喫茶店の朝
翌朝、私が目覚めるとなぜか隣にはペコくんがくっついて眠っていた。クロさんはいない。起き上がろうとするとお腹がやけに重かった。昨日よりも更に大きくなった気がする。いや、気のせいではなく本当に大きくなっていた。
「ふぅ…」
私が思わず息を吐くとペコくんが身動ぎして目を開けた。
「おはよう」
私が言うとペコくんはふわっと笑って目を閉じる。私の腰に頭をくっつけてペコくんはお腹に手を回して撫でてきた。
「大きい…」
「うん…重いよ…」
「それが命の重さなんだって…クロさんが言ってました…僕の命はもっと軽かったと思ったけど…赤の他人に殺されるのと…身内に殺されるのと…どっちも死に様としては最低ですよね…」
私は通りすがりの見知らぬ他人に殺された。
「ペコくんは…身内に?」
私が言うとペコくんは頷いた。
「…殺されたってよりは…いないものとして扱われた…見たくなかったんだと思います…僕を檻に閉じ込めた男と遊んでる間に…僕は死んだから…しかもあの人は…もうじき出産するんです…あの男の子どもを…マソホさんを見てたら…僕はどうしていいのか…分からない…」
「…そうだったの…ペコくん…ごめん…」
「どうして謝るの?これは僕の問題だから…マソホさんが謝る必要はないんです。愛おしいのも憎いのも表裏一体だって…クロさんは時々難しいことを言うから…僕はただこうやって撫でるくらいしかできませんけど…」
私はペコくんの頭を思わず撫でてしまった。クロさんがよくそうしてくれるから無意識にやってしまって、ハッとして慌てて離した。四年生ともなると小さい子のようで嫌だっただろうかと思ったらペコくんは私の手を掴んで頭に乗せる。
「マソホさんは僕のお母さんになるには若すぎるけど…ササメさんは時々こうやって撫でてくれました…僕はその手を信じてたから今は騙されたみたいな複雑な気持ちになってるけど…撫でられるのは嫌いじゃないです。空気みたいに扱われる方が…僕は殴られるよりも耐えられなくて…」
そのとき部屋のふすまの外からクロさんの声が聞こえた。
「二人とも…起きましたか?」
「はい」
ふすまが開いてクロさんが現れる。まだパジャマ姿の私たちとは違ってクロさんはすでにきちんと身支度を終えていて、いつものクロさんだった。
「着替えてシロガネさんのところに行きましょうか。マソホさん立ち上がれそうですか?」
私はゆっくりとなんとか立ち上がってお腹の重さを実感した。
「お腹が…苦しいです…」
「ペコさん、部屋で着替えてきて下さいね」
「はーい」
ペコくんも素直に返事をして立ち上がる。クロさんはやっぱりペコくんの頭を撫でた。ペコくんがくすぐったそうに笑う。
「クロさんとマソホさんって同じことするんですね。ほんとに夫婦みたい」
ペコくんは笑ってクロさんの隣を通り過ぎる。私も思わず苦笑してしまい、クロさんはなぜ笑っているのかと不思議そうな顔をした。
***
クロさんとペコくんは私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれた。私はお腹が重くなって前のようにスタスタとは歩けなくなっていた。ようやくシロガネさんの喫茶店に到着する頃には私は普段の倍くらい疲労してしまっていた。
「おはよう、クロさん、おーペコも来たか。マソホちゃんは…朝からしんどそうだな…」
カウンターからシロガネさんが爽やかな笑顔を向ける。昨夜子どもを背負って現れた若いお父さんのようなハランさんが、昨夜の子どもと共に朝食を食べていた。その横に車椅子に乗せられたツブシさんがいて、背中を車椅子の背もたれに固定されていた。端から見ると拘束されているように見える。ツブシさんの口にハランさんがスプーンを運びお粥を食べさせていた。それもそのはず、ツブシさんの両手の指はほとんどなくスプーンもうまく持てないのだった。
「身体の中の蟲の駆除が終わればその手も元に戻りますよ。もう少し頑張りましょうね。体勢の方は…もう少し矯正が必要ですね」
クロさんはそう言ってお粥を食べさせているハランさんを面白そうに見た。放っておくと四つん這いの状態に戻ってしまうのだと私は後から知った。
「ハランさん…まるでお父さんみたいですね」
「僕、もうすぐ食べ終わるから、お手伝いできるよ?」
隣で食べていたミチくんがハランさんを見てニコリと笑う。昨夜シロガネさんからミチくんが九歳で、虐待により亡くなって最近来たばかりなのだと聞いていた。ミチくんは担当の死神が悪魔に狩られた。幸いにもその瞬間をミチくんは目撃しなかったが、いなくなってしまった理由はすでに説明済だった。九歳にしては小さい、小一くらいだとシロガネさんが言っていたので、私は子どもの成長速度は分からなかったけれども、そうなのだろうと思ってミチくんを見る。ミチくんもペコくん同様に細い。ミチくんは私のお腹をちらりと見てから、隣に立ったペコくんに視線を移し同年代だと判断したようだった。今日のペコくんはティーシャツにデニムのスカートを履いていた。私たちは隣の席に座る。ミチくんはお粥を受け取ると、やけに慣れた手つきでツブシさんに食べさせ始めた。
「あー僕、妹の面倒…よく見てたから…」
ツブシさんは少し恥ずかしそうな顔をしてミチくんからお粥を食べさせてもらっていた。
「僕…死ぬ前にお姉さんのニュース見たよ。行方不明だって。ここにいるお姉さんたちの顔…僕、ニュースで見てみんな覚えてる…今頃は僕もニュースになっちゃってるんだろうけど…殴り飛ばされて頭をぶつけたところまでは覚えてるんだ…ものすごく痛くて…血がたくさん出てまずいかもって思ったら…目の前が暗くなってほんとにダメだった…」
ミチくんはなぜか笑う。ツブシさんは指の欠けた手を伸ばしてミチくんの頭を撫でた。ミチくんは照れたように俯いた。
「ミチ…無理して笑わなくてもいいよ。担当の死神も急に変わってしまったし、まだ不安だろう?」
ハランさんが静かに言うと、ミチくんは首を振った。
「変な…話だけど…僕…お姉さん方が知り合いみたいな気持ちになってて…それって優しいお姉さんがいてほしかったっていう単なる現実逃避なんだけど…だから…ほんとにこうやって会えてちょっと今は嬉しい…親ガチャに失敗したってずっと思ってたから…ニセモノでも幸せな家族ごっこがしたかったんだ」
「家族ごっこ万歳だな。ここはみんなそんな集まりだよ。赤の他人が集まって家族みたいに暮らしてる。ミチはハランを新しいお父さんだと思えばいい」
シロガネさんとヤミカさんがモーニングセットを持ってやってきた。ペコくんと私の分はオレンジジュースになっていた。ヤミカさんは私のお腹を見ると目を見張る。
「昨日よりもまた大きくなってる…すごいね」
「もうゆっくりしか歩けないよ…」
私が言ったとき二階からアシシさんとヒサメさんが降りてきた。
「おっはよー清々しい朝だな!ん?新顔?」
ヒサメさんとアシシさんは端から見ると二人とも赤い髪をしているから派手だ。ミチくんは目を丸くする。ヒサメさんは朝から露出の高い服装をしていた。アシシさんと腕を組んで現れたヒサメさんは、ミチくんの頭をくしゃくしゃに撫でた。それからツブシさんに向かって言う。
「お、ちょっとは人に戻ってきたな。よしよし」
そう言った割には触れ方が犬のそれだ。ツブシはそのままワシャワシャと頭を撫でられる。ヒサメさんは急に何の前置きもなくスルリとツブシさんの胸元に手を入れた。
「わぁっ!」
当然ツブシさんは声を上げた。胸の辺りをまさぐっていたヒサメさんは突然何かを取り出した。指先につまんでいるのは赤く透けるミミズのようにうねうねと動く蟲だった。ツブシさんはゾッとした表情になる。
「駆除してもまだいるな。クロさんの使役…もう一匹くらい増やした方が早いんじゃないか?」
ヒサメさんは蟲を握り潰す。クロさんは首を横に振った。
「二匹は…今の体力だとツブシさんが耐えられなくなりますから…今日のところは一匹で様子を見ます…もう少し体力が戻れば二匹にしてもいいですが…」
「あーそっか。うんうん…」
ヒサメさんは手を洗いに洗面所の方に向かう。近くのカウンター席にアシシさんが座って私の方を見た。
「…一日で…そんなに大きくなるんですね…」
「うん…自分でもびっくり…あ…シラタマ?暴れないで!」
外から見ても分かるくらいにシラタマが動いてアシシさんは驚きの表情で私のお腹を凝視していた。手を洗ったヒサメさんが戻ってきて私のお腹に手を当てる。
「こっちも順調そうだね、クロさんも新婚ごっこ楽しんでるじゃん」
「…ヒサメさん…そんな単純なものではないですよ?マソホさんは大変なんですから」
「あーそっか、クロさんは出産の疑似体験してるから大変さも分かってるのか」
「疑似体験って…何?」
ミチくんが小声でハランさんに問うのが聞こえた。
「女性でも男性でも…希望すれば妊娠と出産の疑似体験が出来るんだよ。ミチのように小学生のうちはまだ無理だけど成人する年数になったら可能になるんだ」
「えぇ!?なにそれ!変わってる…」
「まぁ、そうだね。ミチにしてみたら変な話だろうね。これから先は他にもミチにとってはおかしなことがたくさんあると思うよ。まぁ、そのうち慣れると思うから、緊張する必要はないよ」
ハランさんは新聞に目を通しながら珈琲を飲む。本当にお父さんみたいだなと、私はその姿がやけに様になっているのを見て感心した。シロガネさんがスマホを見ながら言う。
「あー今日はちょっと俺も駆り出されちゃったから…そろそろヤミカとフブキも連れて行ってくるかな。見学させるよ」
「おっと…あたしもか、アシシは留守番してな。あんたは波紋が抜けたばっかりだから、まだ連れて行くにはちょっと早い…クロさんにお願いしろってさ」
「分かりましたよ。シロガネさん、フブキさんたちもそろそろ起こした方がいいですね。ミナミさんも朝一で講座がありますし」
クロさんが言ったところで、階段を慌てて降りてくる足音が聞こえた。
「おはようございます!すみません、いつもより寝坊してしまいました」
「おはようございます!」
身支度を整えたフブキさんとミナミさんが降りてくる。ミチくんが首を傾げた。
「喫茶店の上の階に…いったい何人住んでるの?」
「あー今、実際に住んでるのは三人だよ。たまたま泊まって行ったりでしょっちゅう人数も変わるけど、ま、宿泊施設兼喫茶店とでも思ってていいよ。だからハランがいいと言ったら、ミチもここを気軽に使ってもいいんだ」
「いいの!?喫茶店で朝から食べるのも初めてだから、なんかすごくワクワクしてる」
ミチくんは無邪気な笑顔で笑う。その顔を見てハランさんがどこか切ない表情を浮かべたことに私は気付いていた。私には分からないミチくんの何かの記憶がハランさんには見えているのだろう、そう思った。




