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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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名前を呼ぶ

 同じころ統括は階級変動の通達を行った途端にひっきりなしに舞い込む違反の連絡に辟易(へきえき)していた。毎回この時期に手伝いを命じられるランクAAの死神のサギリはすでに諦めていた。全身黒尽くめのサギリは今は悪魔や異形化した魂の討伐を中心に行う戦闘部隊に所属している。だからサギリは大量死の緊急事態以外では魂の回収も行わないし講座も開かない。そもそもランクAAにもなると講壇に立ったところで、研修生は恐ろしくて話を聞くどころではなくなる。だが、サギリに限っては時折こうして直々に謎の雑用に呼ばれることがあった。戦闘部隊所属の他の死神は呼ばれないのに、名指しで統括に呼ばれるのはサギリのみだった。不公平だと思う。休日出勤手当が出なければ即座に断るところだ。休みを返上したサギリはそれでも淡々と手紙を開封して読み上げた。


「ハイアオがクロガネにケンカを売ったことで、クロガネが許可されていない蟲を使用しました。研修生のマソホと自分を蜘蛛の糸で巻いて繋いだそうです。またハイアオは同席していたペコの魂にも関わる可能性があったため、范が一度目は牽制目的で唇を奪ったそうです。が、二度三度と長い間口付けを繰り返し、淫らな手付きで十歳の少女の身体に触れていたとの報告も上がっています。この個人指導に見せかけた違反行為を目撃した死神は多数いますが、真偽の程を確認致しますか?同様の手紙は他にも届いています…」


「不要だ…想像はつく」


 実のところ個人指導に関しては絶対に全員が受ける訳でもなかった。元々その手のことに抵抗のない者は不要だし、第五階級になる頃にはその死神がどこまでランクの上がる可能性があるのかが統括には見えていた。稀にタケナワのように外れることもあるが、明らかに上がらない者はすぐに分かる。そういう研修生にはわざわざ個人指導は行わない。使う機会がないからだ。だがペコに関してはまだ第六階級だったが上がる気がした。ある意味ペコはコウと同じ穴の(むじな)だと思う。まだ子どもでもあれは死神を惑わす魂だ。それがまるで消えたササメの残した爪跡を感じさせるようで、統括は少しだけ不快になった。こちらの足を引っ張るくせに自己主張の激しい女は嫌いだった。


「統括…?」


 統括は再び飛んできた手紙をキャッチする。まただ。舞い込む下らない手紙の連続に次第に食傷気味になり彼は大きなため息をついた。范と瑞雪、それぞれのランクをちらりと見る。男と女と、どちらにも姿を変えるので正直なところ管理が手間だった。


「うん…?瑞雪は范に交代してからすぐにヨルと関係を持ったのか?相変わらず仕事が早いな。ヨルの個人指導の合間に十歳の少女とディープキス?何をやっているんだ、まったく。小学生だぞ?回数的にもランクAから第一階級にランクダウンだ。それで少しは人の心を思い出すだろう…せいぜい後で罪悪感に(さいな)まれるといいさ」


「あの…それだと、まるで私に人の心がないような言い方なのですが」


「あぁ、ほぼ失っているだろう?自覚がないのか」


「…はい…」


 サギリは頷きながら統括の顔をちらりと見た。統括はサギリを手招きながら、范と瑞雪のランクを下げる。最初は本当に牽制だったのだろう。ハイアオはどういう訳かクロの周囲の魂に固執する。その間に范を揺らがせる何かがあったのだろうと統括は思った。ペコはまだ子どもだが、あと五年もすればとんでもなく化ける可能性がある、と彼はペコの記録にチェックをつける。統括は大きく伸びをした。肩が凝るし目も疲れる。パソコンは便利だが好きには なれない。廃刀令が出た頃にこんな未来を誰が想像しただろう。奇妙な世の中だと思った。溢れかえる娯楽と刺激に、人は本来の生き方を見失っている。


「朝からこればかりで疲れた…クロの方はランク据え置きで減点のみ…ハイアオもだ…痛み分けを狙ったのか?まったく小賢しい連中だ…」


 統括はそう言うとサギリの手を借りて来客用のソファーに横になる。統括はサギリを座らせるとその膝を半ば強引に枕にして片方の腕で顔を隠した。眠ったかのように沈黙する。サギリは動けなかった。統括の口から再び深いため息が聞こえた。


「サギリ…今すぐブローチを外せ。これは命令だ。次からは膝枕をしたらすぐにブローチを外して握らせろ。いちいち言わせるな」


「…はい…分かりました」


 サギリはブローチを外すと言われた通りに統括の手にそれを握らせた。どこでそのスイッチが入ったのかと思う。サギリにしてみれば統括の要求はいつも唐突だった。


「何か感じるか…?」


「そう聞かれましても…」


 ランクAAともなると感情はあまり動かない。サギリはそれでも統括がこの後に命じるであろう言葉は分かっていた。前回もそうだったことを思い出す。サギリは静かに統括の白い髪を撫でる。美しいから別に嫌ではない。ただ慣れないだけだ。色素の薄い明るい茶色の瞳がサギリを捉えた。


「なぜ…女の姿に戻らない?」


「それは…統括が女の死神が嫌いだからに決まっているじゃありませんか」


 サギリの言葉に統括は短い笑い声を立てた。


「男とまぐわう趣味はない…相手をする気があるのなら言われなくても女に戻れ…」


 サギリはその言葉で姿を本来の性である女性に戻した。長い間男の姿でいることに慣れてしまうと、この姿の方にむしろ違和感を覚える。どこか心もとない身体にサギリは少し不安になる。女の自分は柔らかくて弱い。戦いには向いていない。


「…統括…手短にお願いします…」


「手短にって…相変わらず情緒のない奴だね…人の心を失うとハイアオのようになる。やはり個人指導が必要だな。統括じゃない…お前には名を呼ぶことを許可する……呼べ…」


「…アサギ…」 


 遠慮がちにサギリが呼ぶと彼は少し微笑んだ。そっと頭を引き寄せられる。サギリは目を閉じて少し冷たい統括の唇に自分の唇を重ねた。いつもこの死神は冷えている。これで少しは温まるだろうか、サギリはそんなことを思った。



*** 



 私とクロさんは動けなかった分、少しだけ遅れてロビーに到着した。それでもまだあちこちに赤い蜘蛛の糸がくっついている。講義の受講を終えたミナミさんとミチくんはすでにロビーの柱の周りに沿って設けられた円形のソファーに座って待っていた。私たちの姿に気付いて手を振る。痛みの訓練に行ったメンバーはまだ来ていなかった。ペコくんと范さんは何となく恥ずかしそうな顔をしながら、ぽつりぽつりと会話している。私はペコくんが范さんに気を許しているのに気付いていた。それにすっかり女の子の顔をしている。そこにタケナワさんとコウくん、それにようやく両腕が使えるようになった車椅子のカサイさんが通りかかった。コウくんは夜のときと同じ成人男性の姿をしていて、すぐにペコくんの存在に気付いた。コウくんは相変わらず憂鬱そうな顔付きで范さんをジロリと見た。


「妹に…何をしたんですか?」


 コウくんは范さんに向かって低い声で言う。范さんはコウくんを見て急に気まずそうな顔をした。以前のランクAの范さんからは考えられないような表情を浮かべている。けれども、すぐに切り替えたのかいつもの冷静な表情に戻ると口を開く。


「妹?実の血縁でもないのに、君はペコを妹と呼ぶのですか?」


「いけませんか?それよりも質問にちゃんと答えて下さい、妹の様子を見たらすぐに分かります。あなたとの間に何かあったことくらいは。クロさんじゃない。あなただ…」


 私はコウくんの兄としての勘に恐れをなした。とんでもなく鋭い。


「それをここで言ったらペコが恥ずかしい思いをすることになると思いますよ?君も年齢相応の大人になったのだったら、死神がランク変動の通達を受けた際に行う普段よりも少々野蛮な行為も理解できるようになったものと思いますが」


 范さんは挑発するかのようにコウくんを見下ろした。ランクが落ちたとはいえそれでも第一階級の死神になど敵う訳がない。睨んだまま唇を噛んでいるコウくんの肩にタケナワさんがポンと手を置いた。


「コウ…悔しかったら早くランクを上げろ。捨てるほどに点数があってランクの高い死神に文句を言ったって、今のお前じゃ何もできないよ。自分の力量を知るのも大事、分かったか?」


 ウェーブヘアーのホストのようなタケナワさんがまともなことを言っているのに私は驚きつつも、次にタケナワさんの言った言葉に耳を疑う。


「クロさんに緊縛趣味なんてあったんすねぇ…下っ端が騒いでましたよ?第一階級のいつもは真面目な死神がカフェで研修生を赤い糸で縛って吊るしてるって…」


「何やら尾ひれがついてますが、吊るしてはいませんよ。それにあれは蜘蛛の糸です。まぁ、縛ったと言えば縛ったのかな。私とマソホさんが離れられないようにしただけです。盗まれては困りますから」


 クロさんはいつものように穏やかな顔のまま私のお腹に手を当てて撫でた。ポンポンとシラタマが蹴って反応する。


「あ、シラタマが動いてます…分かりますか?」


「はい、もちろんですよ。元気ですね。順調で何よりです」


 タケナワさんは私の顔を見るとなぜか首を傾げた。


「魔性の女…には見えないんですけどねぇ…」


「えっ?何の話ですか?」


 私の言葉にタケナワさんは、明らかにしまったという顔をする。


「タケナワさん…死神の噂話を真に受けないで下さいと言いたいところですが…マソホさんには手を出さないで下さいね?呪詛を甘く見てはいけません」


 そんな話をしているうちに、疲れた様子のアシシさんとメイゲツさんが痛みの訓練から戻ってくるのが見えた。メイゲツさんが力なく私たちに気付いて片手を上げた。

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