噂
クジョウはさっそく、手に入れた煙草を吸うのにイメージした灰皿を片手にベランダに出た。外から見たときはベランダがあったような気がしなかったが、よくよく考えたら店の裏に面して部屋が配置されているのだった。なんとなくライターをイメージしたがうまくいかず、マッチの方が早く出てきた。火をつけて吸い込む。旨いと思った。空に立ち昇る煙を見る。不意に隣のベランダで窓を開ける小さな物音がして、フブキが顔を覗かせた。
「あ、クジョウさん」
フブキも煙草に火をつける。
「フブキさん…吸うんだね…煙草」
「えぇ…ま、クジョウさんの話を聞いていて、思い出したんですよ。死んでいたら禁煙する必要もないんだな、と。でもミナミはあの姿ですから、それで吸うこと自体に抵抗があるみたいですね…こちらにいた年数的にはもう大人なんですけど亡くなったのが高校時代なので…ま、無理に挑戦する必要もないと思うんですが」
「お二人はどういう関係?って聞いて良かったか?」
「えぇ、別に構いませんよ。生きていた頃は塾の生徒と先生でした。今は付き合っています」
「付き合い始めたのって…死んでから?」
「はい、そうですね。こうならなければ、むしろ出会えませんでしたから…僕は自分をごまかしながら生きていたときよりも今の方が幸せです」
「そっか…みんな色々あるんだなぁ…」
そこでクジョウはやはり本人には聞きにくいことを質問してしまった。
「ね、マソホさんって有名人なの?ただ女優に似てる美人ってだけじゃなくて」
フブキは少し笑った。自分も最初は容姿が似ていて驚いたからだった。
「あーある意味そうかもしれません。ここでは常に死因マウントを取りたがる研修生が一定数存在しますから。とはいえマソホさんの死因を聞いたら皆が口をつぐみます…今は周囲はツブシさんの死因で盛り上がってるかもしれませんが…その前は断トツでマソホさんでしたね。ヤミカさんとセットで…クロさんやシロガネさんといたらやっぱり目立ちますからね」
クジョウはなるほどと思った。確かに目立つ。それにアシシやフブキだっていい男だ。ミナミも可愛い。だから集団でいるとやけに存在感がある。
「ちらっと小耳に挟んじゃったけど、通り魔に惨殺されたとか…死神にも腹を切られたとか…まーみんなよく知ってるね。もちろん知ってますよね?って、おっさんの俺にまでわざわざ声かけてきた奴までいたよ。知らねぇって言ってやったら、シロガネさんが担当なのに知らされてないって、歓迎されてないんじゃないですかーだとさ。うるさいったらないよ」
思わずフブキは笑ってしまった。
「そこまで知っているなら何も言うことはありませんよ。死因は呪詛の影響だそうですけど…自分がクロさんの立場だったらやりきれないなって思いますね。赤い糸の繋がった自分の伴侶が目の前で滅多刺しにされて殺されるのをただ見ているだけなんて…僕には無理かもしれない…」
フブキは煙を吐き出す。クジョウも無言になって空を見上げた。確かに想像もつかない。ふと祖父が亡くなった日の火葬場の煙を思い出す。祖父は天寿を全うした。よく晴れた青空に真っ直ぐに昇る潔い煙。うねうねして風に吹かれる自分の煙とは違った。祖父はもう輪廻の輪に入ってどこかでまた生きているのだろうか。そんな柄にもないことを思う。クジョウにしてみたら死神の一つも経験せずに再び娑婆に生まれ落ちる方が信じられないと思ったが、そういう者もけっこう多いと聞いた。それにシロガネが言っていた。
「死神は…悪魔に喰われたら終わり…か」
ここにいて無為に過ごしても魂は徐々にすり減るし、死神になれたとしても、まかり間違って悪魔に遭遇して喰われたら魂が消滅したりその悪魔の所有物として奴隷のように扱われる場合もあると聞いた。奴隷は嫌だなと思う。
「こんなおっかない仕事、どうして選んだんだ?」
クジョウの問いかけにフブキは煙草を揉み消すと言った。
「クジョウさんこそ、シロガネさんの口車に乗せられたんですか?僕は…最初はちょっと体験してみて合わなかったらやめよう、くらいの軽い気持ちで始めたんです。そこまで本気じゃなかった。そうしたら担当の死神が変わったことでマソホさんやヤミカさんと痛みの訓練が同じグループになって…二人の戦いっぷりを見ていたら殴られたような衝撃を受けて本気になった…ってところですね…僕はいまだに刃物が身体に刺さると胃のあった辺りがヒュッと縮こまるんですけど…マソホさんは反応が違うんです。まるで何も刺さらなかったような…いや違うな。ほんの少し紙で指先を切ったような反応なんですよね。あ、切れちゃった、みたいな。死神の鎌でスッパリ腹を切り裂かれても。あの境地に達してしまえるのは…雪山で遭難した程度の僕の死の記憶では背伸びをしても届かないんじゃないかな…と思いながら今は痛みの訓練で足掻いてるところですよ…」
「痛み…ねぇ…」
「快楽を知る訓練もありますよ?ご存じかと思いますが…僕はミナミがいるから必要ないので受けませんでした。痛みの訓練とほぼ同時期に始まります…死ぬ前に経験不足と見なされた研修生に声がかかるみたいですが…」
「あー、アシシさんが美人の死神と仲良くしてるやつでしょ?ヒサメさん?だっけ。彼女っていい女だよなぁ」
「見てないようで見てますよね、クジョウさんって」
フブキは笑った。けれども次の瞬間に遠くを見つめて、眉をひそめる。その方向に目をやったクジョウは、黒に近いグレーと言われていた青年の姿を発見した。彼は辺りを見回しながら、うろうろと同じ場所を行ったり来たりしていた。
「あれ、ペコくんのストーカーじゃね?」
「そうですね、知らせてきます!」
フブキはベランダから即座に姿を消した。クジョウも煙草を揉み消すと、とりあえずうろうろしている人物から目を離さずに、じっと観察を続けることにした。
***
そのとき私はペコくんと他愛もない話をしながら喫茶店の一階にいた。戻ってきたシロガネさんとクロさんが寮についての打ち合わせを始めたので、なんとなくヤミカさんと一緒にその話を聞いておこうかと思った矢先に、二階から足早にフブキさんが降りてきた。
「来ました!クロさんの言っていた人!ベランダから見えます」
「分かりました」
クロさんが立ち上がり私の膝の上でぷらぷらと子どもらしく足を振っていたシラタマは飛び降りるとすぐにペコくんの姿に変わった。
「おーシラタマ、完璧だな」
シロガネさんが褒めると、シラタマはわずかに微笑んだ。いつものシラタマならもっと嬉しそうな顔をする。だからこれは嬉しいときのペコくんの笑い方だと私は分かった。ペコくんは褒められても素直に嬉しそうにはしない。ペコくんが大袈裟な表情を作るのは外にいるときだけだと私は最近になって分かった。ペコくんが身内と判断している者とそうでない者とに見せる顔付きの違いまでシラタマは表現している。少し不気味なくらいだった。二階に行くと部屋のドアが開いていて、クジョウさんが手招きしていた。
「失礼します」
クロさんに続いて私たちもクジョウさんの部屋に入る。クジョウさんの部屋はきれいに片付いていた。私はベッド横の本棚に並んだ文庫本に気付く。
「あ、このシリーズ…クジョウさんも読んでるんですか?あの…この作家さん、亡くなった後も死神になってシリーズの続きを書いているみたいです。忙しい方のようなのでお会いしたことはまだないんですけど…」
「え?マジで!?それは俄然やる気が出てきたな!今後の目標と楽しみがまた見つかった!」
クジョウさんは嬉しそうに笑う。この人はいつでも表情が豊かだなと私は思った。ヤミカさんも似たようなことを考えていたのか、クジョウさんの顔を見てつられて少し微笑んだ。クロさんはシラタマとすでにベランダに出ている。私はペコくんの手をなんとなく握っていた。
「ペコくん、無理しないでね」
「いや、それを言うならヤミカさんの方が…ストーカーって嫌じゃない?」
「当たり前じゃない。一方的な思い込みでつきまとってくるとか、本当に最悪。私がぶちのめしてやりたいくらい」
「こらこら、勝手に制裁を加えたらヤミカが減点されるからね。とりあえずはクロさんとシラタマに任せて…まずは証拠集めからだよ」
クロさんはいつの間にか望遠レンズのついたカメラで彼を撮影していた。シロガネさんはスマホ片手にベランダに近付いて動画を撮り始めた。
「シラタマ、行ってみて下さい。追いかけられた場合、逃げ込む場所は分かっていますね?」
「分かってるよ!コウギョクさんたちの洋菓子店の隣。じゃ行ってきまーす」
シラタマは嬉々としてベランダから飛び降りる。慌てた私とヤミカさんがベランダに駆け寄ると、シラタマはフワフワと着地して手を振って走り出した。
「私は洋菓子店の隣の店舗まで行きます。ペコさんはここにいて下さいね。とりあえず彼と話をしてみますから」
クロさんの言葉にペコくんは少し強張った顔で頷いた。




