統括との対話
コウはかつてないほど緊張していた。死神養成講座の建物に足を踏み入れるのも久々だったし、ましてや明らかに不機嫌そうな統括の前にこうして立っているだけで、動いてなどいないはずの心臓がバクバクするような心持ちにさせられた。
一方統括は統括で、悪魔が侵入したせいで昨日は会いたくもない、どこか観光客気分のふざけた天使とクソ真面目な部下の天使と会って、それでも一応はまともな死神らしい死神を演じていたせいで苛々が蓄積して爆発寸前だった。そんな折にヤミハラとササメの中華屋の実態を目の前に突き付けられたことで彼は幻滅を通り越して、もはや疲弊していた。それでつい目の前の元凶にも等しい厄介な相手に向かって言ってしまった。真実を暴いたところで救いのない話は気が重いだけだ。この一見すると気弱で繊細そうな少年はどこか死神を堕落させる色香まで身にまとっている。
「コウ…お前なんで悪魔に大人しく食われてなかったんだ?」
「ちょっと…統括!言うに事欠いて!」
シロガネが眉を上げたが、統括は立派な座り心地の良さそうなチェアーに座って机に足を乗せたままフンと鼻を鳴らした。
「私はね、女の死神は嫌いだが、もっと嫌いなのは男のくせにウジウジしているお前みたいな奴が一番いけ好かないんだよ。僕はササメに夫の代わりをさせられていた可哀想な子です、って第六階級で無駄にダラダラ時間だけ費やして、一人前の大人になった気でいる甘ったれた奴がね。ま、これはあくまで私の個人の嗜好の問題だ。やり直す気があるなら別に構わないし止めもしない。その代わり、一つだけ忠告しておこう。マソホとヤミカには手を出すなよ。ササメみたいに死神のくせに倫理観の緩いのと一緒にしてもらっちゃ困るんだよ。女の死神は嫌いだがヒサメみたいに将来的に有能な死神になりそうな魂に、お前みたいなしょうもない奴が絡んで足を引っ張るのは止めろと言っているだけだ。発散したいときはシロガネにその道のプロのいる店にでも連れて行ってもらえ…ったく、何が夫だ。子ども時代を追体験させるにもコウは中途半端に成長しているし…姿形と内面とがアンバランスなのは正直なところ困るんだよ」
統括はペラペラとコウに関する書類をめくっていたが、やがてメモを破り取るとフッと息を吹きかけた。メモは蝶になって飛んでゆく。
「コウの担当を変える。別に交流するなとは言わないが、クロさんのところに置いておくと、コウのためにもならない。日常的にマソホが視界に入るからな。ササメの仕込んだことには違いないが、リスクが大き過ぎて許可できない。シロガネのところも同様だ」
しばらくして遠慮がちなノックが聞こえた。入れと統括が言うと、顔を出したのは金のウェーブヘアーを伸ばしたタケナワだった。タケナワは軽く手を上げる。コウはギョッとした表情になった。
「あ、どうもっす。シロガネさん」
「今日も相変わらず派手だねぇ」
「シロガネさんこそ、前みたいにビジュアル系バンドの格好して下さいよ!あれ、個人的にはめちゃくちゃ好みなんすよ…って、すみません統括、何の用ですか?お疲れっすねぇ…肩でも揉みますか?」
タケナワはニコニコしながら疲れ切った様子の統括を見つめた。統括はもはや怒る気も失せてタケナワの顔を見る。最初こいつは使い物にならないと思ったのに、いつの間にか第一階級だ。たまに外れる統括の予想が具現化したような存在だった。
「あータケナワ、このガキ…じゃなかった、今は縮んでるけど中身は成人してしまったコウの担当を頼む。夜には多分成人になる。健全な男の正しい遊び方を教えてやってほしい。今、資料を渡すから」
統括の放った資料を受け取ったタケナワは目を通すなり見るからに嫌そうな顔をした。資料とコウとを交互に見やってタケナワは深いため息をついた。
「これ、マジっすか?エグいなぁ。これ…知ってるのはごく少数なんですよね?口外無用?」
「あぁ…飛び飛びの受講記録とコウの様子から不自然な点を読み取ってクロさんが全て暴いてしまったからな…知らぬ存ぜぬで見てみないフリを出来ないんだよ、クロさんは。お前のときもそうだっただろう?」
「あーそうっすね。でも俺はお陰でこうして今死神としてやれてるんで、感謝しかないっすけど。コウ?お前もいつか感謝する日が来るよ。最初はクロさんのこと、いけ好かない奴だなって思ったけどさ。クロさんに助けられた俺が今度は助ける番って訳か。俄然やる気が出てきましたね!分かりました。引き受けますよ」
「ところで、カサイの具合はどうだ?」
「まぁ…日によって高低差はあるっすけど…今日は講座を受講できる程度には回復してますね。やっぱり犬が出ましたが追い払いました。でもかなり人になってますね。本人の意思が弱いからなんすかね…」
「どう足掻いても獣は死神にはなれないよ…それなのに、人に成り代わればなれると信じている…」
「実際のところ、どうなんです?成り代わればなれるんすか?」
タケナワの言葉に統括は難しい顔をした。
「今まで全て奪われた者はいない…前例がないな。その前例になってしまわないことを祈るしかないね。あとは本人の意思だ。話は以上だ。コウは講座を受けてからタケナワと帰るように。そうしないと存在が消滅してしまう。それだけササメに縛られていたのか…哀れだよ。だが断ち切れ。その絆は歪んでいる。ササメはヒサメに対する嫉妬から、お前に強要したんだ。ただヒサメと同等になりたかった、それだけだ。それはお前の欲しかった愛情などではない。偽りの関係だよ」
統括の言葉が刺さってコウはもう立ち直れないくらいまで落ちていた。それでもまだ消えずに自分はここにいる。そう思ってコウは顔を上げた。
「…分かりました…受講してから帰ります。僕は誰かの言葉にいちいち傷付くほど、もう子どもでもないので…平気です」
今までどこかぼんやりと虚ろだった瞳に憎しみが過る。そうだ憎めばいい、と統括は思った。憎しみも魂の消滅を防ぐエネルギーになる。もうどうでもいいと無気力、無関心になることが一番危険だった。そうなると魂は消失する。タケナワとコウが出てゆくと、シロガネは統括の方を見てため息をついた。
「統括は…いつも憎まれ役ですねぇ…」
「…意図してやってる訳じゃない。元々性格が悪いのは分かりきっている」
「でも、最近マソホちゃんへの風当たりは緩くなった気がしますけど?」
「お前はひと言余計だよ?どうなんだ?ヤミカは克服できそうかな?」
「…それこそ…誰に言ってるんですかねぇ。久々に熱くなってるんですよ?この俺が」
「やれやれ、まったく。クロさんもシロガネも、魔性の女に陥落してしまったようだ…」
「お言葉ですが、クチナワを陥落させた魔性の女が今やランクAの死神ですからね?やっぱり魂に魅せられるような強烈な何かがないと、第一階級以上にはなれないんだと思います。ヤミカの強烈な男性に対する不信感と恐怖症を克服したら何が出てくるのか…俺はその瞬間を心待ちにしている…」
「何とも気長なことだよ。さっさと抱いて快楽を教えてしまえばいいものを」
「俺は向こうが望まないことを強引に仕込むやり方は好きじゃないんでね。それをやったらササメと大差ないことになる。その辺り…欲しがるまでは与えないのは、クロさんも一緒なんですよね。癪なことに。来世の伴侶なら構わずに手を出してても良さそうなところが、その前に擬似的な出産の方を選んじゃいましたからね。俺からしたら、そっちの方が信じられない。いくらマソホちゃんの望みだからって抱かずに出産?順番が逆じゃないですか」
シロガネの言葉に統括は思わず苦笑してしまった。彼の行動は予測不能だ。真面目な死神だが、時に常人では考えられないような手札を選ぶ。シラタマを出産させると聞いたときにも、それを感じたが、倫理観があるのかないのか分からない。いっときでも蛇の形で存在していた式神を自分の腹の中に受け入れる決断をしたマソホも変わっているといえば変わっている。しかも蛇の姿を見た上で納得していると聞いてかなり驚いた。
「あそこは…似たもの夫婦だな…時々クロさんは呪禁師らしく倫理観が破綻しているのに、それを不気味とも思わずにマソホも受け入れるところがあるんだ。ある意味素直で、クロさんがハイアオのような悪意と探究心のある死神だったら、簡単に魂の実験に使われてしまいそうで、こちらとしては目が離せないところだったが…」
統括の言葉にシロガネは心底意外そうな顔をした。統括は眉を上げる。
「何を考えているのかは、おおかた察しがついたから口には出すなよ。私だってただ毎日意地悪なことを言って研修生を泣かせている訳じゃない…」
「統括…クロさんと同じ人を好きになっても勝ち目はありませんよ?統括が誰かの魂をそれこそ個人的に気にするなんて、ここ何百年なかったと聞いてますが?」
「…お前ね、言うなと言ってるだろう。それにこれはクロさんのようなベタベタした恋愛感情じゃないよ。ただ一般的に呪禁師の妻というのは、私のかつての妻のように何の興味関心も一切相手に持たないか、興味を持ったが故に呪禁に手を出して滅びるかの二択だったから、マソホのように受け入れてただ寄り添うのを見ると不思議で仕方ないんだ」
「あぁ…ま、それは確かに。それにマソホちゃんはどこか人を和ませる穏やかな空気もありつつ、鎌を握るとちゃんと迷いなく始末する。不思議といえば不思議かもしれませんね」
シロガネは美しいマソホの顔を思い出して思わず微笑んでしまった。見かけによらない強さもある。ヤミカとマソホと、二人が一人前の死神になった姿を早く見たい。シロガネはそう思った。




