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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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陰と陽

 私とクロさん、コウギョクさんがシロガネさんの喫茶店に戻ると、すでにみんなは戻っており昼食の時間帯だった。私は店の中に久々にアシシさんの姿を見つける。隣には当然のようにヒサメさんがいて、その向かいの席にはヨルさんと見たことのない若い女性の死神がいた。


「あぁ、彼女はランクAの死神の瑞雪(ルイシュエ)さんですよ。こんにちは」


 クロさんが私に紹介すると瑞雪さんは立ち上がった。色白で長い黒髪。プロポーションの抜群な美女が近付いてくる。日本人ではなさそうな雰囲気だった。


「あなたがマソホか。美人だな。クロさんは面食いだったのか」


 瑞雪さんに言われたクロさんは苦笑する。私のお腹に瑞雪さんが触れて優しく撫でてきた。何だか指先の動きがクロさんとは違ってムズムズする。瑞雪さんは妖艶に微笑む。


「クロさん、順番がおかしい。なぜマソホは妊娠してる?抱いたら妊娠する、それから産む、それが正しい順番」


「…瑞雪さん、それは私たちの決めることですから…」


「瑞雪!クロさんは変わってるんだよ。単純なあたしらとは考え方も違うんだ」


 ヒサメさんが自分のサラダからミニトマトを取ってアシシさんの口に突然放り込む。


「ん……!!ササメさんっ!トマトそんなに好きじゃないからって…」


「アシシは好きだろ?旨いって思われて食われた方がトマトも嬉しいだろ」


「なんなんですか、その言い訳!」


 私はヒサメさんとアシシさんの間にどこか親密な空気を感じた。何だかんだでうまくいったのだろうか。そこまで思って私は不意に賭けのことを思い出した。


「そういえばアシシさんは今日は講義に出たのですか?」


 クロさんが私より先に口を開く。するとカウンターの中にいたシロガネさんが肩をすくめて言った。


「ったく…ヒサメはいつから宗旨変えしたんだよ。講義なんか出なくたって大丈夫っていうテキトーなヒサメと瑞雪が研修生連れて朝から講義に出てくるなんて、青い雪でも降るんじゃないかと思ったよ」


「だってさ、統括がうるさいんだもん。そっちの指導は夜のうちに終わらせろってさーだから前倒しで最近は昼から真夜中までに変えたの。ちゃんとその後は睡眠時間も取って朝イチの講義だって出られるように朝食もしっかり食べさせるしさ。案外真面目だよ?あたしたち」


「ペコもいんだから、あけすけにスケジュールまで事細かに報告しなくたっていいよ…なるほどね。相手を気絶させて音信不通になられちゃ、そりゃ心配にもなるだろうし、統括なりに考えたんだろうよ」


 カウンターで食事をしていたペコくんはそんな話を聞きながらも涼しい顔をしていた。


「コソコソされるよりはいっそのこと清々しいから平気ですよ。いずれは僕だって通る道だし…耳年増になってたって後々は役に立つと思いますし」


「ペコくん?修行僧みたいな表情でそんなこと言われると、おじさん心が痛い…」


 シロガネさんが脱力するのを見てフブキさんが苦笑した。隣でミナミさんも困ったような顔をしている。どうやら賭けはクロさんとフブキさんが勝ったらしい。そう思って店内を見回してコウくんの姿がないことに気付く。


「あぁ…コウはタケナワが担当することになったんだよ。統括が決めた」


 シロガネさんが特に何の感情も伺い知れない声色で言ったので、私は頷くことしかできなかった。ヤミカさんがやってきて、私のお腹を見て目を丸くした。


「マソホ…また…大きくなった…?」


 言いながらもすでにヤミカさんは私のお腹を撫でている。ヤミカさんの手はムズムズしない。


「そうなのかな…身体はけっこう重いよ…」


「あ!動いた!!」 


 ヤミカさんは慌てて手を離して自分の指先を見つめた。


「すごい力…」


「うん、元気過ぎて時々びっくりする」


「はい、クロさんはランチプレートね。コウギョクはまだ同じので平気?マソホちゃんは?」


「私は食べられそうです。ありがとうございます」


 コウギョクさんが頷いたのでシロガネさんは手際良く用意を始めた。


「私も…食べてみます…あの、少な目でお願いします」


 その後シロガネさんが控えめに出してくれたパスタを私は食べた。匂いの強いものは抜いてあるキノコの入った和風パスタだった。美味しい。私は食べられたことにホッとする。先に食事を終えたメンバーは珈琲を飲んでいた。コウギョクさんの隣にメイゲツさんがやってくるとコウギョクさんを軽く抱きしめた。


「お疲れさま。病院…どうだった?」


「うん…順調だって」


「良かったぁ…身体…大丈夫?」


「うん、大丈夫だから安心して」


 コウギョクさんはニコニコしながらパスタを食べていた。あっという間にサラダもパスタを完食したコウギョクさんは、デザートの果物に手を付けた辺りで妙な表情になる。コウギョクさんは口元に手を当ててガタリと立ち上がった。もしやと思ったらコウギョクさんはトイレの方へと消えた。クロさんがサッと立ち上がり、不安そうな顔になったメイゲツさんに言った。


「多分悪阻(つわり)です。初期の段階からこの時期は一気に進みますから…」


 クロさんはコウギョクさんの消えたトイレへと迷いなく向かう。


「クロさんに任せといて大丈夫だよ。それよりメイゲツまで悪阻になるなよ?たまにあるらしいからさ。パートナーでもなるって。マソホちゃんはどう?もしかして抜けた?もう少しパスタあるけど食べる?」


「私はじゃあ…抜けた…のかな?食べたいです。何だかお腹が空いちゃって」


「シラタマは大食いだからさ。抜けたら食欲発揮するだろうなとは思ったよ」


 もう少しと言った割にはかなり量の多いパスタをもらって私がそれをモリモリと食べているところに、クロさんが一気にげっそりしたコウギョクさんと共に現れてメイゲツさんを呼んだ。先ほどまでとはまるで別人のような衰弱ぶりだった。


「少し二階で休んだ方が良さそうです。案内しますから一緒に来て下さい。あまりに体調が悪いようでしたら点滴をします。ミランさんとクロハツ先生にも連絡しておきますから。コウギョクさんは身体の機能を変えているので負荷が大きいのかもしれません…」


「メイゲツ…私…甘く見てたかも…」


「ええっ!?しっかりして!メイゲツ!」


 コウギョクさんは力なく歩いて二階に消える。私も昨日のことを思い出すとコウギョクさんのようにげっそりしそうになった。体感時間が違うせいで端から見ればたかだか五分程度の出来事がものすごく長く感じる。嘔吐している間もそれは変わらないし、今こうして食べている間もそうだった。無限の食欲ゾーンに突入したかのような状態の私にとっては食べてもなかなか減らない皿の美味しい料理を長い時間をかけて平らげている気分になっている。体調の良いときはむしろ嬉しいけれど、吐き気など具合の悪い状態が長く感じられるのはかなりキツいものがあった。もちろんコースも色々ある。私のように短期間体験型やその倍のコース、通常の十カ月コースもあるけれど研修生はあまり選ばないと聞いていた。確かに痛みの訓練にも出られなくなるしブランクが発生する。同期に置いていかれる孤独感に耐えられなくなった者もいるらしい。ただどちらが良いとは一概には言えなかった。そして選んだからには粛々として受け入れるしかないのが現状だった。それに現実と違うのは一度初めてしまって苦しくなっても途中で止めることができない。そこが大きな違いだった。それが生まれてきたかった魂を自らのお腹に受け入れて育てる者に課せられた唯一の縛りだった。お腹の中で動くシラタマを撫でながらパスタを食べていると、やがてクロさんが二階から降りてきて私を見て微笑んだ。


「マソホさんはどうやら食欲が戻ったようですね。コウギョクさんは今日明日が悪阻のピークだと思います…」


「クロさん…なんでそんなに詳しいんだろうって思ってたら…病院の先生だった時期があったからなんですね」


 私がパスタを食べながら言うとクロさんは困ったような顔でこちらを見た。クロさんは特に何も言わず皿に残っていたパスタを完食する。シロガネさんが絶妙なタイミングで珈琲を出した。


「…マソホさんはあの話を聞いても…私のことを怖がったり…軽蔑したりもしませんでしたね…私は…正直なところ少し怖かったのかもしれません。呪禁と医術の組み合わせは…日本であったからこそ成立してしまいましたが…海外では悪魔の領域に手を出したと…いっとき賛否両論でしたから…だから、マソホさんに嫌われるのが怖くて言い出せなかった、というのが本音です。それにホラ、私は縫合に関しては不器用ですから…外科医の手も借りましたし」


「クロさんにも怖いものがあるんですね…」


 私は驚いて傍らの死神を見上げてしまった。少し困ったような優しい顔に手を伸ばして触れる。なぜそうしてしまったのか自分でも分からなかった。クロさんはそっと私の手を握り返した。


「私はクロさんを信じてるし、嫌いになったりしませんよ。だから安心して下さい…」


「なんだぁ?熱いなぁ!ほら、ヨルも見習えよ。怖がってないで瑞雪に触れたらどうだ?」


 ヨルさんは困ったように俯く。瑞雪がヨルの隣に来て言った。


「無理言うなヒサメ。ヨルは女が生理的に無理だ。だから担当チェンジする。ヨル?別に恥ずかしくない。死んでから分かる奴も多い。むしろ死んでからも認めない奴の方が厄介」


「え…?そう…なのか?ヨル…」


 アシシさんの顔を見たヨルさんは苛立ったように頭を搔きむしった。


「あーそうだよ。先輩の家で罵られたのだって、そのことが原因だ!薄々気付いてはいたんだよ、自分でも…でも、お前にそんなこと言ったって気持ち悪いって思われるだけじゃん。それにお前は全然タイプじゃねーし!!」


「はぁ!?お前さぁ…」


 何かを言いかけたアシシさんは沈黙してしまう。一方で瑞雪さんはどこかに電話していた。


「あぁ…?あーそうか。だったらアレを使うか…うん持ってる。平気だ。最短でいい、慣れてる。じゃ」


 瑞雪さんは電話を切ると振り返った。


「ヨル、チェンジするから三十分ここで待ってろ」


 瑞雪さんはそう言うと喫茶店から出てゆく。後には顔を覆ったヨルさんが残された。

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