思い込み
ひとしきり海ではしゃいで私たちは喫茶店に戻ってきた。遊び疲れたアオハとシラタマはすでに眠っている。二人の身体をきれいにしたクロさんが二人をベッドに寝かせて戻ってきた。
「雨の夜でしたが、何か見ませんでしたか?」
クロさんに聞かれて私は、窓ガラスに赤い手形がついたことや、サクラチルさんの声に聞こえる何者かが喫茶店に入ろうとした話をした。クロさんは頷いた。
「クロさんは…お仕事の方は…?」
「今日の現場はそこまで酷くはありませんでしたから…フブキさんも冷静に対応できましたし、問題は起こりませんでしたよ。もちろん悪魔にも遭遇はしませんでしたし…」
「そうですか…」
「ただ…帰宅途中に入った連絡によると、現在もトウキさんが行方不明だそうです」
「えっ!?だからなんですか?アキさんが急に寒気がすると言って…調子が悪くなったみたいなんです…それで、行方不明って…何があったんですか?」
「犬に…引かれたのではないかと。家に入れてはいけない存在を招き入れてしまった…それで、連れて行かれた線が濃厚だそうです」
「犬って…ハイアオさんの!?」
「えぇ…ツブシさんを諦めて次の獲物を探していたんでしょうね…」
「トウキさんはどうなるんですか?私…あの人のことは好きにはなれませんけど…犬に引かれたって…それはつまりハイアオさんの所にいるってことですか?」
私の言葉にクロさんは首を横に振った。
「それが…どうも、ハイアオさん自身も知らないと言っているようでしてね。そこに関して彼は嘘は言ってないようなんです。ですから、犬がトウキあ本当に行方をくらましたのだと思います。今も捜索中だそうです…」
「そうですか…不安ですね…雨も降ってましたし…」
「そうなんです。雨のせいで、足跡を辿れなくなってしまったようで…行き先が分からなくなってしまったんですよ」
クロさんはそう言うと、ベッドに横たわる。私も隣に入ってクロさんにくっついた。温もりを感じてホッとする。クロさんは電気を消した。
「おやすみなさい」
クロさんはそう言って軽く唇を重ねた。
***
翌朝、いつもよりも早い時間に私たちは目覚めてしまった。というのも、かすかな悲鳴が聞こえたせいだった。誰かの足音が部屋の前を通り過ぎるのが聞こえて、多分シロガネさんだろうと私は推測した。私とクロさんが着替えた状態で部屋から顔を出すと、シロガネさんがブランケットを被ったアキさんらしき人を連れて出てきたところだった。後ろから困ったような顔のクジョウさんが現れる。
「大丈夫だよ。そのうち元に戻るから心配するな。それに…まぁ、それはそれでかわいい…って、怒らなくても!」
アキさんがシロガネさんの顔を勢いよく見上げて眉をひそめたので、ブランケットがはらりと肩に落ちてアキさんの隠していたものが見えてしまった。
「えっ?耳!?」
「わぁっ!見ないで!マソホさん!!」
「アキさん…確かに…シロガネさんの言う通り…かわいいですけど…これが波紋…なんですか?」
アキさんは髪の間から飛び出した犬のような獣の毛の生えた耳に触れて、ため息をついて頷いた。
「起きたら尻尾まで生えてて…もう…何がなんだか…狼人間になりかけた人の気分ってこんな風なのかなって…これ以上犬になったらどうしよう…」
「とりあえず、朝になったからいつもの部屋に戻ってさ…下に降りるのが嫌なら今日は部屋で朝食にしたらどう?あんまり、みんなに見られたくないのは分かるし」
シロガネさんが笑った。
「大丈夫だよ、顔はアキのまんまだから、味覚も嗅覚も人と変わらない。良かったな。朝食がドッグフードにならなくて」
「もうっ!シロガネさんっ!面白がってますよね!?」
アキさんが声を上げるとシロガネさんは首を横に振った。
「…面白がってるってよりは、アキの波紋に対する耐性に感心してるってとこかな。悪いけどシグレ先生は取材に来るよ。そういう契約だから。その代わりトウキからは絶対に守る。今はトウキと一緒にいる犬からもね…」
「あの…トウキは…どうなるんですか?」
アキさんの言葉にシロガネさんは難しい顔をした。
「…どうなるかは…難しい質問だな。あんまり良い結果は期待しない方がいい…すでに離れているアキがこうなったってことは…トウキも犬になっている可能性が高い…」
シロガネさんの言葉にアキさんも難しい顔になる。
「とりあえず、朝食の用意ができたら持っていくよ」
シロガネさんは重くなりかけた空気を一掃するかのように軽い口調で言うと喫茶店の方に降りていった。
***
早起きついでに私とクロさんも朝食の準備を手伝う。ヤミカさんは少し眠そうな顔で降りてきてシロガネさんの隣で野菜を洗い始めた。そのとき窓の外を黒尽くめのサギリさんともう一人見知らぬ死神が通るのが見えた。二人は少し通り過ぎてから戻ってきて、喫茶店に入ってきた。
「おはようございます…オープン前からすみません…」
サギリさんが小さく会釈をする。隣の死神はサギリさんより少し背の高い、鋭い目付きの男性だった。
「別に気にするなよ。あ、おはよ!ススキじゃないか!この死神のおじさんはさ、生前の苗字のスズキで出したらすでに使われてる名前だからって、ススギとススキどっちがいい?ってウミツキに言われてススキになったんだよー」
「えっ??」
シロガネさんは、ちょうど階段を降りてきたペコくんに向かってそう言った。突然話を振られたペコくんは困った顔をしながら、二人に向かっておはようございますと言って頭を下げた。
「なんだ、そんな理由で?もっと深い意味があるのかと思ったら」
サギリさんは呆れたような口調で隣の男性の顔を見た。
「なんだって…!ススギなんて嫌だろ。洗濯じゃあるまいし」
「ま、それはそうか」
サギリさんはそっけなく言って窓際の席に座る。向かいにススキさんも座って、どこか居心地が悪そうに店内を見回した。
「ちょっといいかな?ヤミカさん」
突然呼ばれたヤミカさんは、野菜を水切りするのにザルに上げていたところで手を止めた。私は冷蔵庫から出した卵を割りながら、ヤミカさんがサギリさんのところに行くのを見ていた。
「あーヤミカは今のところなんともないけど…ひょっとしたら来るのかなぁ…呼ばれたってことは…」
私が掻き混ぜる卵にシロガネさんが砂糖を入れながらつぶやく。
「どういうことですか?」
「ま、聞いてれば分かるよ」
私はそこでようやく、ヤミカさんの元同僚で亡くなった女性がペアーと名乗っていることを知った。ペアー?と私は首をひねる。ススキさんが口を開いた。
「ペアーさんもヤミカさんのように、真面目な研修生だったら問題なかったんだけどね…指導官が魂の回収に行ってる隙に、トウキさんの家に行ったようなんだ…昨夜本人に確認したら家に行ったことを認めて…まぁ、要するに男女の仲になったと白状した…で、どうしてそんなことをしたのかと聞いてみたら…何をどう勘違いしたのか、波紋を起こせば特別区の死神に会えるんじゃないかと思ったと…呪詛絡みで亡くなった者は異形化しやすい、波紋でも異形化する、という話の解釈を間違ったのかと思ったら、そうではなくて本人はヤミカさんに呪い殺された、そう思い込んでいることが分かったんだよ」
「はあっ…!?」
ヤミカさんは大きな声を上げた。
「ペアーだっけ?洋ナシじゃなくて脳無しの間違いじゃないのか?どうしてそんなことを思うんだ?」
スクランブルエッグを作りながらシロガネさんが言った言葉にヤミカさんが反論した。
「誰がうまいこと言えなんていいました?どうして呪殺だなんて思うんですか。あれは巻き込まれ事故だった…違うんですか?」
「まぁまぁ、落ちついて?ペアーさんの死因は呪殺でもなんでもなくて巻き込まれ事故だ。でも本人はそうは思っていないのが問題なんだ…」
ススキさんの言葉の続きをサギリさんが引き受けた。
「この脳無しは、自分も特別な要因で亡くなったと思い込みたい。要するに悲劇のヒロイン願望が強くて自分も呪殺されたのだから特別区の死神に指導される権利があると思い込んでいる。そして、特別区に君がいることは知らない。当然だ。向こうにはヤミカさんは生前の同僚とは認識できないようにしているんだから。だから君とは無関係でいられるはずだった。だが、ペアーは特別区にベクトルを向けた状態で、しかもヤミカさんに呪殺されたと思い込んで気軽にトウキと関係を持った。昨日会いに行ったときペアーは頑なに隠していたが、下半身がすでに犬になっていた。だから…」
「…私も…犬になるんですか?」
ヤミカさんがうんざりしたように口を開く。シロガネさんが言った。
「ちなみに、アキは耳と尻尾だけだったよ。まーしばらくコスプレでもしてると思えばいいさ。ヤミカは元々美人だから大丈夫。あ、どうせなら今日はみんなコスプレで接客するか?そういうコンセプトってことで」
「シロガネさん!!」
ヤミカさんが怒って立ち上がる。その瞬間にスカートの下からふさふさした尻尾が現れた。
「ヤダっ!!ウソっ!!」
ヤミカさんは後ろを振り返る。黒いつややかな毛並みの尻尾を見て触ってヤミカさんは、大きなため息をついた。
「もうっ!これだから嫌なの!あの尻軽女!!会社でも取っ替え引っ替えしてたのは有名な話なんだから!!」
ヤミカさんは怒って珍しく子どものように地団駄を踏んだ。




