虚像
シラタマはペコの姿でぷらぷらと歩いて行った。シオミという名の青年はキョロキョロしていたが、すぐにシラタマの姿を見つけて足早に近付いてきた。シラタマはきびすを返して、走り去る。シオミは案の定小走りに追いかけてきた。シラタマは少し走って再び歩く。シオミはシラタマの姿を見るとまた走って追いかけてきた。
「ペコ!なんで逃げるの!?」
シラタマは建物の間をすり抜けて今は開いていない洋菓子店の隣の店のドアを開けて中に入り込んだ。布で覆われたショーケースの後ろに入り込む。すぐに店のドアが開いてシオミの入ってくる気配がした。シャキンと金属音が鳴る。シオミが鎖鎌を出した音だった。
シオミは第五階級の研修生だ。すでに何度も指導官と共に魂の回収を行っている。しゃがんでいるシラタマには床の近くに鎌の先端部分が見えていた。薄暗い店内で鈍い光を放つ。
「ペコ、出ておいで、話をしよう」
シラタマは不意に背後に父親の気配を感じた。振り返ると彼は頷いた。シラタマは立ち上がった。
「その鎌…しまってよ…」
「ペコ…僕の気持ちは分かってるでしょ?僕が第二階級になったら君を迎えに行くから…そのときまで誰にも身体を許しちゃダメなのに…どうして破ったの?僕と約束したよね?どうして僕の気持ちを踏みにじるの?」
「…そんな約束してないよ。キスされたくらいで怒らないで」
シラタマの言葉にシオミは怒りをあらわにした。
「キス!!そうだよ…!僕の知ってるペコはそんなことしない…あのキスした死神が悪いんだ…点数を下げるために僕のペコを汚いことに利用して…!!」
僕のペコ。シラタマはその言い方に嫌な気分になる。
「僕の魂はシオミのものじゃないよ。第一、僕たちは付き合ってもいないし、大して話だってしたことなかったじゃない。なのにどうしていつの間に、そんな解釈になってるの?」
「ペコは運命なんだよ!見た瞬間にそう思った。だから今日こそ糸を繋ぐんだ。君に僕の赤い糸を…!」
シオミは鎌の先端で小指の先端に傷をつけた。ポタポタと垂れる血を使って彼は糸にした。その糸がするすると伸びてくる。こんな使い方もできるんだなと、シラタマは少し感心したくらいだった。
「そこまでです、シオミさん」
シラタマに向かって伸びてきた糸はクロガネが手を向けるとそこで再び液体化してパタパタと床に飛び散った。
「な…!邪魔するな!ペコと結ばれるのは僕なんだ!!」
「赤い糸はそんな風にしても現れませんよ。心が通い合わないとあなただけにその糸は見えても誰にも繋がりません。一方的にペコさんは自分のものだと主張するだけでは、ペコさんどころか誰の心も手に入らないんですよ?あなたは糸を繋げるだけペコさんと会話を重ねましたか?あなたと話していてペコさんは笑いましたか?あなたのことが好きだと…一言でも言いましたか?」
「うるさい!あんたに何が分かるんだ!」
「分かりますよ?私は今はペコさんの指導官ですから。ペコさんのことなら何でも知っています。あなたが知らないようなことでも…ペコさんは残念ながら、あなたとは結ばれたいとは思っていません。今ペコさんには個人指導を予約した死神がいますから、あなたが無理矢理何かをしようものなら、即座にその死神が駆けつけますよ。予約とは…そういうものです」
目の前のペコの姿が揺らいで突然見慣れない子どもの姿に変わった。
「…ごめんね、僕、ペコじゃないよ?姿形だけ似ているものを君は追いかけてたんだよ。結局この姿でペコみたいに喋ってたら君は何だっていいってこと。違いすら分からないんだ」
「そんな訳ない…!騙したんだな!僕のペコをどこにやったんだ!」
「君のペコさんじゃありませんよ。それにペコさんはあなたが最初勘違いしていた少年ではありません。少女なんですよ?」
「あぁ…ペコは女の子だった…僕の性癖はやっぱり歪んでなんかいなかったんだ!なのに、あいつ…俺のことをバカにしやがって!絶対にペコじゃなきゃ、ダメなんだよ…!」
シオミは親指の爪を噛みながらぶつぶつとつぶやいた。
「残念ですが、話をするだけ無駄なようですね。あなたは一方的な思い込みをしている…心の治療が必要です」
音もなくドアが開いて黒尽くめの死神が二名現れた。またたく間に一人はシオミの鎌を没収し、もう一人が自由を奪う。シオミは何が起きたのかも分かっていない様子だった。
「研修生へのつきまとい行為はすでに何度も記録されている。君に注意を促した隣室の研修生を鎌で刺してからここに来たことも分かっている。彼が救助要請と同時に連絡をくれたんだ。君にはすでに波紋が出始めている…」
彼を拘束した長身の死神はシラタマを振り返った。
「マソホさんに怖い思いをさせて申し訳なかったと伝えてほしい…」
「…うん、分かったよ」
シラタマはサギリの顔を見上げて頷いた。
「クロさんも…すみませんでした」
「いいえ…皆無事に済みましたから…」
「…ペコ…ペコに…会わせてくれよ!誤解だ…!僕は…!」
シオミが身をよじると身体からうねうねと黒いものがあふれ出た。死神の手がそれを拘束具で封じる。すでにシオミは波紋による異形化が始まっていた。店の外に出るとシオミの知らない男性の死神がペコと共に立っていた。彼はペコの肩に手を触れている。シオミは腹が立った。
「お前…誰だ!!」
「私ですか?私は范です。私がペコと約束をした死神ですよ。元々はハイランクの他の死神が手を出しそうだったので牽制しただけに過ぎませんが…このままでは彼女も危険だったので急きょ駆けつけました」
「…本当に来ると…思わなかった」
ペコは范を見上げて少し照れたような表情を浮かべた。
「…予約はそういった意味もあります。統括が注意のチェックをつけた研修生には…指導官とは別に監視がつくんですよ?その監視から連絡が入りました…ま、少しでも遊んでいる魂に仕事をさせて消滅を防ぐ意味もありますが…」
「あーそっか。ごめんね、シオミ。シオミは本当は僕のことが好きなんじゃないんだよ。今は正常な判断力も低下してる…僕はどうやら監視付きの研修生になっちゃったみたいだからさ…」
ペコは待っている間に、范から説明を受けていた。ペコは少しだけショックを受けていた。自分は何もしていないにも関わらず周りの研修生にまで影響を与えかねない存在だということを言語化されて通達されたからだった。精神年齢のみ高いペコは自身の今の姿と心の間のバランスを保つのが難しい状態にあるらしい。そのゆらぎがシオミのような弱い研修生を惹きつけ、その心のバランスを同様に崩してゆく。積極的に男と関わっていたツブシとは別だが、関わりを避けてもなおペコの周囲には勝手にふらふらと集まってくる分余計に厄介とも言えた。
「監視?意味が分からない…僕は…ペコを愛してる…そこの死神なんかよりもずっと…!!」
シオミは叫んだ。ペコは悲しそうな顔をした。
「ごめん、僕はシオミを愛せないし、シオミも僕を愛せない。正常な判断力が戻ったらきっと分かるよ、今はそれしか言えない…」
「ペコ、キスしようか」
「うん、したい」
范が唐突にそう言ってシオミの目の前でペコに長々と口付けを始める。湿った音が響いてシオミは絶望的な表情を浮かべた。こんなペコは知らない。ペコはこんなことはしないはずだ、そう思ったのに、目の前にいるのはすでに女の顔をしたペコだった。シオミの大嫌いな淫らな女だ。シオミは殴られたような衝撃を受けた。
「残念ながら、シオミさんのランクが上がるのをペコは悠長に待ってはいられないんです…おそらくシオミさんが第二階級になる頃には彼女はあなたを超えている…仮に今あなたがペコと私がしたようなことを行えば、あなたの魂はその形を保てなくなるでしょうね…心を鍛え直して下さい。鎌だけ鋭くしても弱い心は波紋の影響を受けます…」
「分かった…そのペコもニセモノだろう!僕の知ってるペコは簡単に誰かとキスなんかしない!その女は…ペコじゃない!!ニセモノだ!」
「あなたも強情ですね…」
黒尽くめの死神が言ってシオミを引き立てて歩き出す。シオミは暴れようとして失敗した。
「シオミ、僕は本物のペコだよ。本物のペコはこういう女だよ…ガッカリしたでしょ。ごめんね」
シオミの背中に向かってペコが小声でつぶやいた。




