忠告
クチナワはウィスキーを飲みながらクロガネの顔を見た。
「ハイアオの犬がさぁ…逃げたんだよね…」
「それは…分かってますよ」
「トウキは諦めた方が早い…ちらっと見かけたときは、すでにほぼ犬になってた…波紋が出まくっただろ?」
「諦めろと言われましても…魂がある限りは可能性は捨てられません…クチナワさん、犬は始末…できませんか?」
クチナワはまじまじとクロガネの顔を見返して唇を歪めた。
「は?ハイアオと敵対しろって言ってんの?嫌だね。ああいうのは警備隊にでも任せときゃいいんだよ」
「でもクチナワさん、あまり仕事してないじゃないですか…点数を切り崩すのも…そろそろ限界なんじゃないですか?」
「チッ…お前は嫌な弟子だな。師匠の点数まで数えるな。そのうち地下で掃除でもしてくるさ。異形相手なら何をしようが口うるさく言われないだろ」
「図星なんですね…」
クロガネはワイングラスを磨きながら微笑んだ。ミランとシグレは口を挟めずに二人のやり取りをひっそりと見守る。口など挟めるはずもない。微笑んでいるのにいつ鎌を取り出してもおかしくない緊張感が漂っていた。
「…?」
不意にクチナワは見守る二人の顔をじっと見つめて、それからちらりと指輪を見た気がした。
「気持ち悪いなぁ…」
クチナワはため息をついた。
「き、気持ち悪いですって!?あなたにそうしろと強要した訳じゃないんですから、放っといて下さいよ!!」
ミランがおっかなびっくり口を開く。
「クチナワさんは、そういうことが特に白い目で見られる時代に生きてきましたから…共感を得るのは難しいですよ。で、どうする気ですか?クチナワさんが犬を狩るつもりがないのでしたら…特別区が動くしか手段は残されていないと思いますが…」
「違うよ。ミラン、お前、男の格好の方が断然まともなのに、なんでそっちをメインにしてるんだって話だよ。別に誰がどいつと付き合おうが興味はないよ」
クチナワはそう言うと、再びウィスキーのグラスを口に運ぶ。そうしてクロガネの目を見てキッパリと告げた。
「特別区は動くな。巻き込まれて腹立たしいのは分かるけど、ここで動いたらハイアオが報復するきっかけしか作らない。いいか。何を切り捨てて何を救うか、選ばなきゃならない時もある。波紋を起こした赤の他人を救って、お前はマソホを奪われたいか?そうじゃないだろ」
クチナワは残っていたウィスキーを飲み干す。ふと彼は蛇化した下半身に何かを感じて振り向いた。そこにはシラタマがいて、そっと小さな手で触れているのだった。
「触るなボウズ」
クチナワは顔をしかめる。けれどもシラタマはニコリと笑った。
「僕は蛇の式神としての姿も記憶してるから平気だよ…ねぇ、抱っこして。蛇の方のお母さん…」
シラタマは両手を広げる。
「コラ!人前でお母さんって呼ぶな!誤解される!!」
そう言いながらも、クチナワは本当にしぶしぶといった様子でシラタマを膝の上に乗せた。ミランとシグレは、思わず目を剥いた。クチナワが子どもを抱っこしている?と、二人は見慣れないどころか異常なことが起こった顔付きでクチナワとシラタマを交互に見ていた。
「…でっかくなったな。そりゃそうか。擬似的出産でマソホが産んだんだもんな…おい、お前らなんて顔してるんだよ!絶対に喋るなよ!この蛇の下半身は雌の蛇なんだよ!!卵を腹に抱えたまんま死んだ雌蛇…その卵をクロガネは式神の材料にした…ただそれだけだ!!」
ただそれだけと言いながらもクチナワの下半身はにょろにょろと動いてどこか愛おしそうにシラタマの腕に触れていた。まるで下半身に別の意思があるかのようだった。シラタマは小さな笑い声を立てる。
「ええっ!?なにそれ?初耳過ぎて理解が追いつかない!!」
ミランさんが素っ頓狂な声を上げた。
「何も縁のない魂を式神にするのは時間がかかりますから、師匠の蛇の部分に残っていた卵を摘出しただけです。だいたい、お腹に異物感があると気にするから取り出してあげたんですよ?そうしたら中の卵の一つが交渉してきた…だから、私は私の息子の魂の器として孵化する前の卵を選んだに過ぎません。取引が成立したから蛇の卵を媒体にして息子は私の式神になった、それだけのことです。だからたとえば師匠がナイル川の雌のワニに食われていたら、私の式神はワニだったかもしれない、その程度の話ですよ…」
「あーワニもいいなぁ。見た目強そうだし!」
シラタマはクスクスと笑う。クチナワは呆れた様子で少し乱暴にシラタマの頭を撫でた。
「…ったく、好き勝手なこと言いやがって」
クチナワはやがてシラタマを膝から下ろすと自分も椅子から降りた。
「じゃあな。黙って見ておけ、いいな」
クチナワは振り返りもせずにあっという間に店から出てゆく。クチナワが出て行った後でクロガネはドアの前に立ってお札をピッと貼り付けた。
「…クチナワさんの気配を追って…呼び寄せられるモノもいますからね…絶っておかないと」
クロガネは何事もなかったかのように戻ってきてシラタマを抱き上げたが、シグレは固まったままだった。
「どうしました?」
クロガネが言うとシグレは首を横に振る。
「クロガネちゃんって…やっぱり根っからの呪禁師なのねって思うわぁ…よく、怖くないわよね」
ミランが頬杖をついて言った。
「何がですか?」
「だって…蛇のお腹にあった卵を摘出って…なかなか…しかもそれを式神に使っちゃうとか…思いつかないわよ…」
「自分が、制御できる範囲内であれば…何も問題はありませんよ。それ以上のものに手を出そうとするから、手を離れてしまうんですよ。あの犬のように…恐らく色々と食わせ過ぎたんでしょう…他の物の影響を受けて…変容してしまった…シラタマは拾い食いはダメだよ?見ず知らずの人から何かもらって食べるのも禁止!いいかい?」
クロガネの言葉にシラタマはクスクスと笑う。
「嫌だなぁ、お父さん、僕はアオハじゃないんだから、知らない人にのこのこついていったりはしないよ。だから大丈夫」
クロガネはシラタマの頭を撫でる。端から見ると本物の親子のようだが、擬似的出産体験で形を得た魂はウミツキとシラタマしか存在しない。クロガネは不意に思い出したようにポケットから小さな箱を取り出した。中を開けると特徴的なイヤーカフが入っていた。
「統括がこれをつけるようにと言ってたのを忘れていたよ。ウミツキとシラタマに。二人は死神が擬似的出産で形を与えた存在だから、他の研修生とは区別する必要があると言っていた…」
「えーイヤだよ。なんかウミツキとお揃いみたいになるじゃん」
「…安心して。ウミツキのは金色だしデザインももっと可愛らしかったよ。シラタマのは銀だしシンプルだ」
クロガネの手がシラタマの耳に触れてイヤーカフが装着される。シラタマは妙な顔付きをした。
「うわっ…なんか…慣れない…違和感しかない…」
「一日経てば慣れるよ。私とマソホさんの指輪とお揃いだ。死神の家族…というと変な感じかもしれないけど…そういうことだ。間違いなく私たちは、過去では家族になるはずだったんだから…」
クロガネはそう言うと微笑んでシラタマの頭を撫でた。
***
地下から戻った私とシロガネさんは恐る恐る喫茶店のドアを開けようとして、それがびくともしないことに気付いた。窓から明かりは見えるのに店の中には誰の姿も見えなかった。
「あれっ…開かないな…まさか締め出されたか?」
シロガネさんはコンコンとドアをノックする。しばらくすると、静かにドアが開いてクロさんがそこに立っていた。私は恐る恐るクロさんの顔を見上げる。怒っているような気がした。
「た、ただいま…です…」
「おかえりなさい…マソホさん…地下でずいぶんなことをされてきたようですが…」
「はい…すみませんでした…」
私は素直に頭を下げた。
「早く入って下さい」
クロさんは私とシロガネさんを招き入れると素早くドアを閉めてお札を貼り付けた。
「なに?雨でもないのに、なんかそぞろ歩きでもしてるのか?」
「……クチナワさんが来たんですよ。それだけです」
「はぁ?ずいぶんな気紛れだな」
「犬の件には手出しするなと釘を刺されましたよ」
「あーなる…」
「ちょっ…クロさん!?」
私はクロさんに容赦なく服をめくられてお腹を検分されていた。クロさんの手のひらが触れてゾクッとした。
「おいおいクロさん、もう跡形もないから大丈夫だよ…」
「いいえ…そういう問題ではないんですよ…少し探りますよ?」
「えっ?あ…はい…」
するりとクロさんの指が私のお腹の中に消える。痛みはない。攻撃ではないからだ。けれども変な感じだった。内臓に触れられていると錯覚する。やがてクロさんが手を出すとどういう訳か紙切れが出てきた。
「えぇ!?なんですかこれ!?」
紙切れには小さな字で何か書かれているようだった。けれども私が確認する前に、クロさんが消し去ってしまった。
「…まったく…この程度の謝罪で私が許すと思ってるんでしょうかね…ヒネズミは…」
「クロさん…ヒネズミさんのこと…よく覚えてるんですか?」
「当たり前ですよ…彼は私を集団暴行して撲殺した雇われチンピラの一人でしたからね…私は顔を覚えて彼らを呪った…雇い主は元々…自分に火の粉が振りかからないようにしたくて兵隊を雇ったようですが…次々に怪死してゆく彼等を見て、とんでもないものに手を出したとようやく気付いた…」
クロさんは優しく微笑んだまま、怖いことを言った。
「ヒネズミは…本当は怖がってほぼ何も出来なかったんですけどね…殴らないと殺すと脅されてガタガタ震えながら私を殴った…ちょっと可哀想になりましたよ…あれ以来会うことは叶いませんが…ま、元気そうで良かったですよ」
「…シグレ先生を刺殺した…クサリさんと…お揃いの指輪…してましたよ…悪い人でも…なさそうでした。あの…怒ってない…ですか?」
「どうして私がマソホさんに怒らないといけないんですか?怒ってはいませんよ。ただ…心配しただけです」
クロさんはそう言って私の頭を撫でた。
「手を出すな…ねぇ…なんであの人は本気出さないんだ?」
シロガネさんは手を洗って冷蔵庫に入っていたスープを温め始めた。
「それでも…地下清掃に行くと言ってましたよ。大物を狩ってくれれば…多少は落ち着くでしょう…」
「ふーん…クロさんも食べる?けっこう量あるからさ」
「では、いただきます」
それからは三人でテーブルを囲んで温かい具沢山のスープを食べた。飲むというより食べる感じだ。肉団子も入っていてお腹が膨れた。時折ドアの外でガタガタ、トントンと音が聞こえた。開けて開けて、と小さな子どもの声も聞こえたけれど、私たちは何も聞かなかったフリをした。
「クチナワさんも、変なのに好かれますね…まったく」
クロさんが独り言のように言ってドアの方に手をかざすと、ざわめき声がして遠ざかっていった。
「はい、マソホちゃんのバーテンダー姿の隠し撮り。クロさんの携帯に送っておいたからね」
シロガネさんが言ってクロさんが携帯を開く。
「いつの間に!?」
私はシロガネさんの手際の良さに呆れた。常にシェイカーを振っていてそんな余裕などなさそうに見えたのに、青年姿の私がヒネズミさんのチケットを確認している姿が撮られていた。
「俺はマソホちゃんを撮ったんだよーそうしたら部外者までたまたま写り込んじゃっただけ…」
写真を見たクロさんが可笑しそうに笑ったので私はホッとした。クロさんはもうヒネズミさんのことを恨んだりはしていない、そう感じたからだった。




