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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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隔離

 ペアーは病院の一室に隔離されていた。といっても薬で眠らされて起きたらこの状況だったので、本人にはそこが病院というよりは独房か何かのように思えた。窓にも鉄格子がはまっていて食事が小さなドアから提供される。しかも上と下にドアがあって下の引き戸が開いた。そこにトレーの上に乗った大きなボウルのようなものが見えた。床に置かれたことにペアーは腹を立てた。まるで動物か何かのような扱いだと思って起き上がり、目の前に犬がいることに気付く。茶色の毛並みの丸々と太ったブルドッグだ。けれども、よく見るとそれは鏡だった。ペアーが鏡に近付くとそろそろと犬も近付いてくる。右手で鏡に触れようとすると鏡の犬も前足を上げた。


(ウソっ!?まさか、これ、私?)


 ペアーは混乱する頭で考えようとした。確か、黒尽くめの死神に聞かれて、友だちの家に遊びに行っただけで、やましいことは何もしていないと白々しい嘘をついている途中のことだった。嘘をついた途端に自分の手に毛が生え始めて犬の前足に変わってしまったことを思い出した。そのときの死神の呆れ果てたような冷たい目と共に。


「バウッ!」


 声を上げたつもりが、低い変な声が喉から出ただけだった。ボウルの中身を確認してそれが本当にドッグフードだと知ってペアーはフガフガと鼻を鳴らしながら暴れた。不意にペアーの目に誰かの足が映る。ハッとして起き上がるとそこには、統括が立っていた。


「とうとう頭の中まで犬になったのか?」


 統括は呆れた様子でそう言って壁にかかったペアーの服にやけに目立つ黄色いバッジを留めた。


「君、イエローバッジね。これ二個で受講資格剥奪することに決まったから、本気で死神になりたいなら、その辺の男を掴まえて遊ぶのは止めることだね。剥奪後は十年は再受講資格も得られない、その辺でバイトでもして待つしかないよ。何もしないと魂は消え去るからね」


(なんで!?私だって特別区に行く資格があるのに、どうして入れてもらえないの!?呪殺されたって言ったでしょ!私の魂の回収をした死神が間違えたんでしょ!?)


「……呪殺ねぇ…。巻き込まれ事故で死んだのは気の毒だけど、君、会社の上司と不倫してて車でホテルに向かう途中だったんだよね?残された奥さんの気持ち分かる?どうして…その、なんだっけ?前に死んだ同僚に呪われたなんて、そんな突拍子もないこと思い付くのかな?」


 統括は何もない空間に椅子を呼び出すと背もたれを前にして座り、その背もたれ部分にあごを乗せてペアーの顔を見た。


(だ…だって…!私…ウケ狙いで色々悪口言ったし…不倫がバレそうになったから、その子が上司と不倫してたって嘘言っちゃったし…死んだ途端にみんな可哀想とか美人だったのにとかもったいないとか勝手なこと言い出すからムカついてたの!どうして死んだのに注目されるのは、あいつなの?って!)


「君、見た目だけじゃなくて、中身も不細工なんだねぇ…死んだ人に嫉妬して、挙句の果てにその人に呪い殺された?残念だけど、見当外れもいいとこだよ。君が仮に誰かの恨みを買うとしたら、病院で今も生死の境をさまよってる上司のベッドの横にいる奥さんからじゃないかなぁ?そんなことも分からない?別に男の方の肩を持つ訳じゃないよ?でも既婚者でも構わないって指輪をしてる相手に声をかけて酔わせて、最初にそういう関係に持ち込んだのは君だよね?他人のものを奪うのは楽しかった?どう?聞かせてよ」


 ペアーは黙り込み、唸り声を上げた。統括は目を細める。パチンと指を鳴らすと顔の部分だけが人に戻った。犬の方がマシだったかと思いながら統括は、人面犬と化したペアーが吠えるのを待った。昔こういうのが都市伝説であって、と言われて最近は下らない都市伝説が流行るのかと思ったのだったが、それすら今は昔、なのかもしれない。


「だって!!あ?話せる…!!あいつだって、玉の輿狙って隣の部署の取引先の息子を落とそうとしてたけど失敗したから、丹羽係長にいきなり乗り換えたのに…あいつだけまんまと結婚して私は…私は最初から丹羽係長が好きだったのに!!だからムカついて痛い目見ればいいって思って…」


「下らない嫉妬だねぇ。だから君の人生の幕引きも実に下らない結果になったんだよ。巻き込まれ事故。それは呪殺でもなんでもない…悲劇ですらない、もはや喜劇だ」 


「酷いっ!なんで私にだけそんな意地悪なこと言うんですか!?」


「別に君にだけじゃないよ。私は女の死神は好きじゃないが、それよりも仕事のできない奴と他人の足を引っ張って自分の権利だけは振りかざす奴がもっと嫌いなだけだ。君が養成講座に入ってからやったことと言えば、初回の聴講、居眠りしながらの受講二回、そして夜遊び一回。しかも一度ちょっと声をかけられただけで大して話したこともない相手の部屋に上がり込んで即寝てしまうんだから呆れて果てるよ。大安売りもいいところだ。年がら年中君は売り尽くしセール中なのか?顔が良ければ何でもいいのか?中身がドロドロに腐っていても…」


 ペアーは統括の顔を見つめた。そうして最近流行りのヘアースタイルではないが、トウキとかいったペアーを波紋に巻き込んだ相手よりも統括の方が遥かに整った顔立ちをしていることに気付く。


「統括って、そういう意地悪を言うってことは私のことを気にかけてくれてるんですか?」


 突然キラキラした目で見上げられた統括は久々に悪寒が走った。この女は頭の中が空っぽなのかと思った。


「どうしてそういう思考回路に行き着くんだ?この際だから、はっきり言わせてもらうと、君は死神には向いてない。悲劇のヒロイン気取りとそのおめでたい思考回路をどうにかしないと、元の姿に戻るのも難しいだろうな。この先ずっと犬の姿で過ごすというなら別だが、犬は死神にはなれないぞ」


 そのとき背後でドアをノックする音が響いた。


「統括、お時間です。次の予定が…」


 若い男性の声が聞こえる。


「ちょっと入れ、波紋の状態をお前も見ておけ」


 呼ばれて中に入ってきた青年に、統括は声をかけた。ペアーはあの呆れ果てた冷たい目の相手だとすぐに分かった。冷たいがこちらもイケメンだと思いながらペアーはちらちらと相手の様子を窺う。


「見ていますよ。私の目の前で犬になったんですから」


「そうだったかな?じゃ、行こうかサギリ…」


 統括は立ち上がるとおもむろにサギリの肩に腕を回して口付けをした。


「…統括…何の真似ですか?」


「いや、私は女の死神が嫌いだと言ったんだ。分かったな?」


 統括は人面犬と化したペアーに向かってそう告げると、部屋から出て行った。ドアが無情に閉まる音がしてペアーは静寂の中に取り残された。


「…女の死神が嫌いって…そういうこと?」


 ペアーはガッカリして、ふてくされたようにつぶやいてその場で丸くなった。



***



 病院の隔離室から出たサギリは統括の顔を不審そうに見上げた。


「なんだ?」


「いいえ…別に」


 サギリは男の姿の自分に統括がキスをしたことはさすがになかっただろうと、昔の記憶を辿る。するときは女になれと言われたのだが、先ほどは不意打ちすぎて対応しきれなかった。統括は面白そうに笑った。


「悪い…さっきのは…お前を少し利用しただけだ」


「利用?」


 サギリの声のトーンはいつもと変わらないが内心では色々考えているのか、いつになく早足で歩いていた。統括はしんと静まり返った廊下を進むサギリの手を掴んで自分の方に引き寄せた。


「ペアーの頭は花畑なんだよ。私がペアーのことを好いているのではないかという…気色の悪い妄想を繰り広げられるところだったから…根元から焼き払うのに、サギリを利用させてもったんだ」


「それで?では女にならなくて良かったのですね…まちがえてしまったかと…」


「…お前は私のあの部屋以外では女にはならない…そうだろう?」


「まぁ、それはそうですが」


 統括は掴んだサギリの手に指を絡めた。反対の手で統括はサギリのあごを捉えた。


「それでいい。いかなる場合も、私が何をしようとも、外では今の姿のままでいい」


 統括の唇が静かに重なった。これはただの確認だ。サギリが姿を保てるかどうかの。サギリは目を閉じる。いつもと変わらない口付けだと思って、そう感じるくらいには、統括の個人指導を受けていることに思い至る。さらりと頬を撫でて唇が離れた。


「…男の姿でも…柔らかいのは同じだな…さて、戻るか。罰則に関して変えたらうるさい奴はやはりいるからな…」


 統括は何事もなかったかのように歩き出すと、近道のドアを開けた。手を引かれなくても歩けるのに統括はサギリの手を握ってからドアを閉める。暗い道を進む。時折遥かに下の方に赤い目をした生き物がこちらを窺っているのが見えた。


「あれは働かずに無為に時間を費やして形の崩れた者…ペアーは目先の誘惑に弱い…果たして死神になると…この先治療が始まってもまだ言い続けられるかな?」


 統括は低い声で笑った。

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