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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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餌に釣られる

 その日クサリは相変わらず寒い部屋のベッドでヒネズミと身を寄せ合って眠っていた。クサリは女の姿になっていたのでヒネズミはその柔らかな身体と、きめ細やかな肌に手のひらを這わせて束の間の幸福を享受している最中だった。なのに突然その時間は乱暴にドアを叩かれる音で中断した。クサリは慌てて姿を元に戻すと布団の中でしわくちゃになっていた服を羽織ったが、ヒネズミは今にも誰かに噛み付きそうな凶悪な顔付きになった。


「ヒネズミ、クサリ、上がお呼びだ」


 ヒネズミは部屋の中で舌打ちをしてベッドから立ち上がろうとしたクサリの腰を背後からもう一度抱きしめた。お陰で立ち上がれずにクサリはベッドに倒れる。ヒネズミは意地でも起き上がらないつもりだとクサリは思った。クサリも少し面倒だったので点数を切り崩そうかと考えていると、先ほどよりも乱暴に再びドアが叩かれた。


「頼むから出てきてくれよ。俺は怖くて無理なんだよ!ランクAの死神が呼んでるんだ」


 クサリは背後のヒネズミの顔を見上げた。ヒネズミは腹立たしげにまた舌打ちをした。


「分かったよ。行けばいいんだろ、行けば」



***



 呼び出されたその部屋はヒネズミとクサリの部屋よりもいくぶんか暖かかったが、目の前の彼はそれでも寒そうにしていた。クサリは見てはいけないと思いつつも彼の下半身のせいではないかと思った。大丈夫だろうか。この寒さだと蛇は冬眠したくならないのだろうか、とまで考えてから、失礼なことを思ってしまったと慌てたが、相手は気を悪くする様子もなく言った。


「確かに寒いと少し動きは鈍るよ。でもそんなことで僕の鎌までが鈍ることはない。ヒネズミは地下の二十五層まで潜ったという経歴があるけど間違いないか?」


「はい…その通りです」


 ヒネズミは居住まいを正して言った。普段よりもきちんとしているのは、やはり相手がランクAの死神だからだろうか、とクサリは考える。この死神には過去にも会ったことがあったが、気紛れに地下に潜ってきては異形化した大物の魂を狩ることで、地下清掃係の間では有名だった。ヒネズミに声をかけたということは、案内役を頼んだということだ。では、なぜ自分まで呼び出されたのかとクサリは不思議に思った。


「……ふぅん。ま、なかなかな腕前だな。クサリは十八層か…じゃあ…まぁ二十層辺りで狩りといくかな」


「えっ!?」


 クサリはギクリとする。一層深くなるだけでも異形化した魂の強さはケタ違いになるからだった。それなのに二層も奥を指定されている。大丈夫だろうかという不安が過ったが、ヒネズミがクサリの肩に触れるのが分かった。


「分かりました。少し準備をします」


「分かった。じゃ、その準備とやらを始めてくれ」


 ヒネズミはクサリを見下ろすと言った。


「俺の中に入ってろ。着いたら出す。十九層から二十層に抜けるときの負荷でクサリは消耗する。消耗しなければ動けるだろ。二十層に着いたら出してやるから、今は入ってろ」


「え…でも…」


「…別に恥ずかしがる仲でもないんだろ?その指輪…こっちでも徹底してるんだなぁ…ほら、さっさとしろよ。あんまり待たせないでほしいんだ。気は長い方じゃない…暇過ぎると眠くなる…」


 クサリはクチナワのその言葉に慌ててヒネズミに密着した。そのままゆっくりとクサリはヒネズミに引き寄せられて中に入る。部屋の中では試したことはあっても、誰かの前でするのは初めてだった。クサリはヒネズミと意識を共有する。ヒネズミの方がクサリよりも微細な気配に敏感だと思った。がさつなように見せかけておきながら、ヒネズミが繊細な面も持ち合わせていることを知る。時々大雑把な自分とは違うとクサリは思った。


(あんまり余計なこと考えるな)


(だって…ヒネズミさんの意識を拾うから…比べちゃうんです…自分は雑だなって…)


(おおらかって思っとけよ、そこは。俺はクサリのそういうとこに救われてるんだから)


 クサリはヒネズミの言葉にドキリとした。少し遠くでクチナワの声がする。


「いちゃつくなよ、お前ら。あークサリって、いつの間に女の格好できるようになったんだ?中に入ったら女になってるし…ったく、いい身分だよなぁヒネズミ。やりたい放題じゃねぇの?」


「……いや、そんなこと…も…ありますかね。否定はしませんよ。実際、クサリには好き放題してますし」


 歩き始めたヒネズミまでがそんなことを言う。表面上は冷静なのに、ヒネズミの意識が少し動揺したのをクサリは確かに感じた。妙にこそばゆい感覚にクサリはすっかり落ち着きを失う。


「盛大にのろけるなよ…腹立つなぁ。ま、僕も今日はちょっといいことがあったから、仕事をする気になったんだ」


 その言葉と同時に一気に下に潜り始めた気配がして、クサリは一瞬自分が押しつぶされるような感覚がした。下に進むにつれてその感覚は強くなる。やがて目的地に到達するとクサリはヒネズミの中から引き出された。出されたところからきっちりと元の青年の姿に戻る。


「二人でそこで留守番しててくれ。たまに来る異形を狩ってくれたらそれでいい。一人で留守番は暇だろ。魂を食い散らかされなければ、別に二人で何してようが自由だ。そこそこ狩ったら戻ってくる」


 クチナワはそう言うと日本刀を抜いて二十層の闇に消えた。


「えっ…?てっきりついて来いって言われるのかと…」


 拍子抜けしたクサリをよそに、ヒネズミは背負ってきた荷物の中から毛布を取り出して肩からかけると地面に座った。


「来いよ。何もしないで待つのも寒い。たまに出るから油断はするなよ?」


「え…?あの…」


 クサリはヒネズミの前に座って後ろから毛布ごと抱きしめられた。ヒネズミは肩に猟銃をかけていた。クサリは銃はうまく使えないが、ヒネズミは色々な武器を使いこなす。銃を用意したということは、動く気のないことを示していた。


「本当に…案内だけ?」


「あぁ、そうだ。クサリもここで手裏剣の練習でもしろよ。仕留め損ねたら撃つから気負わずに」


「…そんなに抱きしめられてたら…いざって時に手が動かせないんですけど…」


「あぁ、悪い。ついクセで」


 ヒネズミは腕を離す。それでも背中は暖かいとクサリは思った。ヒネズミとクサリの後ろは要所要所に設けられた特殊な壁なので背後から異形に襲われる心配はない。ヒネズミの顔が近付いてきてクサリは唇が重なるのを感じたが、目は閉じなかった。クサリは上を向いたことでそこにじっと息をひそめてこちらを窺っている異形に気付いた。手裏剣を投げると刺さったが仕留め損ねた。ヒネズミの猟銃が火を吹く。鼓膜がおかしくなりそうな音と共に上から異形が落ちてきた。性別不明な人間の顔と昆虫の顔を足して割ったような見た目で、鼻から上は人なのに口はバッタか何かのような口の形をしていた。ムカデのような脚がワシャワシャと動いていたがやがて消え去る。


「…目を閉じないのは正解」


「いくら道案内とは言っても…清掃作業中にキスしてる方が正気じゃないと思いますけど…」


 クサリは少し呆れたがヒネズミはニヤリと笑った。笑ってもどこか凶悪な顔付きになるので、ヒネズミは損をしているとクサリは思った。


「実際…少しイカれてるくらいじゃないと務まらねぇよ。したくなかったか?」


「そうは言ってませんけど、手裏剣が投げにくいです…」


 クサリは事実を口にしただけなのに、なぜかヒネズミがニヤニヤ笑ったので、納得がいかなかった。


「な、なんですか?」


「いや、クサリを選んで良かったなと思っただけだよ」


「選ぶ?」


「あ…まぁ…時効か。実のところは、部屋割りはある程度地下清掃の経験を積んでたら少しは融通が利くようになるんだよ。どの新入りを同室にするか、しないか」


「は?そんなの聞いてないですよ!」


「誰もそんなことは言わないから、新入りは知らないだけだ。経歴を参考にして選ぶ…あとは共通の趣味や…見た目…」


「……僕はどこで選ばれたんですか?」


「ん…顔…かな。だいたい毎日顔を合わせるのに好みじゃない顔付きの奴とはいたくないだろ。ぶん殴りたくなる…合わない奴と同室になってお互いの魂を細切れにして消えちまった奴もいるからな…無駄な争いを避ける意味もあるんだよ」


 クサリは手裏剣を投げて今度は少し小振りの異形を仕留めるのに成功した。


「はぁ…顔…ですか。あんまり喜べないというか…」


「冗談だよ。参考にはしたけどな。趣味だな。シグレを殺した奴だったからだ。シグレが好きで好きでたまらないって顔してたからな。同じ作家に興味のあった相手なら話も合うだろうと最初は思った…」


「はぁ!?一度も僕とそんな話したことないじゃないですか。ヒネズミさん!」


 クサリの言葉にヒネズミはハハッと乾いた笑い声を上げた。


「お前の抱える罪の意識があまりにも大きかったからだよ。シグレ一人の死に影響を受け過ぎていて、とても軽々しく名前を口に出せる雰囲気じゃなかった…だから言うのを止めた。それだけだし結果としてこうなったから、今は満足してる…」


「…ずるいですよ…そんなこと…言うなんて…」


 クサリがつぶやいたところで、異形を消さずに捕らえたクチナワが現れた。巨大なミミズのような身体にやけに精悍な男性の顔がついている。


「こいつ捕まえたから一度戻るわ。身体の一部に昔飲んだ研修生の欠片が残ってる…なんて言ったかな…あー思い出せないな、まぁいい。他のを追って逃げられても面倒だから戻る。こいつ、飲んだのはいいが消化しきれなくてこのザマだ」


 クチナワは縛り上げたミミズを肩に担ぎ上げた。クサリは再びヒネズミの中に入れられて、二十層から上に戻る。層を突き抜けるのは消耗する。ヒネズミが少し疲れているのを同化したクサリは感じた。先ほどの部屋に戻ると少し前よりも暖かくなっているように感じた。それだけ二十層が寒かったせいだとクサリは思った。しばらくすると警備隊がやってきて、クチナワの捕らえた異形を回収して行った。クチナワは部屋に置いてあったカバンの中から何かを取り出す。


「お前ら食う?」


 それは板チョコだった。


「えっ…いいんですか?」


 ヒネズミはそう言いながらも喉を鳴らす。クサリも思わず食い入るように見てしまった。


「地下の食いもんはアレだからなぁ…道案内の報酬って名目で出す分には見逃されるんだよ。色々とやりようはある」


 クサリは割って手渡されたチョコレートを恐る恐る口に入れる。


「あぁ…甘い…」


 クサリはしみじみとつぶやいた。ヒネズミも食べたのを見計らってクチナワはもう一枚チョコレートを出すと言った。


「食いもんで買収するみたいで悪いけど、ちょっと探し物頼まれてくれないかなぁ?さっき来た警備隊も追ってるけど、ハイアオの犬が研修生をさらって見つからないんだ。一人か二人か…恐らく二人だな…今のところ。警備隊の連中はプライドが高い奴が多いから、地下について詳しいお前らには多分質問はしないだろ?僕は別にそこは気にしないから聞く。犬が隠れられそうな場所…すみかにできそうな場所がどこかにないか?昔使っていた拠点とかそういう場所だ…思いついたら連絡してほしい。何なら…探し出して犬を始末してもいい…僕は直接手を出すと少しまずい立ち位置なんだ。なにせ相手はハイアオの犬だからな…死神どうし気まずくなる」


 クサリとヒネズミは顔を見合わせた。


「…犬を始末して…減点されたりは…」


「あーそこは問題ない。むしろ加点だ。ただ…研修生も犬になってるかもしれないからなぁ…始末対象は雌犬だ。区別がつかない場合は居場所だけ連絡してくれ。ま、連絡してもらった方が妥当かな。間違って研修生を始末しちまうと面倒なことになる。それこそ大幅な減点…」


 クチナワはニヤリと笑う。板チョコ一枚ですっかり買収された気分になったヒネズミは唇を歪めた。


「板チョコで危ない橋を渡らされる日が来るなんて思いませんでしたよ…でも、チョコレートはここじゃ高級品だ。末端価格は約一年かけて稼ぐ点数でようやく取引できる代物…ったく。白い粉かってくらいだな。チョコレート一欠でそれですから」


 クサリは思わず手元のチョコの欠片を見る。ヒネズミと半分にしたから約十年分ほどの点数ということになる。恐ろしいと思った。そしてそのことを知っておきながら餌で釣るクチナワもやはりランクAの死神だと思った。ここの食事がどんなものか知っているからこそ行える所業だ。


「僕はチョコレートを渡してちょっと見つけにくい失せ物の捜索依頼をしただけ…成功報酬はまた別に支払ってやるよ。出来のいい奴は重宝するんだ。ヒネズミは前に案内役を頼んだときも最短で余計な手間のかからない道を選択した。ヒネズミが別の作業で不在のとき他の奴に頼んだら、十層で異形の群れに突っ込んで余計な手間をかけさせられたから、やっぱりお前じゃなきゃダメだと思ったんだよ。それに僕の姿を見ても顔に出して嫌がらない…クサリなんかむしろ寒くて大丈夫なのかなんて心配してるしな。下半身が蛇で心配されたのなんか初めてで調子狂うったらないよ。じゃあな、期待してるよ」


 クチナワはそう言うと部屋から出て帰って行った。残されたヒネズミはクサリを見て呆れた様子で言った。


「お前…そんなこと考えてたのか?危ないな…ったく。あの人の容姿についてあれこれ想像して鎌ぶっ刺されなかったのは、クサリが初めてかもな」


「え?ヒネズミさんは…?」


「あぁ?俺は考える間もなかったんだよ。あのときは三人呼ばれて、気付いたらすでに隣の二人の首が落ちてたんだ。身体の方は細切れにされてて、そっちにギョッとしてる間に案内ができそうなのはもう俺しか残ってなかった…でも…今日は相当機嫌が良かったんだろうな」


 ヒネズミの言葉にクサリは自分の首が落とされていた可能性について考えた。身体も細切れとなると元に戻るにも時間がかかる。


「それ先に言って下さいよ…」


 クサリが声を上げると、ヒネズミはクサリの頭を乱暴に撫でた。


「そういう事前に仕込むのも、あの人は嫌なんだよ。ま、バラバラにならずに旨いもん貰えたんだから良しとしとけ」


 クサリは仕方なく頷いた。口の中にはまだチョコレートの甘い味が残っていた。

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