底冷えする部屋
地下清掃係として働いている青年はクサリと名乗っていた。その日も地下に巣食う異形化した魂を狩っていた。彼は消えない罪の証を背負っている。人を手に掛けた者は皆そうだ。地下清掃には時折死神が来ることもあったが、自分が手に掛けた相手とは絶対に出会えないのだと聞いていたし、実際にそうだった。
「ちょっと聞いた?この前、作家のシグレ先生が地下清掃の監視に来てたんだって。私もちらっと見たけど格好良かったよ!」
チヂリが言う。彼女とは最近仕事が被ることが多かった。チヂリは母親に首を絞められて反撃したら殺してしまった。そのショックで自殺した。だからクサリとは事情が違う。クサリは正直なところ少しチヂリが苦手だった。
「ふーん」
クサリは興味などなさそうな返事をした。ところがチヂリは少し意地の悪い顔付きでクサリの顔を覗き込んで言った。
「クサリってさ、大人しそうに見えるのにシグレ先生を滅多刺しにしたんでしょ?人は見かけによらないよねぇ」
周囲にいた他の清掃係がビクッとしてこちらを見たのが分かった。チヂリは勝ち誇ったように続ける。
「ねぇ、滅多刺しにするってどんな気分だった?そんなに恨んでた訳?先生のファンだったんでしょ?あ、違うか。ストーカー?気持ち悪いね。男のくせにおじさんのことストーカーするなんてさ」
「……なんとでも言えば?君なんかに僕のことは理解できないよ」
クサリは静かに言って、チヂリのすぐ首の横にいた異形を仕留めた。刺されるとでも思ったのかチヂリは小さな悲鳴を上げた。
「今日のノルマ終わり。じゃ、お先に失礼!」
クサリはそう言って、その場を後にした。
***
クサリの与えられた部屋はベッドと最低限の荷物しか置けない狭い二人部屋だ。だから相手と話し合った末にベッドを一つにして空間を増やした。クサリと同室の男性もクサリと同じ人殺しだった。カタギの男ではない。背中にびっしりと入れ墨が入っている。ヒネズミと名乗るその男は帰宅すると布団の中で丸まっていたが、クサリの姿を見るなりベッドに押し倒すとクサリを手荒く抱いた。それもいつものことだった。地下もそうだが、この部屋もいつでも底冷えするように寒い。最初はそれぞれのベッドに入って一人でガタガタ震えていたが、布団を二枚重ねて一つのベッドに入ったら少しマシになった。そのうちお互いもっと熱がほしくなった。そうなるのはむしろ自然な流れだった。時々首を絞められてクサリは意識を失う。それすらも現実を忘れられる快楽の一つになっていた。一通り終わると彼は何事もなかったかのようにクサリを連れて食堂に行った。食べ物は選べない。別に食べずとも死ぬ訳ではないが、食べないとヒネズミはもっと荒々しくなる。だから咀嚼し無理矢理飲み込む。それだけだ。
「…また赤いミミズかよ…」
ヒネズミは箸でつまんだ物体を見て心底嫌そうな顔をした。
「ミミズじゃないですよ…ラーメンです」
「こんなもんが、ラーメンな訳あるか」
「全ての事象は考えようですよ。ヒネズミさんは、今日の異形はどうだったんですか?」
なんとなく、狩った異形が手強い相手であればあるほどに、ヒネズミは荒々しい欲望をぶつけてくる気がしていた。魂が危機に晒されるせいだろうか。別にクサリはそれが嫌ではなかった。
「あぁ?でっかい芋虫みたいな奴が多かったな。顔が女なの。でもお前よりもずっとずっと不細工だったな」
「そんなの…女じゃないかもしれないじゃないですか…」
「いや、女だよ。喉仏がなかったからな…胸もあったし」
ヒネズミはラーメンを嫌そうにすする。
「ゲロまずいな…残飯漁った方がマシだろ…」
「罰なんだから仕方ないですよ…」
「あーあ、旨いもん腹いっぱい食いたいなぁ」
「このチケット…使いますか?バーのですけど…」
クサリは一杯無料のチケットを差し出した。真面目に毎日地下清掃を続けているとチケットが貰える。貰ったのにバーのチケットでクサリはガッカリした。二十歳未満の飲酒は厳禁だ。
「要らねえよ。お前のだろ」
「持ってたって、僕は飲めませんから」
「だったら、ノンアル頼めばいいだろ」
「……ヒネズミさんを一人でお店に行かせると、帰りに誰を連れ込むか分かりませんから止めておきます」
ヒネズミは片方の眉を上げてクサリの頭を乱暴に撫でる。確かにクサリとこうなる前に持ち帰りをしたことはあった。
「なにそれ嫉妬?俺も持ってるんだよ一枚…そんなに心配なら一緒に行けばいいだろ」
「え?」
クサリはラーメンの汁を飲み干すところだった。ドブ川のような味だと思う。実際にドブ川の水など飲んだことはないが、臭いでそんな連想をした。ヒネズミも目を閉じて嫌々ながら飲み込む。器を下げるとヒネズミは立ち上がってクサリの手を取った。ヒネズミの左手の薬指に指輪が光る。支給されたときには何の冗談かと思ったが、ヒネズミに無理矢理はめられた指輪はいくら足掻いても外せなかった。こんなはずではなかったのにと思う。
そもそも、全てクサリの人生はこんなはずではなかったという、ちぐはぐなものの寄せ集めで自分の欲しいものは一つも手に入ったためしがなかった。滅多刺しにしたシグレの身体から熱が失われていくのを呆然と見ていたあの瞬間だけが、唯一の欲しいものを手に入れたと錯覚した至福の時間だった。やがて自身の身体も熱を奪われた頃に死神が現れた。クサリはシグレと引き離されて別の道を歩まざるを得なかった。クサリは自分の手を握ったヒネズミをこっそりと見上げた。まったく好みの相手ではないと思っていたのに、いつの間にかこの獰猛な男に飼い慣らされている自分を自覚した。こういう反社会的な組織に属していた者は相手の性癖を見抜く目でもあるのだろうかと思った。ヒネズミはクサリが離れられないのを知っている。
「最近、シグレが地下清掃に来たらしい」
「…またその話?もう知ってますよ…」
「大丈夫か?ひどい面してるから聞いたんだよ」
「…バラされました。チヂリはいつ知ったのか…別にいいんです…あの人と僕の秘密は永遠に墓の下だ…」
「ガキが格好つけんなよ」
「…永遠の十八って聞こえはいいですけど…罰を食らった魂は罰が明けるまで酒すら飲ませて貰えないって…ひどいシステムですよね…」
「あと二年待っときゃ良かったのに」
「…待てなかったんですよ。待っていたらあの人の魂は病魔が先に奪い取ってしまう…だから…僕は…彼の死神になりたかったんだ…」
「だからって、自殺することないだろ」
「崇拝する相手に魂を捧げたんですよ。なのに…なんでヒネズミさんの指輪を僕が嵌めなきゃなんないんですか…」
「お前、素直じゃないね。俺のこと好きなくせに」
「好きじゃないですよ。寒いからです…」
クサリは言った。
「まーそういうことにしといてやるよ。くっそ寒いよな、あの部屋。隣の部屋の奴も真似してベッド一つにしたってさ」
「え?」
「背に腹は代えられないんだよ。別に…自分だけが特殊性癖って訳じゃねぇ。何言われても気にすんな」
ヒネズミはそう言うと乱暴にクサリの頭を撫でた。
***
「いらっしゃいませ、チケットを出して下さい」
店の入り口には以前見たのとは違う青年がいた。ヒネズミはクサリと共にチケットを渡す。回収した青年は言った。
「二名様ご来店です」
店の中にはすでに何人もの地下清掃係がいて一杯の酒をちびちびと味わって飲んでいた。クサリはその中にチヂリの姿を見つけてしまった。カクテルを片手にチヂリがやってくる。
「ここは二十歳以上の大人がお酒をたしなむ場所なんだけど?一人じゃ入店できないでしょ?」
手前のテーブル客に捕まって話していたヒネズミがやってきて、クサリの肩を抱いた。
「二十歳以上の大人が一緒だから問題ねぇだろ」
ヒネズミは地下清掃係の中ではかなりの古参だ。清掃といえば聞こえはいいが討伐部隊と呼ぶのが正しいような、大物を狩るのがヒネズミの役割だった。チヂリはヒネズミの腕の入れ墨を見てハッとしたようにクサリの顔を見た。
「クサリ…あんた、なんなの…」
ヒネズミはわざとらしく左手でクサリの左手を掴んだ。
「姉ちゃん野暮なこと聞くなよ。ここは月に一回だけ楽しく酒を飲む場所だ」
何かを言いかけたチヂリを置いて、ヒネズミはカウンター席に座る。クサリも遠慮がちに隣に座った。
「よぉ、二ヶ月ぶりかな」
「…そうですね。シロガネさんもお元気そうで。あの、入り口の子、前と違いません?」
「あーヤミカは今、波紋の影響で犬の耳が生えてんだよ。そんなの連れてきたらコンセプトバーになるだろ。代理だ代理。連れてく許可を取るまでにまー大変だったけどさ。指導官に渋られて。とりあえず男の格好になるってことで妥協してもらったけど…お前が来るならどっちもどっちだったな…」
シロガネはそう言いながらカクテルを作り始めた。クサリはバーの雰囲気を知らなかったのでそれだけで緊張していたが、シロガネの手元を興味深くじっと見ていた。シェイカーを振る様子がとても格好いい。生前にバーに行かなくて良かったとさえ思ってしまった。こんな姿を見せられたらすぐに惚れてしまいそうだ。サイン会でシグレに恋をしてしまったように、クサリは男性の所作に惹かれやすいところがあった。
「ヒネズミにはバラライカ」
「クサリにはシンデレラだ。ノンアルコールだから安心して飲めるよ」
シンデレラ?とクサリは何だか恥ずかしくなる。ヒネズミはニヤリと笑ってグラスを持ち上げた。
「乾杯」
真似してクサリもグラスを少しだけ持ち上げる。クサリは恐る恐る口に含んで、果物の風味を感じた。オレンジだろうか。でもそれだけではない。パインのような南国を思わせる風味もある。
「美味しいです…」
そう言ったクサリはなぜか涙ぐんでしまった。ヒネズミはクサリの肩に腕を回す。
「旨いよなぁ…至福の一杯だ…」
「これはいつものだ。匿名の相手からの預かり物。ま、もうじきお前も昇格だろ。やっとあのクソ寒い部屋ともおさらばだな。おめでとう」
ヒネズミが受け取ったのは一冊の本だった。クサリはドキリとする。ヒネズミは最初の一ページを開いてニヤリと笑う。クサリは見なかったことにした。それよりも、昇格の話など聞いていない、そう思って一気に身体が冷えるのを感じた。あの部屋からヒネズミがいなくなる?クサリはもう一口ノンアルのカクテルを飲んで気持ちを落ち着かせようとした。
「別に読むのは自由だろ。サイン入りだけどな」
クサリの顔を見てヒネズミは言った。特に気にもしていない様子だった。
「ヒネズミ、ところで地下に犬が入った形跡はなかったか?」
「犬?いや…見てないですよ」
「もし見ても関わるなよ。研修生が一人さらわれて…そいつが複数人に手を出していたせいで、ヤミカにまで波紋が広がったんだ。見たら場所だけ連絡してほしい」
「…犬って…例の方んとこの…ですか?」
「名前を言っちゃいけない奴みたいに言うなよ。あぁ、ハイアオんとこの雌犬だ。こっちには片耳しか残ってなくてね…」
「あー嫌な感じですね…一部を残すのは、わざと相手を挑発しているってのもありますから…痕跡を残さずにやってた俺からすると愚の骨頂ですけど」
「…先日、組長が亡くなったよ。老衰だった。クロさんが回収しに行ったら…忘れていると思ったのに覚えていたって笑ってた。ま、下っ端時代に複数人でぶん殴って初めて殺した相手だったら、そりゃ忘れられないかってね。組長以外の連中はすぐにみんな不審な死に方したしね…呪禁師に手を出すからだよ。組長はずっといつ自分が不審死を遂げるかとビクビクしながら生きてたみたいだな…あえて生かしたんだけどさ…」
「…怖いですよ…本当に…呪われた組だって言われてましたからね…」
「あ、ちなみに、入り口にいる子、クロさんと縁結んでるから、絶対に手出ししたらダメだよー」
「はあっ!?シロガネさん!!人が悪いですよ!!クロガネさんの身内を連れてこないで下さいよ!」
ヒネズミがこんなに動揺するのを見たことがなかったクサリは、そんなにクロガネと呼ばれた死神が恐ろしい人物なのかと思ってしまった。そのとき入り口にいた青年が客を案内して、こちらにやって来た。
「こちらのお客様で今月の分は終わりです」
「ありがと、マソホちゃん、あ、こいつヒネズミっていうんだけどさ、クロさんを複数人で撲殺した奴の一人…」
「ちょっ…シロガネさんっ!!」
「どうも、こんばんは。クロさんを殺してくれてありがとうございます。そこでクロさんが死んでいなければ私が死んだときに第一階級の死神にもなっていなくて迎えにも来れなかったので…私とクロさんの輪廻転生のタイミングがハイアオさんに意図的にズラされてしまったので…強制終了してくれた方がいてくれて良かったんだと思うことにしましたから…」
マソホは淡々と言った。ヒネズミはなぜかカクテルを一気に煽った。
「それに、依頼主は別でしょう。依頼に従わないといけない立ち位置に当時のヒネズミさんはいた…仕方ありません。やらないと自分が消されてしまう…」
「も、申し訳ありません…それでも…悪い事をしたと…思ってます…」
ヒネズミは頭を下げた。
「いいえ。私に謝っても何の意味もありませんから、謝らなくて結構です」
「いいえ…それでも、謝らせて下さい」
ヒネズミは立ち上がってマソホの前で頭を下げた。そして瞬時に距離を詰めてマソホに顔を近付けたが、マソホは身体を捻ってヒネズミのキスを避けた。
「チッ」
ヒネズミは舌打ちをする。捻ったマソホの身体を無理矢理抱きしめたように見えたが、片手がマソホの腹から背中に向かって突き出していた。ヒネズミの手は刃物に変形していた。店内に悲鳴が響き渡った。




