死神の感情
「マソホ…泣くな…」
入ってきた統括は困ったように白い髪を搔き上げると、若者の姿から突然壮年の男性の姿に変わった。大股に歩み寄りシラタマごと私を抱きしめる。どういう訳か少しクロさんに似ていると思った。
「シラタマと…離れたくない…」
私はやっとのことで伝える。
「だから嫌だったんだよ。擬似的妊娠と出産を経験したら、こうなるのは分かってたんだ…マソホ…そりゃそうだよな…痛い思いをして産んだんだ…ましてやその魂はクロガネとマソホになる前の自分たちの子どもだ…」
「…おじいちゃんの…もっともっと前の…おじいちゃん…」
突然胸のあたりで声が聞こえて私は驚いた。私の母乳を飲んでいたはずのシラタマが、いつの間にか三歳児くらいの大きさになっていた。
「シラタマ…?」
「うん、そうだよ。お父さんが時間の流れがおかしなところにいるから影響が出たみたい。お母さん、お父さんのこと大好きなんだね。あ、統括は…僕の先祖だよ?」
「こら、シラタマ話し過ぎだ」
「ご先祖さまだからって、お父さんのいない間にお母さんに手を出そうとしたらダメだよ?サギリにだってちょっかいかけてるのに、あっちもこっちも…お母さんはまだ研修生なんだから波紋が出るよ?呪詛と波紋…統括だって無事には済まないよ?ハイアオのこと言えないじゃない…ね?分かったら離れてよ。アサギ…?」
「……嫌だねぇ。チビの姿してるのに、これだから式神をやってると色々知り過ぎてて厄介なんだ…はいはい分かったよ」
私から離れた統括はため息をついた。
必死で話している内容を理解しようとしている間にシラタマは私のブラジャーを元に戻し、ブラウスのボタンを留めている。その間に五歳児くらいの大きさになっていた。およそ子どものすることではない。私は五歳児に身なりを整えられてしまった。
「もっとおっぱい飲みたかったのに…もうこんなに大きくなっちゃった。残念」
わりと本気で残念そうに言いながら、シラタマは私の頬にキスをした。
「待ってて。お父さん、連れて来るから。僕は式神だった時間の方が長いから、死神の理に縛られない動きも出来るんだよ?いくらお父さんでも三人を守りながら異形と戦うのは大変だから、アサギも一緒に来てよ」
「先祖遣いの荒い式神だなぁ…連れ戻しに行ってくる」
一瞬シラタマが光って大きな竜のような姿になるのが見えた。私には少なくともそう見えた。シラタマに統括が飛び乗って姿を消してから私は気付いた。
「アサギって…!そういうこと!?ハイアオさんの兄弟!?統括が!?」
そろりと顔を覗かせたサギリさんが再び中に入ってくる。
「統括は本妻の子で、ハイアオは妾の子です。だからハイアオはあんな風に捻くれているんですよ。それと…あの…マソホさん、シラタマが何か言ったかと思いますが忘れて下さい」
「あ、それは統括がサギリさんにちょっかいをかけてるって話ですか?二人はひょっとしてお付き合いしてるんですか?」
「なっ…!そ、そんな訳ありません!私がランクAAになって人の心や感情の機微をすぐに忘れてしまうから、統括が個人指導をしてくれているだけです…」
やけにムキになって否定するサギリさんの顔が少し赤いように見えたのは気のせいだろうか。
「個人指導って…都合のいい言葉ですよね…私も…シラタマを産み終わったから…次のステップに進まないといけないんですけど…」
サギリさんはそっとベッドに座ると私の顔を見た。
「…怖いですか?」
私は首を横に振る。
「でも…やっぱり少し…怖いのかもしれません…クロさんのことを…信じてはいるんですけど…サギリさんは統括のことを信じているんですか?」
「信じているかいないかで言ったら信じています。ですが統括は役立たずは嫌いです。私は女の姿では力を出し切れないので、役立たずにならないように男の姿を選びました。ただそれだけです。なのに統括は時々私に女に戻れと命じます…訳が分かりません…」
「え…?」
私は思わずサギリさんの顔を見つめてしまった。ランクAAになると恋愛感情が希薄になるのだろうか。
「あの…それは多分、統括がサギリさんに好意を抱いているからじゃありませんか…?」
「好意?私に?そんなはずはないと思うのですが。ただの欲望の解消だと思っていました…」
「えっ??よ、欲望の解消って、あの…そういう関係なんですか?」
サギリさんの言葉に私は動揺してしまう。シラタマの言ったちょっかいというのがどのレベルなのか私には具体的には分かっていなかったこともあった。
「そういう関係…男女の仲かと言われればそうなのだと思います…あぁ、だから女になれと。統括に男色の趣味はなかったはずですから。ありがとう。腑に落ちました」
「あの、いや、そういうことで一人で納得されても困ります!統括はサギリさんのことが好きなんですよ?多分…ですけど」
「……マソホさん、統括のランクは私よりも上ですから、そのような感情はないのですよ?マソホさんもランクが上がればきっと分かると思います…」
サギリさんはそこで少し前の男性の姿に戻ってしまう。そして私の頭を撫でた。距離を詰められて私は焦る。
「恋愛感情などなくても…この姿なら私はあなたを抱くことができます…ベニだったあなたのことは友人として好ましく思っていましたが、マソホさんはまたベニとは少し違う…だから…」
気付けば私はサギリさんに抱きしめられていた。
「統括が私にしたように…同じことを私はあなたにもできます…擬似的出産を終えたばかりのあなたにでも…非道なことに聞こえるかもしれませんが…あなたは人とは違う順序を選択した…なぜ、先にクロガネに抱かれなかったのです?あなたが願えばすぐにでも彼は叶えてくれる…それを先延ばしにするのはとても効率が悪いと私は思います」
「あの…効率…なんですか?私にはまだ感情があります…だから、ためらうこともあるんです。たとえそれが効率の悪い遠回りな方法だったとしても…目指す先に辿り着く場所が同じなら私は…今は…自分の感情を大切にしたいんです。ランクが上がってなくなってしまうなら、なおさら…」
サギリさんは私を抱きしめてじっとしていた。私も動けなかった。なぜなら今私を包み込んでいるサギリさんの骨格は明らかに男性のもので、力では敵わないと本能で分かっているからだった。クロさんに対しては感じたことのない種類の恐怖が過ぎる。私の恐怖が伝わったのか、サギリさんは私をあっという間にベッドに押し倒した。そのまま両手首を掴まれて私は抵抗する術もなくサギリさんの唇が重なるのを感じた。必死に足を動かそうとしたのにすでに両足で固定されている。何か固いものが太腿に当たって私はゾッとした。
「感情などなくても、あなたは私を受け入れられますよ?」
「ん…!!イヤ…!止めて!助けて!!」
誰も来ないかと思ったそのとき、私を押さえつけていたサギリさんを誰かが放り投げていた。クジョウさんとシロガネさんだった。シロガネさんの姿が見えて私は思わず泣いてしまった。
「マソホちゃん!何された!?おいサギリ、何考えてるんだ。マソホはベニだけどベニじゃない。お前が好きだったベニはマソホと魂は同じだけど、すでに別の人間として生きてきたんだよ。だいたい…お前が強くなったのはこんなことをするためじゃないだろ!」
「…シロガネ…みんなに好かれる君には分からないよ。私は統括の望み通りランクAAになった…なったら…途端に色んなことが分からなくなってしまったんだ…なぜ…シロガネは…誰かを愛せるんだ?」
私は背中を撫でるシロガネさんの手を感じていた。シロガネさんは私を抱きしめたままで言った。
「サギリは真面目だからなぁ…真っ直ぐに突き進み過ぎたんだよ。そんなの決まってるじゃないか。少し不真面目になるんだよ。今お前がマソホちゃんにしたことだって大幅な減点対象だからな?擬似的とはいえ出産を終えたばかりの妊婦だった元友人を襲う奴がいるかよ…ったく。ハイハオよりもとんだダークホースで、こっちも油断してたわ。怖かったな、マソホちゃん。大丈夫か?」
「だ…大丈夫です…」
もっと元気な声が出せると思ったのに声も身体も震えていた。馬乗りになった相手が一瞬自分を殺した犯人の姿と被ったせいかもしれなかった。
「大丈夫じゃないな。クロさんじゃなくてごめんな。しばらく俺にくっついてろ。何も怖いことはしないから」
「…ヤミカさんに…悪いです」
私が言うとシロガネさんは私の身体を抱きしめる手に力を込めた。
「…そんなこと言ってる場合じゃないよ。マソホちゃん、異形化しかかってる…クロさんが戻るまで絶対に俺が抑えておくから、怖いって気持ちを少しずつなだめていこう…」




