接触
講義が終わる前にシロガネさんはカフェから戻ってきていたようだった。先に終わっていたらしいクジョウさんが柱の周りにある椅子に座ってシロガネさんと話していたので、私は自分たちの方が遅かったのだと分かった。
「自分が事故に巻き込んで死なせた魂があるのに、向こうは全然無反応って、何だか妙な感じでしたね…」
「話しかけたのかよ?止めとけって。接点を持つな。生きてたときに何かしらの因縁のある相手には接触しない方が、面倒事は起こらないんだよ。まだテキストの先を読まないと分からないけど波紋って言ってだな…」
ヤミカさんが緊張した顔をしていたので、私は手を繋いでシロガネさんの方へ行った。シロガネさんはすぐに気付いて優しく笑う。痛みの訓練は今日も時間がかかっているようで、フブキさんたちはまだ戻ってきていなかった。
「ここ、座りなよ」
シロガネさんは空いている席に私とヤミカさんを手招く。私たちは並んで座った。近くでツブシさんの車椅子を押したハランさんと、カサイさんの車椅子を押したコウくんが出会ってしまったのが見えた。コウくんはしばらく引きこもり状態だったのもあってカサイさんとツブシさんの間に何が起こったのか、詳しくはよく分かっていないようだった。たまたま自分と同じく車椅子を押している死神が通りかかったから挨拶をしたのだろう。カサイさんはツブシさんの顔を見ると明らかに慌てた様子になった。カサイさんはあの夜も喫茶店にいたけれど、半分犬のようになっているのがツブシさんだと最初は分からなかった。少し経ってそれがツブシさんだと分かってカサイさんはパニックを起こしそうになりタケナワさんが慌てて連れて帰ったのだった。ツブシさんはツブシさんでその夜の記憶は恐らくほとんどないのだろうと思った。だから今日初めてカサイさんをしっかりと認識したツブシさんはとても気まずそうな顔をして、カサイさんに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい。私のせいで、大変なことになっちゃって…」
「ん…」
カサイさんは口に黒いマスクをしていた。恐らく口枷の一種なのだろうと私は思った。隣に座っていたシロガネさんがサッと立って、そちらに歩み寄る。
「カサイはまだ喋れないのか?通訳してやるよ。自分も悪かったって言ってる。調子に乗ったって」
カサイさんの両足には何もついていなかったが、その足はとても歩けそうには見えないほど細くなっていた。片手の矯正器具もまだ外れていない。ツブシさんよりもカサイさんの方が見た目が重症だったことに、ツブシさんはショックを受けたようだった。
「でも…私のせいで…こんな…。これからは…もっと…ちゃんと考えてから…行動しようって…思ったから…。死神の勉強も…もっと真面目にやろうって…」
シロガネさんはカサイさんを見る。カサイさんは頷いた。
「自分もそうだって。ちゃんと守るべき規律は守らないと大変なことになるって分かったから夜遊びはしないって。ま、タケナワと一緒なら店に来てもいいよ。でも一人でフラフラするのは駄目だ。夜は危険だからな」
シロガネさんが笑う。
「あーすいません、ちょっと統括に呼ばれてて遅くなりました!」
相変わらず派手な見た目のタケナワさんがやって来て、ツブシさんが驚きの表情になる。
「ホスト…!?」
ハランさんを見上げてツブシさんが言うのが聞こえた。ハランさんが苦笑する。別の講義を受講していたペコくんとミチくんがようやく出てきて、ミチくんはハランさんを見て嬉しそうな顔をした。
「僕、ちゃんと受講できたよ!」
「えらいな、よしよし」
ハランさんはそう言ってミチくんの頭を撫でた。その様子はどう見ても優しい父親だ。昼間はこの姿でミチくんが眠った後に、別の姿になってツブシさんに個人指導を行っているとは、とても想像がつかなかった。死神は姿も性別までも用途に応じて変えてしまうからややこしい。私は自分が男性になるところは全く想像できなかった。
「マソホさん、難しい顔をしてますね」
クロさんに言われて私はハッと我に返る。クロさんはシロガネさんの座っていた場所に座ると私の肩に手を回した。
「あのーお二人って…付き合ってるんですか?」
隣からクジョウさんに言われて私は恥ずかしくなってしまった。
「えぇ。お付き合いしていますよ。研修生と指導官の関係でもありますが、それ以前に私たちは夫婦でしたから。次に転生するときには必ずまた夫婦になります…」
クロさんがやけにきっぱりと告げて私の膨らんだお腹を撫でた。いったいどのくらい減点されたらこうなるのかと思う。クジョウさんは首を横に振った。
「いやぁ…そんな美人を捕まえて夫婦になりますだなんて言ってみたいもんですよ…」
「クジョウさんも死神になって縁を結びたいくらいの魂に出会えば分かりますよ。自ら縁を結ぶ場合もありますし、私たちのようにすでに結ばれている場合もありますから」
「すでに結ばれてるなんて…ロマンチックですねぇ」
クジョウさんは笑う。
「そういや…第一階級特別区って…本当に特別なんですね。にわかには信じがたいですが…」
そう言ってクジョウさんはテキストをペラペラとめくる。
「まぁ…確かに少ない事例ではありますね。それもあって…ヤミカさんもマソホさんも縁とは別にこうして繋いでいますから。今はようやく落ち着いてきましたが、最初は大変でしたからね…」
クロさんは私とヤミカさんの手首の赤い紐を具現化した。シロガネさんにまだ戻していなかったらしく、私とヤミカさんはクロさんに繋がれていた。タケナワさんたちと話を終えたシロガネさんが戻ってくると、クロさんは赤い紐をシロガネさんに渡した。シロガネさんはそれを受け取って自分の手首に通すと、座っているヤミカさんの頭を撫でた。
「ちょっと痛みの訓練が長引いてるな…はい、これは物件情報。第一階級からまぁまぁ近い第三階級のマンション辺りがお勧めだ。ま、焦らずゆっくり選んでいい。見つかるまで喫茶店の上に居候してて構わないよ」
シロガネさんの言葉にクジョウさんは笑った。
「いやぁ…あそこは若い子が多いから俺みたいのはちょっと落ち着かないよ」
「各部屋防音仕様だ。何してたって聞こえないから別にいいだろ。あ、でも当分の間は夜遊びできないからな。酒を飲みたいなら、コンビニで買って帰るしかなくなるぞ?いいのか?」
「あーそれは盲点だったな。シロガネさんの作る酒の方がうまい。もう少し考えさせてもらおうかな」
「だろ?後はまぁ…昼間からする話じゃないな」
シロガネさんが口ごもるとヤミカさんが言った。
「別に気にしません。子どもじゃあるまいし。仮にプロの女性をお呼びしてクジョウさんが何を楽しんでいても、別にどうこう言いませんよ。研修生に手を出す方が危ないですから」
目線の先にツブシさんがいる。ヤミカさんと私に手を振ってツブシさんがハランさんとミチくんと共に帰ってゆくのが見えた。手を振り返して見送ってヤミカさんは肩をすくめた。
「それと、この際だからクジョウさんには言っておきますけど…クジョウさんが巻き込んだ相手…私の知人です。元会社の同僚…クジョウさんが正式に研修生になったのでようやく話せます。あぁスッキリした!」
「えっ…マジか。それは申し訳ないことを…!」
クジョウさんはギョッとした顔をしてヤミカさんを見た。どうやら知らなかったらしい。
「いいえ。本当にただ同じ会社だったってだけで、あまり接点はなかったんです。部署も違ったし…少なくとも私には…」
「でも、向こうは思いのほか拘ってたってのが厄介なんだよな。ま、ヒサメと話してきてちょっかいを出させるなとは言っておいた」
「えっ?ちょっかい?あの…女性…でしたよね?あ?同性愛とか、そういう系の方ですか?」
「クジョウ…違うよ。ま、でもやたらとヤミカに一方的に興味を持って勝手に妬んで、ヤミカが死んだ後も面白おかしく話を誇張して誰彼なしに話して回ってたって意味においては、執着してるってことなんだろうな…だから講義ですれ違っても分からない程度には向こうには別の姿に見えるようにしてる。接点を持つなって言ったのはそういうことだ。謝罪したいとか色んな気持ちはあるだろうけど、あの手の執着は厄介だから巻き込まれて困るのはクジョウの方だ。波紋を甘く見ない方がいい」
「…あのさっきの、車椅子の嬢ちゃんみたいになるってことですか?いや、逆か。あの男の方…?」
「クジョウ…妙なとこに鋭いよな。その通りだよ。マソホちゃんやヤミカを律儀に繋いでるのは、その辺の研修生がうっかり手を出したら事故るからだ。呪詛は波紋よりももっと怖いんだよ」
「結局のところ呪詛に対抗できるのは元呪禁師である我々…こうして繋いで付き合っていると公言しておけば、大概の研修生は手を引きますからね」
「え…?もしかして、じゃあ…フリなんですか?付き合ってるってのも…」
クジョウさんは訳が分からない、という顔をした。シロガネさんはずるい顔をしてヤミカさんの肩に手を回す。
「さて…どっちだと思う?」
「マソホさん、どっちなんだ?」
クジョウさんに訊かれたので私も微笑んでクロさんの肩に背中を預けた。クロさんも笑う気配が背中に伝わる。
「さぁ…どっちでしょうね」
私たちは曖昧な笑みでクジョウさんの質問に対する答えはあやふやにしておいた。




