鎌を振るう
私がクロさんに鎌の使い方を本格的に習い始めたのは第五階級に上がる少し前からだった。それまでは痛みの訓練とその後に復習程度に行っていたくらいだったのが、隙間時間を活用して鎌を振るうようになった。逆に隙間時間にしか出来なかった。
「三分以内に先に首を落とした方が勝ちです」
ある日クロさんはこう言った。まるで明日の予定を告げるかのような特にこれといった感情のこもらない穏やかな口調だったので、私は耳にした言葉を理解しきれずにクロさんの顔を見返したはずだった。けれども気付けば私は地面の低いところから何が起こったのかも分からないままにクロさんを見上げていた。クロさんは斬り落とした私の首を拾い上げると微笑んで告げた。
「反応が遅いですよ、マソホさん」
クロさんは私の唇に静かに口付けをすると私の身体に首を戻して抱きしめてくれた。それからも、私は何度も首を斬り落とされて、何度目か分からなくなった頃にようやくクロさんの一撃を鎌で受けることができるようになった。それでもギリギリのところをなんとか防ぐことはできても、クロさんの首を落とすことは出来なかった。クロさんが三分というタイミングはいつも唐突で、その日は自宅で布団の中に入ろうとしていたときだった。私は鎌を出すのが間に合わず咄嗟に片手で首をガードしながら、反射的に右腕をクロさんの首に向かって振っていた。半ば無意識のうちに私は右腕を日本刀に変えていて、布団の上にごとりとクロさんの首が落ちた。私は呆然として次の瞬間にはまるで涙腺が決壊してしまったかのように涙が溢れて止まらなくなった。そのくらい鈍くて重い嫌な感触だった。
「く、クロさんっ…」
私はパニックになってクロさんの頭を拾い上げてオロオロとした。首のないクロさんの腕が動いて私の頭を撫でてくれた。
「そう、それでいいんです。よくできましたね、マソホさん」
クロさんの腕が動いて私の手から首を持ち上げると元に戻して何事もなかったかのようにくっつけた。それでも私の涙は止まらなかった。とにかく嫌な手応えでいっぱいだった。この手応えをクロさんに何度も経験させてしまったのだと思ったらひたすら申し訳ない気持ちになって、私はとても悲しかった。
「ご、ごめんなさいっ…私が…すぐに…出来なかったから…クロさんに…迷惑…かけて…」
「大丈夫ですよ、マソホさん。よくできましたね」
クロさんは私を抱きしめて背中を撫でながら優しく囁く。
「明日からは胴を二分しましょう」
クロさんの告げた明日の予定は、私にとっては死刑宣告のように重々しく響いた。もう死んでいるのに、好きな人を手にかけるのは自分の身体を傷つけるよりも苦しかった。
「もう…クロさんを…傷つけたく…ない…です」
私は子どものように首を振って駄々をこねた。
「ダメですよ、マソホさん。強い死神になるんでしょう?」
なだめるように優しい手が背中を撫でる。
「それとも…強い死神になるのは止めますか?」
クロさんの唇が私の涙に触れた。
「私はそれでも構いませんが…」
私は慌てて首を横に振る。弱くていい訳がなかった。
「強い死神に…なりたいです。でも…クロさんを斬りたくないです…」
「困りましたね。斬るのは私でなくては意味がないんですよ?その手に最も嫌な方法で…鎌の振り方を記憶させる…忘れられないように…強烈な記憶と結びつけておかないと、すぐに感覚が鈍ってしまいますからね…今日はひとまずは、訓練はおしまいにしましょう。これから…ご褒美をあげます」
クロさんはそう言ってブローチを外すと私の手に握らせた。
「飴と鞭…ですか?ひどいです…クロさん…」
そう言い返しながらも私もブローチを外す。外してクロさんに渡した途端に、激情が溢れて止まらなくなった。訓練が成功すると、その後のクロさんは私に対してもっと激甘になった。私はまるで自分が自分でなくなってしまったかのような感覚の中、クロさんの与える熱にただ溺れた。翌朝、私は起き抜けにクロさんにこう告げられた。それはいつものように優しい声色だった。
「おはようございます、マソホさん。今から一分以内に胴を二分しましょう」
寝起きの頭で、それでも私は瞬時に鎌を出してベッドごとクロさんを斬り伏せた。鎌を振りすぎてベッドどころか壁にも天井にも鎌の跡が残る。物音に気付いたのか、隣の部屋からシラタマとアオハが目をこすりながら現れた。ベッドごと分断されているクロさんを見てシラタマは笑った。
「死神の夫婦喧嘩って派手だなぁ…」
「違うから!!喧嘩じゃなくて、これは訓練!!」
私はシラタマに向かって叫んだ。クロさんは胴をくっつけながら微笑んだ。クロさんは片手に握った鎌を消した。
「反応できるようになりましたね。それでこそ、マソホさんです」
***
「と…まぁ、こんな感じで毎日訓練しました…今も続いてます…」
私はクロさんが訓練後に甘やかした部分に対しては言及しなかったので、結果として周囲には鬼教官のクロさんとして話のみが伝わってしまった。もちろんそれはクロさんの想定内のことで、夜のクロさんが私に対してそんな顔を見せていることなど、誰も知らなくていいと私も思っていた。ただ、シロガネさんは何となく察しているのか話を聞きながら時折ニヤニヤしていた。そして、シロガネさんもクロさんほどの頻度ではないもののヤミカさんに同様の訓練行っていた。フブキさんとアシシさんもクロさんが見守る中、二人で斬り合いをしたようだった。
「そのうち、ミナミさんとフブキさんでも行ってもらう予定ですよ。アシシさんはヒサメさんとは訓練しましたか?」
聞かれたアシシさんはなぜか動揺する素振りを見せた。
「し、しました…しましたけど…首を落とし損ねました…うまくいかないんです…」
「なるほど。ヒサメさんも…なかなか…手強いですからね。アシシさんには不利かもしれません…戦法を変えてみてはどうですか?」
「……は、はい…不意打ちでも…うまくいかなくて…いつでも攻撃オーケーなんて軽く言われて、何度か試したんですけど…なかなか難しいですね…」
アシシさんは頷く。
「そこ…首を落とすとか…暗殺の話でもしてるの?食後によくそんな話題で盛り上がれるよねぇ…」
珈琲を片手にやってきたシグレ先生が、そんなことを言う。それでも来たのだから、会話に加わる気満々なのが分かってしまった。結局はシグレ先生もそんな話題で盛り上がれる人なのだ。
「アシシくんさぁ…ヒサメにあれこれ手ほどきを受けた私から言わせてもらうけど、ヒサメは酒にも酔わないし、ぼんやりするなんてことはまずない。唯一ぼんやり見るものがあるとすれば、それはクラゲの水槽くらいだね…」
アシシさんがハッとした顔をした。思い当たる節があるようだった。けれどもアシシさんは困ったような顔をした。
「えっ…でも…あれはヒサメさんが大事にしてて…そんなところで鎌を振るうなんて…ちょっと…壊しそうで…」
「ヒサメがクラゲの水槽の前で鎌を振るうななんて言った?言ってないよね?つまりそういう条件付けがされていないなら、壊されたって構わない、そういうことなんだよ。君は既存の概念に囚われすぎだよ。壊れたら直せばいい、それだけだ」
「…壊したくないなら、私みたいに身体の一部を変えて攻撃するとか…どうですか?」
私は瞬時に右腕を日本刀に変える。
「この方が早いし、鎌を出さなくても斬れるから…」
「理論上はそうだけど、そんな…それこそ暗殺者みたいで…」
アシシさんは自分の手を見た。ソファーに座ってぼんやりと水槽を眺めるヒサメの後ろから抱きついて首を落とす自分を想像してしまい、アシシはギョッとする。
「そのアシシのリミッターを外そうとしてるんだよ。ヒサメは。人としての理性と感情も大事だ。それを失うなとは言わないけど、時にその理性や感情が邪魔をして、死神の腕を鈍らせる。けどやるなら絶対に殺気は出すなよ?ヒサメは気付く。だから日常の会話でもするような流れで自然に首を落とす…」
シロガネさんがそう言って突然私の方に腕を伸ばす。私は反射的に首をガードしながら後方に飛び退った。シロガネさんの手首から先が鋭い刃物に変わっていた。
「マソホちゃん、反応早くなったね!かすりもしない!」
私の横ではヤミカさんがギリギリのところでクロさんの攻撃を避けていた。
「今日からシロガネさんとクロさんが交替してるんです。訓練の担当を!」
私が言うとシグレ先生は呆れた顔をした。
「ちょっと…店の中では止めてほしいなぁ。ゆっくり珈琲も飲めないし、仕事にも支障が出るよ!」
シグレ先生はそう言いながらクロさんの鎌を避ける。
「仕事がしたいなら、使っていい部屋があるって言いましたよね?」
シロガネさんが言うとシグレ先生は不服そうな顔をした。
「部屋に籠もっていたら、アキさんに何かあったとき、対応できないでしょ。これでも一応窓の外はチェックしてるんだよ」
私はその言葉を聞いて、シグレ先生は約束したことは律儀に守ることに気付いて少し驚いてしまった。
「犬も見つからないしね。訓練もいいけど、やっぱり警戒はしておいた方がいいと思って」
シグレ先生はそう言いながら美味しそうに珈琲を一口飲んで、再び窓際の席に戻って行った。




