生前の縁(えにし)
私たちがクジョウさんの反応に笑っていると、クロさんがシラタマと共に喫茶店に戻ってきた。後ろから范さんとペコくんが姿を現す。私はペコくんだとは分かったものの、その姿を見て驚いた。
「成長してる…!」
ペコくんが中学生くらいの姿になっていることにヤミカさんもクジョウさんも驚きを隠せない様子だった。シロガネさんだけが余裕の微笑みを浮かべる。
「ペコ!中身にちょっとは外見が追いついたってとこかな」
「もう少し大人になりたかったんですけど、やっぱり難しいですね。高校生くらいをイメージしたつもりだったのに、ここまでしか伸びませんでした」
ペコくんはそう言って笑う。
「で?シオミの件は片付いたの?」
「えぇ…警備隊に引き渡しました。今日は戦闘部隊のサギリさんが当番に入っていたので、マソホさんに怖い思いをさせて申し訳ありませんでしたと伝えてほしいと言われましたよ」
クロさんが私の方を見て言った。
「謝るくらいなら、あんなことするなって話だよ」
シロガネさんが言う。ヤミカさんが不審そうな顔付きになったので、シロガネさんが説明した。
「出産を終えて間もなく襲われたの。サギリも女にも男にも両方なれるからさ。まさかあのタイミングでベニの友人だった奴が男になって襲うとは思わなかったから、こっちも油断してたんだけどさ。そっか、ヤミカはあのとき、メイゲツについててくれてたから…知らなかったのか」
「マソホ、そうだったの!?」
「あーうん…でも、大丈夫だったから。キスされたところで、シロガネさんとクジョウさんが来てくれたから…」
「両手押さえつけられてあの状態は大丈夫とは言わないよ…ってクロさん?」
「…いえ…なんでもありませんよ」
穏やかな顔をしているのに、何だかクロさんの気配が怖いような気がした。シラタマが私の方に駆け寄ってくる。
「やはり…先ほどもう少し問いつめるべきでしたか…」
「お父さん怒ってるよ?」
「う…うん…」
私はシラタマを抱き寄せたまま、クロさんの顔を恐る恐る見上げる。クロさんは私の顔を見ると、やがて深いため息をついて首を横に振った。
「マソホさんは誰かに両手を拘束されてキスをされても、大丈夫だと言うんですね…困りましたね、本当に」
「あの…すみません。出産を終えて安堵して…少し気が緩んでいたのは事実なので…もっと、警戒しておくべきだったと思います…」
「あの…この状況で…これを言うのも空気を読まない発言なのですが、私もあまり時間に余裕がないので、一時間ほどペコさんを連れ出してもいいでしょうか?」
范さんが遠慮がちにクロさんにそう言ってペコくんの手を握る。ペコくんは顔を赤らめた。
「あ…あぁ、はい、それでは一時間ほどよろしくお願いします。また喫茶店に戻ってきて下さい。初デートですか?楽しんできて下さいね」
サラッとクロさんが言って二人を喫茶店から見送る。クジョウさんが何とも言えない表情を浮かべていた。
「デート…なんですか?保護者同伴って風でしたけど…いやぁ、まだまだ分からないことだらけですね」
「ペコくんは范さんのことが好きだから中学生の姿まで大きくなったんだと思いますけど。少しでも釣り合いたくて」
私が言うとクジョウさんは、うーんと唸り声を上げた。その間にクロさんが近くに歩み寄ってきた。シラタマは私の手を引いて立ち上がらせるとなぜか私の背中を押してクロさんの方にくっつける。
「お父さんもお母さんとデートしてきたら?僕は留守番してるからさ」
「…あの…」
私はどうしていいのか分からなかった。
「シロガネさん、私たちも少々外します。ペコさんが戻る頃にはまた顔を出します。シラタマ、ありがとう。行きますよ、マソホさん」
「えっ?」
私はクロさんに手を引かれた。
「いってらっしゃい。別に遅くなっても構わないよ」
シロガネさんの笑い声が背中に聞こえた。
***
どこに行くのかと思ったら、クロさんは私の手を引いてそのまま、以前も使った停留所に来た。やがて前と同じ小型のバスのような乗り物が到着した。中に乗り込んだクロさんはやはり片手を伸ばして私の手を握る。以前見えた乗客は影のような姿だったのに、今日はほぼ人の姿をしていた。それでも何となく生きている人間と違うのは少し獣の耳がついていたり、手の形が違ったり、話すとカメレオンのように長い舌が出たりと、違和感はあった。大きさもバラバラだ。
「死神だよ。隣は誰だ?」
「コレだろ。決まってる」
カメレオンの舌の男が小指を立てる。
「あぁ…旨そうなのに、手も足も出ねぇ…」
「毎回毎回、失礼ですね。気にしなくていいですからね」
クロさんが言うので私は頷いた。あまり余計なことは喋らない方が良さそうだと思ったからだった。
「…式神にするには我が強過ぎますから…もう少し遠出します。教育するにも時間がかかりそうだ…」
クロさんが胸元のブローチに触れると周囲の声が遠ざかって聞こえなくなった。周りも見えなくなる。クロさんはおもむろに私のあごに指をかけると、突然キスをしてきた。こんな場所で?と私は慌てる。
「見えていませんから、気にしなくて大丈夫です」
「そ、そういう問題じゃ…ありません!」
私が慌てて離れようとするとクロさんは人の悪い笑みを浮かべた。
「私から離れない方がいいですよ。うっかりあちら側に転がり落ちると探すのが大変なんです」
「えっ!?」
クロさんは私の肩を抱く。
「まぁ、転がり落ちても私とマソホさんは赤い糸で繋がってますから…他の方々よりは見つけやすいですが…」
私はクロさんにぴたりとくっついたまましばらくバスに揺られていた。しばらくしてバスは停留所に停まる。クロさんが私の手を引いて席を立った。
走り去るバスの中はいつの間にか無人になっている。私は辺りを見回して、近くの小高い丘に見覚えのあるガジュマルの木を見つけた。
「あ…あの木…」
「えぇ。この辺りでいいでしょう。マソホさんがこれ、と思う魂を見つけたら教えて下さい」
「え?どういうことですか?」
「マソホさんの式神にするんですよ。契約して縛ります。シロガネさんから聞きましたよね。呪禁師としても基礎を学ばせると」
「その話は聞きましたけど…そんな急に言われても…」
「マソホさんはできるんですよ。私を信じて下さい」
以前ここには異形化した生霊が来てしまった。私とクロさんは並んでガジュマルの木の下に座る。クロさんは手を繋いでいた。端から見れば穏やかな午後のピクニックのように見えなくもない。ゆったりと流れる雲と青空を見ていると、その中にふわふわと漂う何かが見えた。時折光る。
「何か…飛んでますね」
「はい、たくさんいますよ。見つけてほしい魂はマソホさんに向かってあんな風にアピールします。主にマソホさんが過去に関わった魂です」
「私が…?」
「はい、何らかの縁がある魂の方がやはり惹きつけられますから…たとえば、可愛がったペットだとか…そういった存在…ですね…」
私は思い出そうとしたけれど、そもそもペットを飼うような状況ではなかったから、自分で何かを飼ったことはないのだった。
「私…何も飼っていなかったし…」
けれどもそこで私は唐突にクラスメイトが水槽を洗っている光景を思い出した。学校で生物係をやっていた頃の記憶だ。流した水と共に中にまだ水槽の中に隠れていたオタマジャクシの一匹が排水口に流れ込みそうになったのを私は慌てて手でせき止めていた。ほぼ反射的に。やっとのことですくい上げた記憶が蘇る。それで小さなオタマジャクシは排水口には消えずに済んだ。そういえば、あのオタマジャクシたちはどうなったのだろう。脚が生えた辺りから気づけば水槽から消えていた。逃げたのだったか。それとも。
いや、今の自分なら狭い水槽にたくさんいたオタマジャクシが何を始めるのかを知識として知っていた。共食いだ。そうやって強い個体が生き残る。最後に生き残ったのは、どのオタマジャクシだったのだろう。
「降りてきましたよ。手始めに一つ繋ぎましょうか」
クロさんはどこからともなく長い虫取り網を取り出してふわふわと漂う薄緑のそれを網で捕らえた。
「マソホさん、両手をかざしてみて下さい。あなたの思い出した記憶の魂だと思います…」
網の中にいるのは緑色の小さなカエルだった。網から出すとカエルは大きな黒い目で私を見上げて喉元をヒクヒクとさせた。少し現実のカエルと違う気がするのは、私の意識の問題だろうか。
「まだ降りてきたばかりですから人の言葉を話せるようにはなりませんが…両生類でしたら下手な哺乳類よりも扱いやすい点もありますから…手始めとしては悪くはないでしょう。おあつらえ向きですね。偶然にも蠱毒を作る環境が小学校の水槽の中にも存在した…その過酷な環境で生き残るのは兄弟の捕食を逃れた強い個体のみ…あなたの手に触れたことで、その魂は他の兄弟よりも強くなり生き残りをかけた戦いに勝ち残りました…」
「名付けてあげて下さい、マソホさん」
「えっ…と。そんな急に言われても…」
私は緑の物を連想する。新緑、若葉、青葉…アオバ…アオハ…。
「アオハ…はどうですか?」
カエルが小さく鳴くのが聞こえた。同意したのだろうか。
「良さそうですね。今日のところは、これでいいでしょう…」
「ヤミカさん…また悲鳴を上げないといいんですけど…」
私は手のひらの上のカエルを見つめる。私は可愛いと思うけれど人の感性はそれぞれだ。しかも、ここにきて私は重要なことを思い出した。
「クロさん、大変!シラタマって、蛇になりますよね!?アオハを飲んじゃったりしませんか!?」
「あぁ…それは…」
クロさんは面白そうに笑った。
「飲むかもしれません。でも式神になった時点でその魂を消化することは難しくなりますから、大丈夫ですよ。マソホさんの契約が働きますから…」
「でも…飲む可能性はあるんですね…」
私は本当に大丈夫なのだろうかと不安になりながら、帰りのバスに揺られることになった。手の中のカエルは少しひんやりとして大人しかった。




