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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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偏見と事実

「あぁぁ…緊張した…」


 シオミの姿が見えなくなるとペコはずるずるとその場に脱力して座り込みそうになった。范が慌ててその身体を支える。


「大丈夫ですか?少し…やり過ぎましたか?」


「……」


 ペコは上目遣いに范を睨んだ。范のキスは気持ちいい。本物の大人のキスだ。ペコの欲しいキスだった。身体から力が抜けそうになるのを必死で耐えていたのに相手は涼しい顔をしている。大人の余裕を見せつけられたようで面白くなかった。


「そんな可愛らしい顔で睨んでも私は怖くありませんよ?」


 范はどこか嬉しそうにそう言ってペコの顔を覗き込むとコツンと額をくっつけた。ペコは赤くなる。ペコは照れ隠しのように顔を背けると口を開く。


「…シオミはやっぱり少年の僕が気になってたんだよ。でもそうじゃないと分かって混乱もしてた…まだ女嫌いなのを認めたくないんだと思う。さっさと素直になればいいのに」


「彼は母親に対する憎悪がまだ根深く残っているのでしょうね。指導官を変える必要がありそうです。ペコさんが女性の顔を見せたとたんに否定しましたからね…」


 クロの言葉に范も頷いた。頷きながらペコの頭を撫でる。


「僕はこうやって簡単にキスしちゃう小学生なのにさ…勝手に清らかなイメージ持たれても迷惑…」


 ペコは唇を尖らせた。


「誰彼構わずキスしたい訳じゃないでしょう?范さんにだけと決めておけるなら異形化は抑えられますから安心して下さい」


 シラタマを抱き上げたクロはそう言ってペコの頭を撫でた。


「仕方がありませんよ。むしろ今までよく我慢していた方だと思いますよ。正直に話してくれたからこそ、対応ができることもありますから…」


 范にどうしても会いたいとペコから打ち明けられたときは少し驚いたが、とても言いにくいことを懸命に言葉にするペコと向き合ったクロは迷わずに范に連絡を取った。范の対応が早かったお陰でペコは異形化を止められた。震えるペコにキスをねだられた。クロから聞いていたから范は迷わなかった。異例の対応ではある。けれども本当にそれでペコの心は驚くほど安定し元の姿に戻った。クロはマソホを見ていてから同じ対応が効くかもしれないと当たりをつけただけだったが、見事に的中した。


「マソホさんの出産が…ペコさんの実の親がもうじき迎える出産と重なったのでしょうね。自分が死んだことで母親は逮捕されお腹の子は親のいない子になる…ペコさんなりの罪悪感があったのでしょう。そんなことを思う必要はないのに…子どもというものは…自分を責めたがるものです。自分の落ち度が親の瞳を曇らせているだけだと…本当はもっと愛されるはずだったのだと…見殺しにされたのに、そう感じている子を何人も見てきましたから…」


 范を呼んだときクロはそう言った。ペコに足りていないのはペコただ一人に向けられる愛情なのだ。クロでは果たせない。マソホでも果たせない。そして今一番それが可能な距離にいるのは范なのだった。


「ペコ…」


 范はペコを抱きしめる。ペコはその腕の温もりに安堵した。異形化しかかったときの恐怖から救ってくれたのは范だった。


「范さん…僕…小学生のくせにこんなことを望んで…なのに、それに律儀に相手をしてくれて…嬉しい…」


「…いいんですよ。ペコが死神になるのに頑張って勉強をしているのは知っていますから…キスは…ちょっとしたご褒美だとでも思っておけばいいんです」


 范がペコの頭を撫でるとペコの身長が少し伸びた。更に伸びたペコは中学生ほどの姿になる。范は感心した。


「おやおや、もう使えるようになってしまいましたか」


「うーん、もう少し大人になるつもりだったのに、イメージを反映するのって思ったよりも難しい!」


 ペコは少し近付いた身長のまま范を見上げた。


「早く范さんに釣り合う姿になりたいのに…だって僕のせいで悪く言われるでしょ?」


「私の評判を気にしているのですか?そんなことでしたら…私はそれを気にするほどの繊細さはとっくの昔に捨ててきてしまったので平気ですよ。でも、私のことまで考えてくれたその優しさには感謝します」


 范はそう言って中学生姿のペコをもう一度抱きしめた。



***



 私はその頃、喫茶店でクロさんとシラタマの帰りを待っていた。クジョウさんも部屋ではなく喫茶店の方に降りてきたのは、なんとなく何か起こった場合に備えてくれているのかもしれないと私は思った。休憩中のシロガネさんがスマホを見ながら、さっそく入寮希望者が現れたと言って笑った。


「もちろん、誰でもオーケーする訳じゃないから安心して。担当の死神とも話し合うし、一週間のお試しで本人が暮らしていけそうだったら、そうするって話なんだけど…あれ?この子って確か…通報してくれた子じゃなかったかな?今は病院のはずだけど…」


「えっ?病院?」


 近くで私の貸した本を読んでいたヤミカさんが顔を上げる。


「そう。ペコの件で、シオミを止めようとして鎌でお腹を滅多刺しに…って、あ!ゴメンね、マソホちゃん」


「大丈夫ですよ。その方がどんな亡くなり方をしたのかは知りませんから、刺された経験がないとかなり怖かったんじゃないかな…って思ったりしますけど、連絡して来れるってことは…大丈夫なんですか?」


「うーん、どうだろうね。その友だちらしき人が入寮希望を出してて、本人の代理でもう一人いますって名前を書き込みしてるから…恐らく会話はできるんだろうけど…とりあえず友だちの方に返信しとくか」


 シロガネさんは素早く返信をすると、間髪をいれずに再びピロンと音が鳴った。


「若者は反応が早いなぁ…」


 シロガネさんが笑う。近くで新聞を開いていたクジョウさんもニヤリとした。


「十分若者みたいな見た目で言われると、やっぱり変な感じですねぇ」


「まーそこんとこは、慣れてよ。クロさんよりは、頑張ってついていってるつもりだけど、なかなかね…」


「あぁ、クロさんは、昔ながらの携帯電話の方が落ち着くって言ってましたから…レトロで一周回って私は面白いなって思いますけど。あの時代の携帯電話って、自分で音楽が作れたりもしたんですね。クロさんの携帯電話が鳴ってるときに知らない曲ばかり流れるから、なんて曲ですかって聞いたら、自分で作ったって言われてびっくりしました。正真正銘クロさんが一から考えて作った曲だったんです…」


 私が言うとシロガネさんは驚いた顔をした。


「えー意外だなぁ。俺なんか音楽やってたのに、その機能知ってても一回も使わなかった気がする…」


「え?音楽やってんですか?」


 クジョウさんが目を丸くする。


「一時期バンド組むのが流行ってた時代があってさ。家業そっちのけでやってたから、まーどやされたけど、そういう人が集まる場所って、違うものも寄ってきやすいからライブ会場のお祓い係も兼ねてたんだよ。謎の機材の不調とかね」


「なんでもやってますねぇ、シロガネさんって」


「クロさんは真逆の真面目くんだったから、もうその頃には日本全国回って仕事してたよ。ま、だから生きてた頃はこんなに仲良くもなかった。俺は本家の不良の呪禁師でクロさんは分家なのに俺の分まで背負わされて期待されて…まーそりゃ恨まれる要素はあっても好かれる要素なんて全くないよね。死んでからだよ。お互い分かり合えたのは。俺とクロさんの掛け違えていたボタンを一個ずつベニが戻してくれた。ヤミカとマソホちゃんのお陰で、俺もクロさんもハイアオとは違う道を選ぶことができたから…二人には感謝してるんだよ」


 私とヤミカさんは思わずお互いの顔を見合わせる。シロガネさんは言った。


「でもそのせいで、ベニは引き裂かれてシシュウの呪詛を受けた。魂に絡みついたその痕跡に現代の術師としては未熟な能力者が惹きつけられた…俺とクロさんは少なくともそう思っている。統括には否定されたけど、二人が若くして再び呪詛の影響で凄惨な死に直面することになったのは、俺とクロさんの責任なんだと俺たちは思っている。だから次は別の縁で縛ることに決めたんだよ。呪詛に対抗しうる力があるとしたら、これ以外にないと思った…」


 シロガネさんはそう言って小指を出した。赤い糸が見える。ヤミカさんと繋がった糸だった。


「まーそれで、俺もちょっとこれから目を背けてきた部分とそろそろ向き合おうかなと思ってさ。これから時々統括のとこで呪禁師としての勉強をし直すことにした」


「え?」


 私とヤミカさんは同時にシロガネさんの顔を見返す。


「で、俺とクロさんとで、ヤミカとマソホちゃんには呪禁師として最低限の基礎から使えるように指導する。この先一部の研修生にも呪術の解放を許可することになると思うんだ。悪魔と対抗するにもその方が強いからさ。まずは二人が試す。ま、その次は…クジョウかな」


「は?そこになんでいきなり名前を出すんですか!?」


「いや、だって、サギリに対して何のためらいもなくかかっていったからさ。サギリもあぁ見えて術師の系統だから、通常の研修生は反射的に近付きたくないって防衛本能が先に働くから、あぁいう風には動けないんだよ。少なくとも素質があるってこと」


「いやいや、あれはだって、マソホさんが襲われてたから…そんなのを見たら誰だって…」


「誰だってじゃないんだな、これが」


 シロガネさんが言った。


「何のためらいもなく行けるってだけでも、ハードル高いんだよ。マソホちゃんはそれを体験してるから分かると思うけどさ。周りにどれだけ人がいたって、助けるどころか逃げる。俺の死に方もマソホちゃんと同じだったからさ」


「えっ?シロガネさんも…だったんですか?」 


「うん、俺も滅多刺し。人相も分からないくらいにね。ま、人相分からないって点ではクロさんも一緒だけどさ。クロさんの方はヤミカに似てるよ。撲殺だった。もーここまできて何の因果もないって言われてもさ。呪詛の影響なんじゃないかって思っちゃうでしょ。こっちとしては」


「…クロさんが…撲殺…」


 ヤミカさんはどこか痛みを堪えるような表情を浮かべた。そうしてなぜかクジョウさんに向かって言った。


「噂でどこまで聞いたか分かりませんけど、尾ひれがついてないことを祈るのみです。知りたいなら遠慮せずに直接聞いて下さい。私はストーカーに撲殺されました。お腹の中に受精卵まで残った状態で死んだから、二人分の魂にカウントされて、こっちとしては迷惑でしかなかったです。病院で取り出したからもう何も残ってはいませんけど。男遊びが激しかったなんて噂は嘘です。他に知りたいことありますか?」


「えっ…いや…すみませんでした。不快にさせましたね…」


 クジョウさんは頭を下げた。ヤミカさんはつんと澄ましたままで言う。


「別に私はクジョウさんを歓迎してないなんてことはないです。マソホだってそうだと思う。でも周りは色々勝手に想像してこれから先も、寮を利用する限りクジョウさんについても勝手な憶測で色々喋るとは思います。私たちが親しく話すような間柄になったら余計にクジョウさんは嫌なことを言われるのは目に見えてます。ですよね?シロガネさん」


「まぁ…そうなるだろうね。クジョウも目立つからさ。なんだかんだ言ってそのガタイの良さはねー年齢問わず男は羨ましいって思う訳だし。要するにやっかみだよ。特別区にいるってだけでもなんだかんだ言われるのと、その見た目で無駄にこの先も絡まれるんだろうから、それなら呪禁師の技を身につけて強くなっておいた方が死神になったときも堂々と若い女の子と仲良くなれるし文句言われないってこと」


「えぇ?いや、そりゃないでしょう。何も女の子がいる前でそんなこと言わないで下さいよ。結局それ目的みたいな最低な男じゃないですか!」


「…別にそれが目的の研修生も知ってますよ。なんとなく格好いいからとか、始めた理由なんてわりと周りだって適当です。だから若い女の子目的でも、仕事さえちゃんとしていればシロガネさんみたいに見えるってことでしょう?」


「ん?ヤミカ?なんか棘のある言い方だなぁ?」


 澄ましたヤミカさんは少しだけシロガネさんを睨んだ。


「イケオジの格好していたときから、なんとなく分かってましたから。そういうのって、やっぱり同じ空間にいたら伝わってきますよ?想像したよりは…ずっと後でしたけど。だから、シロガネさんの我慢に免じてこれ以上は言いません」


 ヤミカさんの言葉にシロガネさんとクジョウさんは大きなため息をついた。


「何年経っても女性には敵わないって思いますね…別れたカミさんもそうでした…」


 クジョウさんは天井を仰いで敗北したかのような声を上げた。

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