歪(イビツ)な関係
クロさんはハッとしたけれどもすでに遅く、コウくんはすっかり俯いて何かをじっと堪えるような顔付きになってしまっていた。
「コウ…即決しろとは言わないけど、ま、考えておきな。いつまでも第六階級の研修生で止まったまんまじゃな。どっちにしてもそろそろ身の振り方を考えなきゃいけない時期だ」
ミナミさんがその言葉にどこか辛そうな表情した。ミナミさんも途中で一度止めてしまったからだろうと私はひっそりと思う。けれどもミナミさんは再開してフブキさんと共に先に進む道を選んだ。コウくんは頷いた。
「僕…は…強くなりたい…です。怖気づいて何も…出来ないのは…もう嫌なんです…あの…こんな話…誰に言っても…信じてもらえないかもしれないんですけど…ササメさん…スズを抱きしめて言ってたんです…怖くないからって…私たちは悪魔の花嫁になるんだからって…」
「な…んだって!?」
シロガネさんが声を上げて、クロさんはその言葉に凍り付いたように動きを止めた。クロさんの身にまとう気配が一気に変わる。怖いと思った。私の動揺が伝わったのか、お腹のシラタマがバタバタと足を動かした。クロさんは低い声でつぶやいた。
「…まさか、ササメさんが…?」
「マズイな。花嫁にしてやると言って魂を食うのは悪魔の常套句だが…ササメはスズも道連れにしたのか?おい、クロさん、大丈夫か?」
「私を何だと思ってるんです?この程度のことで傷付いたりはしません。大丈夫ですよ。ただ…可能性として一番高いのは、魂と引き換えに一方を悪魔の花嫁に差し出す…花嫁になった方の魂は食われずに悪魔の中に残される…スズさんは幼い分…仮に花嫁に差し出されたとしたら…よく分からないままに悪魔を受け入れてしまうでしょうね…最悪です」
「統括に連絡する」
シロガネさんは厳しい顔付きで頷くとスマホ片手に奥へと消えた。コウくんは更に怯えた顔付きになる。クロさんが表情を和らげてコウくんを見た。
「コウくん、勇気を出して話してくれて良かったです。知らずにいたら大変なことになるところでしたから…他にも気になることがあったらどんな些細な事でもいいから、話して下さい。襲撃当日のことじゃなくてもいいんです。思い出すのも辛いでしょうが…ササメさんやヤミハラさんが何か普段は言わないのに、不思議なことを言ったなど…」
これまでずっと黙っていたペコくんが、首を傾げながら言った。
「ササメさんでもヤミハラさんでもないんですけど…前にスズが悪魔の花嫁って何って聞いてきたことがあったんです。そのときは僕も研修生になりたてで何も知らなかったから、知らないって言ったんですけど、もしかしたらササメさんがスズに言ったのかもしれないって…今になったら思えてきて…」
「つまり、ササメさんは襲撃よりももっと前にその話をスズさんにしていた可能性がある、そういうことですね」
クロさんは難しい顔をしたまま押し黙ってしまった。シラタマがお腹の中で動く。あまりに動きが激しいので私はお腹を撫でてなだめようとした。奥からシロガネさんが戻ってくる。いつになくシロガネさんまで厳しい顔をしていた。
「みんな、よく聞いてほしい。統括に伝えたが、この件は口外無用とのことだ。無駄に誰かに話して混乱を招いては困ると。アシシとヒサメにも言ってはいけない。ササメはヒサメの実の姉だからな。二人は一卵性双生児の双子だ」
「え??」
私とヤミカさんはほぼ同時に声を上げる。全然似ていない、そう思ってしまったせいだった。
「ヒサメが途中で姿を変えたんだよ。ササメとヒサメは最初はよく間違われて、ヒサメの方が死神としての素質は開花してどんどんササメを置いていったから、間違われる姉のことを思って、あえてヒサメがあの格好に落ち着いたんだと思ってるけどな」
「…真夜中に…ヒサメさんのことで…ササメさんとヤミハラさんが…言い合いになってたこと…ありました。僕、喉が渇いて眠れなくて…下に行こうとしたら…二人が言い争うっていうか…一方的にササメさんが怒ってて…ヒサメさんに騙されてる、だとかそういう悪口が聞こえてきて…ヤミハラさんはなだめようとしてかえって泥沼になってました…」
そう言ったコウくんは左の肩に不意に右手を当てた。何もない肩の方に意識を集中させたコウくんの肩が震えて、アメーバのような物体が流れ出てぶよぶよした腕の形に変わる。歯を食いしばるコウくんの背中をクロさんがさすった。
「大丈夫。出来ますよ…」
驚いたようにクロさんを見上げたコウくんは顔を歪めたまま苦しそうに言った。
「クロさん…意地悪なのか優しいのか…どっちかにして下さいよ…なんで…?甘ったれてたのは僕だ。長い間、可哀想な子どものフリをして…半分引きこもりで養成講座に行けなくても…それでもこの関係を保っていれば何とかなるんだって自分なりに納得してたんだ。シロガネさん、僕は本当はもう子どもじゃないんですよ。そんなことはずっと前から分かってた。でも特別な指導だから誰にも言うなって二人から言われて…言ったらスズやペコも受けたいって思うからそれは困るって。肝心なことは教えないで僕を軟禁してたくせに!僕だって途中からだんだん変だって思い始めてたんだ。それにヤミハラさんだってズルい。自分はビジネスパートナーだから無理だってササメさんの頼みは聞かなかった。ヤミハラさんは多分ササメさんが怖かったんだ。だから僕はそんなヤミハラさんの代わりにずっとササメさんの夫の役をやらされてた。特別指導だって。本当の僕は…こっちなんだ!」
コウくんは叫んだ。細くて小柄なコウくんは長身のクロさんやシロガネさんとほぼ変わらない二十代の成人男性の姿になった。ペコくんがぽかんとして突然大きくなったコウくんを見上げる。フブキさんは自分と同年代になってしまったコウくんを見て、さすがに呆気に取られた表情をした。両腕も元通りになり成人男性の姿になったコウくんは、けれどもとても憂鬱そうな顔付きをしていた。顔立ちが整っている分、余計に繊細そうに見えるのかもしれない。コウくんは顔を覆って唇を歪めた。
「あーあ、とうとう言っちゃったよ。どうしよう。俺って…何か罰則の対象になりますか?マソホさんもヤミカさんも…ミナミさんだっけ?ここはタイプの違う美人が多いから子どものフリするのも正直限界で大変だったんですよ。マソホさん…たまたまお腹が大きくなってて良かったですね。じゃないと普通にこれから同居してたらクロさんの目を盗んで襲うところだった。マソホさん、お人好しそうだから、お姉さんって言われて頼まれたら断れないでしょ?」
憂鬱そうで繊細な顔付きの男性は、そんな表情のまま私を絶句させる台詞を平然と吐いた。いつの間にか一人称も俺になっている。とんでもない狼だ。けれどもクロさんは怒ることもなくコウくんに言った。
「残念ですが…私とマソホさんは毎日一緒の部屋でお互いを抱きしめ合って眠っているので、その機会は永遠に訪れませんよ?彼女を一人にする訳がないでしょう。するときはシロガネさんに頼みますから、死神の目の届かない状態にはしませんよ。それに私は第一階級だからマソホさんの魂に接触することが許されるんです。そうやって自身の権利だけ主張するところはまだまだ子どもなんですね。可愛いものです。そしてササメさんも…ヒサメさんは階級を上げて欲しいものを全て手に入れただけです。それをしないでおきながら、研修生である君を軟禁し挙句の果てに夫の代わりにして自分の欲望を満たした…コウくんは被害者であって罰則の対象にはなりませんが、カウンセリングを受けなければなりません。すみませんでした。長い間…気付けなくて…君を苦しめました…」
「は?別に苦しくなんかねーし。別に俺だってその共犯関係を楽しんでたからいいんだよ。元々助けなんか要らなかった。だってもう俺、じゅうぶん大人だし」
歪んだコウくんの顔を見たクロさんは、静かに首を横に振った。
「では、どうして君はそんなに辛そうな顔をしてるんですか?最初は嫌だったはずです…そのときのコウくんの魂はまだ子どもだったはずですから…」
バンっと大きな音を立ててコウくんはテーブルを叩いた。コウくんはクロさんを睨む。
「あんたに俺の何が分かるって言うんだ!!何も知らないクセにごちゃごちゃうるせーんだよ!」
コウくんは全身から憎悪を立ち上らせて叫んだ。




