温もりを分かち合う
私はそのとき、ヒネズミさんが何をするつもりなのか、まだハッキリと分かっていた訳ではなかった。けれどもそれまで丁寧に一口ずつ味わっていたカクテルを突然飲み干したので、何かをするつもりではないかと身構えた。顔が近付いてきてようやく私は彼が持ち点を下げるつもりだと理解した。何のために?私は彼の唇を思わず避けていた。手を刃物にして私は彼の首の前で寸止めをする。同時にお腹に衝撃が走って自分のお腹に彼の腕が突き刺さるのを見た。店内に悲鳴が響き渡る。ヒネズミさんが抜こうとした腕を私は抜かせなかった。
「ヒネズミさん…理由を説明して下さい…」
「っ…抜けない…!?」
「説明するまで抜かせませんよ。別にどうってこと、ありませんから…」
私はヒネズミさんの首に突き付けた刃物を腕に戻す。
「あー大丈夫、よくあることだから、気にしないで」
シロガネさんは笑いながらそう言って、私とヒネズミさんの周囲を囲ってしまった。空間が切り離されてこちら側に来たクサリさんがヒネズミさんの顔を見てなぜか泣きそうな表情になる。
「点数を減らしたいんですか?どのくらい?私の唇は通常の倍です…お腹を刺されたら…どのくらい減るんでしょう、シロガネさん」
「マソホちゃん…その状態で平然と言わないでよ。キスよりも高いに決まってるでしょ」
「シロガネさん、ちゃんと通報しましたか?キスよりも点が高いなら…まぁ…仕方ないですね…」
シロガネさんは証拠写真を添付して統括に送った。私はできるだけ苦しそうな顔をする。
「なんで、こんなに冷静なんですか…もっと凄惨な場面にしたかったのに…クソっ…抜けない…俺は…あのクソ寒い部屋でいいんですよ!だってこいつを一人にしたらまた寒くて同室の奴のベッドに潜り込むんだ…そうしたら相手に流されて簡単に身体を許してしまうから…それじゃ意味がないんですよ!!」
「…ヒネズミさん…そんな心配…してくれたんですか?そりゃ…僕は…すぐに…人をすぐに信用してしまうけど…誰彼構わずに…寝たりは…しないよ…僕にだって…好みは…あります」
「違うんだ!お前、自分のこと分かってなさ過ぎなんだよ!鏡でちゃんとまともに顔見たことあるのか?襲われるって言ってるんだよ!!ただでさえここは娯楽が少ないんだ。だから…って、散々好き放題してた俺が言っても信憑性がないな…クソっ!こういうとき何て言えばいいんだよ!」
私はヒネズミさんの顔を見た。
「好きだって言えばいいじゃないですか…シロガネさん…点数…下がりましたか?」
「あーちょい待って…」
シロガネさんはスマホを取り出して調べていたが、やがて大きく頷いた。
「あークロさんと縁を結んだマソホちゃんを攻撃したってことで大幅に下がったわ。うん…マソホちゃんいい顔してんね。ヒネズミは残念ながらクソ寒い部屋に居残り確定だな…」
私はお腹の力を緩めてヒネズミさんの腕から自分の身体を引き抜いて修復した。お腹の周りに彼岸花が咲き乱れる。花は徐々に身体の中に吸収され始める。
「ふぅ…元の姿の方が悲惨な見た目になってもっと減点されましたかね…」
ヒネズミさんはというと、そう言った私をものすごく奇妙なものを見るような顔で見ていた。
「私、クロさんのスパルタでこれは序ノ口なんです。首を落としたり胴を斬ったり…今はシグレ先生も参戦してきて油断できないんですよね…」
シグレ先生の言葉にクサリさんがビクッと反応した。私はやっぱりそうだと思った。シロガネさんがクサリさんに言った。
「クサリ、シグレ先生は強引な死神に指輪を嵌められちゃったんだよ…だから、もうそろそろ…手放したらどうだ?執着…簡単なことではないだろうけど…いつまでも抱え込まなくていいんだよ」
「…簡単に出来ないから困ってるんですよ…なのに僕もヒネズミさんに指輪を嵌められちゃって…どうしていいのか…」
私はそのときクサリさんの指輪にようやく気付いた。ヒネズミさんの指輪だと知って納得してしまった。
「その指輪…嵌ったってことはお互いの気持ちが通じ合ってる…両想いってことなんですよ?相手に気持ちがないなら、指輪は消えるみたいです…」
「え?そんなこと…僕は聞いてませんよ!」
クサリさんはヒネズミさんの顔を見上げて怒ったように言った。
「あー、そんなこっ恥ずかしいこと言えるかよ。そういうことだよ。お前、疑ってたけど…お前とこういう関係になってから、他の誰とも…遊んだりはしてない。波紋が出ると思ったからな」
ヒネズミさんの言葉にクサリさんは顔を歪めて苦しそうな顔をした。
「どうしてっ…僕は…シグレ先生を…敬愛してるのに…なんで?ずっと…好きでいられないんだ…ずっと好きでいないと…僕の罪は簡単には許されるものじゃない…僕は…他の人を好きになる資格なんてないのに…!!だって一番大好きな先生を殺しちゃったんだから!!」
クサリさんは顔を覆った。ヒネズミさんはクサリさんを抱きしめる。
「…シグレ先生は…最後に何て言った?」
クサリさんはヒネズミさんの腕の中でつぶやいた。
「君が…私の死神か…?ありがとう…って…」
「先生は…生前のインタビューで病に殺されるのが一番嫌だって言ってたよな…それなら、誰かの手に掛かって華々しく散りたいって…」
クサリは段ボールの中に百合の花を詰めて訪れた。宅配業者を装ったが、玄関を開けたシグレ先生はクサリを見て微笑んだ。段ボールを手放して、真っ青になって包丁を握りガタガタと震える彼を見ても彼は微笑んでいた。
(先生…!敬愛して…います…)
(うん…ありがとう…)
(先生…病気は…)
(うん、治らない。無理だって。だから…)
その後の記憶は曖昧だ。けれども倒れてからもしばらく彼は生きていた。クサリは段ボールから百合の花を出して辺りに置いた。血の臭いと濃厚な百合の花の香りが混ざったその中で、クサリは自分の首を切った。クサリはシグレの上に倒れる。やっとのことでシグレの目を閉じて、身体の上に重なってその温もりを感じていた。やがて闇が訪れる。それで終わったと思ったのに、彼は倒れた自分とシグレの身体を見下ろしていた。シグレは困ったようにクサリの顔を見た。
(どうして君まで死んでしまうんだ…これじゃ…誰も…何が起こったか…理解できないじゃないか…)
(いいんです…僕は…無味乾燥な日々を過ごしてきて…唯一の潤いが…先生の生み出す作品だったから…だから…先生の新作の読めない世界に取り残されるくらいなら…一緒に逝きます…)
二人は手を取り合おうとした。そのとき死神がやってきて二人を引き裂いた。
(殺した者と殺された者はいかなる理由があっても同じ道は進めない)
クサリは絶望した。死んだ後に続きがあった知ったときに一瞬沸き起こった高揚は冷たく暗い底へと沈んでいった。
「クサリ…泣くな…他の誰が何と言おうとも、お前はシグレ先生の願いを叶えたんだよ…誰も理解できなくても、俺はお前を理解する…」
「ヒネズミ…さんっ…!」
クサリさんは、ヒネズミさんの腕の中で静かに泣いた。
「ちょっとは素直になれよ。俺を信じろ」
ヒネズミさんは泣き続けるクサリさんの頭を優しく撫でていた。
***
結局ヒネズミは大幅に減点されて、再び底冷えのする部屋にクサリと共に帰ってきた。
「ヒネズミさんは…もう少しマシな部屋に移れたのに…もったいないです」
「移ったって、クサリがいなきゃ無意味なんだよ。ずっと…言えなかった…好きだって。お前はシグレ先生に執着していたからな…でもそれは恋愛感情じゃないだろ。崇拝だ。違うか?」
「……分からないです。区別して考えたことなんか…なかったから…」
「じゃあ、これからは少し考えてみろ。クサリはシグレ先生に…抱かれたいのか?」
「えっ?そそ、そんな畏れ多いことなんか考えたこともないですよ!!……あれ?」
クサリは驚いた顔をしてヒネズミの顔を見上げた。ヒネズミは勝ち誇ったようにニヤリと笑う。
「あぁ…冷えるな。さっさと寝るぞ」
ヒネズミはクサリをベッドの中に引き込んで固い布団を二枚かけた。クサリはヒネズミの腕の中でじっとしていたが、やがてぽつりと言った。
「ヒネズミさん……たまには…女の子の僕…抱いてみますか?」
「は?無理すんなって。止めとけ」
「だって、どっちもイケるって前に…言ってましたよね?」
「……なんで、そんなしょうもない話ばっかり覚えてるんだよ」
「リサーチですよ。嫌われないための…」
クサリは小声でそう言うと姿を変えた。目の前にある長袖のティーシャツの胸に膨らみが現れる。クサリは勇気を出してヒネズミの顔を見上げた。少し自信のなさそうな表情をしているとヒネズミは思った。その庇護欲をそそる目がヒネズミの心を刺激する。元々が女顔なのだ。胸があると本当に女にしか見えなくなった。
「なんの気紛れだ?」
「気紛れじゃないです…どっちも平気なら…こっちの僕のことも…ヒネズミさんに知って欲しいって思っただけです…」
「そうか…分かったよ。でも女なら手加減しないとな…」
ヒネズミはそう言ってクサリを抱き寄せた。それから輪郭を確かめるように手のひらで辿る。クサリはヒネズミの大きな手のひらの感触を皮膚に焼き付ける。今夜のことを忘れたくないと思った。
「抱くなら…しらふのときがいい…俺は…酒に弱いんだよ…一杯でも…けっこう酔ってるんだ…忘れたらもったいない」
「えぇ!?それでよくヤクザなんかやってましたね!?」
「うるさいよ。柔らかいな。うん…抱き心地がいい…」
本当に酔ってる。歩いている間に酔いが回ったのかもしれなかった。ヒネズミはゆっくりと大きな手でクサリの輪郭を丁寧に辿って、クサリを震えさせた。クサリは勇気を出してヒネズミの唇に自分から初めてキスをする。ヒネズミは力強い腕でクサリを抱きしめて囁いた。
「早くクサリも点数稼いで一緒にマシな階に移るぞ?」
クサリは頷いた。
「待ってくれて…ありがとう…」
「時間ならたっぷりあるんだ。どうってことない、気にすんな」
ヒネズミはそう言うとクサリを抱きしめた。ヒネズミの温もりに包まれて寒い部屋でも悪くない、とクサリは思いながら目を閉じた。




