反転
きっかり三十分後にその男性は喫茶店に姿を現した。私は食後のカフェインレス珈琲を飲んでいるところだった。
「ヨルさんに会いに来ました」
その少し歳上の男性はスーツを着こなしたビジネスマンのようなきっちりした見た目で眼鏡をかけていた。少し神経質そうな整った顔立ちだ。黒い短髪で長身だった。
「范じゃないか。ヨルならそっちにいるよ」
どこか笑いを噛み殺すような表情でシロガネさんが言って范さんの顔を見てヨルさんを手招く。ヨルさんは慌てて立ち上がって范さんのところに向かおうとし、テーブルの脚に片足を引っかけて転びそうになった。
「落ち着けよ…」
ヒサメさんがスッと立ち上がってヨルさんを支える。女の私でも思わず見惚れてしまうような無駄のない動きだった。さすがはランクAの死神だ。
「よっ…よろしくお願いします!!」
ヨルさんはぎこちない様子で頭を下げると片手を差し出した。握手をするのだと思ったが、范さんはその手を取ると手の甲に口付けをした。
「わあっ!」
「よろしくお願いしますね、ヨルさん」
范さんはまるで取引先と会話でもするかのように微笑むと屈んだ姿勢のまま上目遣いにヨルさんを見上げる。黒い闇のような瞳に見つめられたヨルさんはすでに挙動不審になっていた。
「さ、それでは行きましょう。善は急げというようですから。しばらくヨルさんをお借りします。担当の死神には連絡済ですのでご安心を」
彼はヨルさんの手を握ると来たときと同じように颯爽と去っていった。その姿が見えなくなってからシロガネさんが言う。
「いやはや毎回早変わりだな。よくあれで反動が出ないもんだよ…」
「早変わり?」
ヤミカさんが不思議そうにシロガネさんを見上げる。私も何の話かと思ったらシロガネさんは、おやという顔で私たちを見下ろした。
「気付かなかったか?あれは瑞雪だよ。瑞雪は相手の好みによって性別も姿も性格も全て変える…あの様子だと昨日のうちにヨルの好みを汲み取ったんだろうな」
「え?アレが…瑞雪さん…!?ヨルの好みって…いや…ウソだろ…そういうことか…」
アシシさんがあんぐりと口を開ける。
「そういうことってどういうことだよ?」
ヒサメさんに面白そうに言われてアシシさんは周囲を見回した。
「いや…ここで言ったらみんなにバレるじゃないですか…」
「別にいいだろ。隠し事なし、みんな家族みたいなもんなんだから気にするな。アシシだって、こんなにあたしの身体を気に入るとは正直なところ思わなかったよ」
「ちょっと!ヒサメさん!なんてこと言うんですか!ま…俺もちょっとびっくりしたけど…あの姿…高校のときのヨルの担任に似てて…だから…あいつが自分の好みに気付いたのって…その頃だったんじゃないかって…思って…俺、そんなことにも全然気付いてやれなくて…幼馴染失格だよなって…」
「それは違うと思うよ?失格なんかじゃない。ヨルはお前に知られたくなかった。だから隠してた。多分誰にも打ち明けたこともなかったんだろうな。じゃあ逆にヨルから、自分は歳上の男性が、しかも担任が好きだって打ち明けられたら、高校生のアシシは平然としてられたか?今でこそ少しは大人になって社会のあれこれも分かってマイノリティも受け入れられるようになったかもしれないけど、ヨルはお前に動揺されたり変に気を遣われるのが嫌だったんだよ。少なくともアシシの前ではごく一般的な高校生として一緒に笑っていたかった…それだけなんだ」
「そう…なのかな…いや…じゅうぶん…今でも驚いてますけど…」
「僕たちみたいのは少数派だから、友だちがそうだって知るとそりゃびっくりしちゃうよね…って、ごめん、降りてきたら聞こえちゃって。クロさんすみません、コウギョクの調子が悪そうで…少し診てもらってもいいですか?」
二階から顔を出したメイゲツさんの声にクロさんは頷いた。
「分かりました。少し点滴で様子を見ましょうか」
クロさんは不意に私の方を振り返る。
「マソホさんは大丈夫ですか?」
「はい、私は大丈夫です」
「少し二階に行ってきますね」
クロさんは微笑んで二階へと消える。
「案外、コウギョクたちを見たりしていて、ヨルは自分に素直になろうって思ったのかもしれないね」
シロガネさんが珈琲片手にカウンターからこちらに回ってきた。ヤミカさんが私の向かいに座りシロガネさんがその隣に座る。
「多いらしいよ?普通に現世では女性と結婚していても、亡くなってから実は…なんてパターンが。逆もたまにあるよ。ヤミカみたいのは…男嫌いが転じて少女にいくパターン。マソホちゃんが縮んだままだったら狙われてただろうね。本人も自覚してるから面白いんだけどさ」
シロガネさんはヤミカさんの頭を撫でる。私はどういう顔をしていいのか分からずに苦笑するしかなかった。
「マソホはきれいだから…特に少女のマソホは…等身大の着せ替え人形にして愛でたくなるの…って言ったら歪んだ性癖の持ち主みたいに聞こえちゃうけど…別に男嫌いとそれとこれとは別次元だし、私もそろそろちゃんと死神として成長したいって思ってはいるの」
ヤミカさんは珈琲を飲んで小さく息を吐いた。
「…別にそこまで焦んなくたっていいよ」
シロガネさんはヤミカさんの頭をぽんぽんと撫でる。
「ちょっとアシシの部屋見せてよ」
背後でヒサメさんの声がした。
「えっ?大したもの何もないですよ…」
「ベッドがあればじゅうぶんだよ。エネルギー補給の後はやっぱ腹ごなしだろ」
ヒサメさんはニヤリと笑う。シロガネさんは二人を振り返って片手を上げた。
「あんまりうるさいのは勘弁してくれよ?」
「大丈夫大丈夫!防音対策はちゃんとしとくからさ。行くぞアシシ」
「…分かりましたよ…」
アシシさんのまんざらでもなさそうな反応に、ヤミカさんは無言で珈琲を飲む。二人の姿が見えなくなるとヤミカさんは言った。
「いいなぁ…私もあのくらい吹っ切れたい」
シロガネさんは意外なものを見るかのようにヤミカさんの顔を覗き込んだ。
「そうなの?」
「それはまぁ…だって、私もマソホもあんな風に簡単に乗り越えられないから、回り道をしてるだけで…最短距離を突き進める性格だったらさっさとそちら側に行きたいですよ…」
ヤミカさんに同意を求めるように見つめられて私は考え込んだ。
「私は…うーん…その辺りはけっこうどっちでもいい…と言ったらダメなんでしょうけど…多分…今の距離感が心地良くて…結局クロさんに甘やかされてるだけだと自覚はしてるんだけど…」
「マソホちゃん?擬似的出産を選んでおいて甘やかされてるって…本当にそう思ってるところが、むしろ俺は驚くけどね?決して楽じゃないでしょ。だって皆が皆、選択する訳じゃない。体験しなくたって死神にはなれるんだから、それこそ最短距離を選ぶ研修生はすっ飛ばして痛みの訓練でレベルを上げる方を選ぶ。ま、痛みに関して無痛分娩を選ばなければ加点はされるけど…そのくらいかな。追加点は」
シロガネさんが言う。私は驚いた。
「え?加点されるんですか?」
「えって…知らずに選んでたの?クロさんは何も言ってなかったの?」
「はい…特には…あ、そういえば婦人科で配られた冊子も…まだ読んでませんでした。それに昨日は調子がいまいちで…詳しい説明は具合が良くなってからしましょうってクロさんに言われて…」
私は慌てて冊子を鞄から取り出そうとして、そのとき鞄から何かがひらりと床に落ちてしまった。素早くヤミカさんが拾い上げる。
「あ、ごめん見ちゃった…良かった?」
「うん」
それはエコー写真だった。私のお腹の中のシラタマはちゃんと人の胎児の姿で丸くなっている。
「うわぁ…すごい。こんな風になってるんだ…マソホのお腹の中…」
ヤミカさんは微笑む。そうして言った。
「私はマソホみたいに選べなかったから…可哀想なことしちゃったけど…マソホはすごいと思う…」
私は首を横に振った。
「私だって…ヤミカさんの立場だったら…こんな風には受け入れられなかったと思う…私とヤミカさんとじゃ…状況だって全然違うよ?」
「それでも…マソホのその部分には…私の一部が入ってる。私が要らないと思って溢れさせた憎しみの記憶の一部が…」
「あ…」
「だから、その憎しみを抱えてもシラタマを育める…マソホは…すごいよ…」
「マソホちゃんが体験してるそのほんの一部はヤミカに繋がって流れてくるんだよ…マソホちゃんの選択によりヤミカは出産を少しだけ追体験できるんだ」
「えっ?そう…なんですか?ヤミカさん…嫌じゃ…ない?」
「え…?」
ヤミカさんは目を丸くする。
「むしろ…私は…嬉しいよ…私は自分じゃ無理だったけど、マソホの妊娠を少しだけ…私も感じられるから…」
「そう…なの?嬉しい?無理…してないなら…良かった…」
私は少しホッとする。お腹の中でシラタマの動く気配がした。なんとなくシラタマは全て分かっているような気がした。その上でヤミカさんの気持ちを汲み取って喜んでいるみたいだと思った。




