引き裂かれた魂
シロガネさんに言われた私は自分の身体を見下ろして思わず息を飲んだ。ひゅっと喉が鳴る。私のお腹の辺りから不気味な黒い物がボコボコと溢れ出ていた。
「マソホちゃん、落ち着いて…大丈夫だから」
シロガネさんの手が溢れ出した異形に触れる。そのまま外から押される感覚がした。鈍い痛みが走る。外に出ようとする力と内側に留めようとするシロガネさんの手の力が拮抗していた。
「マソホちゃんは…ベニだけど、もうベニじゃないんだよ。別の人生を生きた分…一個人として成長してるんだ。ヤミカの中にも…実はベニがいる…全部俺たち死神のせいだ。ベニは…ハイアオの実験に使われて…輪廻の輪に入る前に二つに引き裂かれた…今のマソホとヤミカに…そのせいで二人とも死神ベニの記憶を忘れたんだ…」
「え…?」
「ヤミカ…来てくれ。その様子を見るとクロさんは言ってなかったんだな。俺はもう隠すのは止めたんだ。ヤミカはヤミカとして愛す…クロさんは、二人を元に戻すつもりかもしれないけれど…俺はもう…ヤミカを手離したくないんだ…」
「マソホ…」
声のする方を見るとヤミカさんが少し困ったような顔をして立っていた。
「ヤミカさん…」
「ごめんね…私は…シロガネさんと一緒にいたいの。だからベニには戻れない…マソホはベニだった頃の記憶を…取り戻したい?」
ヤミカさんが近付いてきて私の手を握った。
「最初から…知ってたの?」
ヤミカさんは首を横に振る。
「知らなかったの。でも…私は…なぜかシロガネさんを見たとき…懐かしいって思った…どうしてなのか…分からないけど…それが死神だった頃の記憶の名残だと言われたらそうかもしれない…」
私は困惑した。シロガネさんがお腹の異形に触れる。その手のひらから伝わる鈍い痛みと共に私の脳裏に過った感情はもっと複雑なものだった。これはベニのときの感情なのだろうか。三人でこのままずっと変わらず一緒にいたい、ベニが望んだのはまるで薄氷の上を渡るような危険な道のりだった。二人のことが好きになってしまったからだった。ベニはもう、どちらか一方は選べなくなってしまっていた。苦しくてどうにもならなくて、もがいていたそんな折に耳元で囁いたのがハイアオだった。ハイアオの誘いに乗ってしまったのはベニの弱さだ。ハイアオは実験がしたかったし、ベニは二人になりたかった。だがハイアオはそこでベニの想定外の手段に出た。シロガネを好きなベニとクロガネを好きなベニ、その二人を輪廻の輪に放り込んでしまった。ハイアオの実験とは二人に分けた魂が、どの程度死神の記憶を思い出すのかだった。分けた魂をそのままシロガネとクロガネの元に返してやるつもりなど最初からなかった。放りこまれる直前に種明かしをされて、二人のベニは微笑むハイアオとまるで蔑むようなアカガネの顔を見た。アカガネは言った。
「私は、あんたが大嫌い。二人からチヤホヤされていい気になって…だから呪いをプレゼントしてあげる。せいぜい次は無様な死に方をするといいわ…どんな残念な姿で戻ってくるのかが見物ね」
とん、と呆気なく胸を押されて二人のベニは輪廻の輪に吸い込まれて行った。歪んだアカガネさんの顔となぜか少し苦しそうなハイアオさんの顔を見たのが多分最後だ。
「マソホさん!!」
聞き覚えのある声がして首を巡らすと、いつの間にか血塗れのクロさんが壮絶な顔付きで肩で息をしながら立っていた。統括が五歳児程度のシラタマを腕に抱いている。後ろにはへたり込んでいるフブキさんとミナミさん、ペコさんがいた。みんな汚れていて疲れていた。
「クロさん…血が…」
「これは私の血ではありません。大丈夫です。それよりもシロガネさん…勝手に話さないで下さい。それに私はヤミカさんをどうこうしようとは思っていませんよ。今更あなたの抱いた魂に手を出すほど、私は強欲じゃありません。勘違いしないで下さい。でもマソホさんの異形化を食い止めていてくれたことには感謝しています…」
クロさんは身体についた血を消し去ると歩いてきて、シロガネさんの腕から私を抱き取った。クロさんは統括を振り返った。
「すみませんが…他の研修生のことをお願いします…糸は切れてはいませんが少し離れ過ぎました…しばらくの間、二人きりにさせて下さい」
「あぁ、分かったよ。シラタマも、しばらくはここにいるってさ。輪廻の輪に入ったらマソホが泣くから、二人が転生する気になるまで気長に一緒に待つって。良かったな、マソホ」
ご先祖さまの腕に抱かれた子孫の魂に見送られて、私はクロさんとその場を後にした。
***
私はその後、クロさんの家で天井からぶら下がる和紙の貼られた丸い形の照明を見上げていた。何か別の物に意識を集中させていないと恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだった。異形化したお腹はクロさんが戻ってくると程なくして、まるで何事もなかったかのように元に戻り、私は自分の身体に少し呆れ返るほどだった。クロさんにどれだけ依存しているのかと思う。そして今私はブローチを外したクロさんの腕に抱かれていた。出産の疑似体験を終えてそれほど時間が経った訳でもないのにどうかしていると思う自分と、ずっと前からこうなることを望んでいたと思う自分がいて、私は必死にクロさんの身体にしがみついていた。離れていた分、この今の距離感はとても温かくて安堵するものだった。クロさんの腕が素肌に触れる。クロさんは私が想像していたよりもずっと筋肉のある男性的な身体つきをしていた。その腕で私を抱いた。
「マソホさん…大丈夫でしたか?」
私は頷いた。今は小指の糸も手首に結ばれた赤い紐も両方がよく見えていた。私が小指の糸を見ているとクロさんが小指に口付けをした。
「両方ちゃんと繋がっていますよ。別の空間に吸い込まれたときも…マソホさんの気配は感じていました。シラタマを取り上げられなくて…すみませんでした」
「いいえ…ちゃんと産めたからいいんです…赤ちゃんからあっという間に大きくなっちゃいましたけど…」
「本来は初乳を与えてすぐに…輪廻の輪に入ることが多いです…日を重ねるごとに離れ難くなる母親が多いのでそうしていますが…今回のように…残る例がない訳ではありません。死神養成講座の登録を行っているウミツキも死神が体験で産んだ子です…彼女はヒサメさんが産みました。ヒサメさんはすぐに輪廻の輪に入れるつもりだったのに、ウミツキが離れなかったんです。彼女が転生したらまた彼女の子どもになりたいと願って…ただヒサメさんはなかなか輪廻の輪に入りそうにありませんから…ウミツキも気長に待っている…そういう訳です。ですからシラタマも何らかの仕事に就いて、我々が輪廻の輪に入ったら縁を追いかけて我々の元にやってくるのだと思います。そのときは…また産んでくれますか?私の子どもを…」
クロさんはそう言うと私の目を見つめた。私は頷く。そのままゆっくりとクロさんの顔が近付いてきたので私は目を閉じる。静かに唇が重なった。私はやっと安堵した。




