われても、まぁ仕方ないなと思うかもしれませんね」
「仕方ないなって…それで済ませられるんだ、クロさんは。いやいや本日最大ののろけを聞かせてもらった気分だよ。やっぱり愛されてるね、マソホちゃんは」
それでどうして愛の話になるのか私にはよく分からなかったけれども、シロガネさんに言われると私にとってはちょっとした疑問で口に出した言葉だったけれども、死神にはとても恥ずかしいことの何かに抵触してしまった気がした。それが何かは分からなかったけれども、クロさんの返答に対してシロガネさんがのろけと表現した点も鑑みて、通常では話題にしない繊細な内容を含む話なのだろうということだけは理解できた。




