雨夜
私はその日の夜もクロさんの帰りを喫茶店で待っていた。クロさんとフブキさんが出かけたのでミナミさんも私の向かいに座っている。雨が降り出したので私もミナミさんも外の様子に少し不安になった。私の両脇にはアオハとシラタマがいて、守りを固めている。そこからそう離れてはいない席で執筆をしているシグレさんが、パソコンのキーボードを叩きながら苦笑した。
「そんなに警戒しなくても、いいじゃない。でも…その美少年を二人従えている姿は目の保養になるよ」
私の向かいの席に座って私をデッサンしていたヤミカさんが、手を止めて一口ホットチョコレートを飲んだ。何となく今日は肌寒い。二階からシロガネさんが降りてきて通路を挟んでヤミカさんの隣に座るとデッサンをちらりと見た。
「上手いな…当たり前だけど…」
「すごいですよね!」
ヤミカさんの隣のミナミさんも相槌を打つ。けれどもヤミカさんは首を横に振った。
「この程度なら描ける子はいっぱいいるんですよ。何者かになりたくてがむしゃらだった頃はそんなことも分かってませんでしたけど…ちょっとずつ叩かれて削られて…身の程を知りました…」
「よしよし。俺にとってのヤミカは唯一無二だからな。でもそのがむしゃらな感じは…ちょっと分かるよ。俺も死ななかったらバンドやってただろうし…稼業的にはもちろんアウトだったから、応援なんかしてもらえなかったけどさ。あの頃は本気だったんだよなぁ…」
シロガネさんはヤミカさんの頬に触れる。
「ったく、見せつけてくれちゃって…」
シグレさんがぼやく。私もミナミさんもホットチョコレートを飲みながら暗い窓の外を見たけれど、ぼんやりした明かりが雨粒の当たった窓ガラスに滲んで見えるだけだった。雨脚が先ほどよりも激しくなる。建物全体に打ち付ける音が響く。
「そういえばシロガネさんって、魂の回収…行かないですよね?」
ヤミカさんが不思議そうに言ったので、シロガネさんは苦笑した。
「俺が不在になるとちょっと面倒なんだよね。この喫茶店、今は寮も兼ねてるから、ここを使ってる研修生を一応見るって体でいるからさ。クロさんに全部を繋ぎ直すのは正直なところ面倒なんだよ。それに統括も、色々と波紋を起こしそうな連中がいるから警戒しとけって。だから俺はしばらくは魂を回収しには行けないってこと…変なのに入り込まれても困るからさ」
そんな話をしていると、外からコンコンとドアをノックする音が聞こえた。私もミナミさんも、ヤミカさんまでビクリとなる。雨音で掻き消されてもおかしくないのに、なぜかハッキリと聞こえた。
「コンバンハ…」
外から聞き覚えのある声がする。
「入れて下サイ…」
話し方がどこかぎこちない。
「入りたいなら自分で開けろよ。開けられない奴は中には入れないし、入れない。元の場所に帰れ」
シロガネさんがドアの方を振り返りもせずに言う。闇の中で沈黙したそれは、やがて諦めたのか去ってゆく気配がした。
「…今の…何ですか?サクラチルさんの声に聞こえたけど…」
ヤミカさんの不安そうな言葉に私も頷いた。私にもサクラチルさんの声のように聞こえた。
「雨に紛れて色々やってくるんだよ。とりあえず温かいもの飲んで身体を冷やさない方がいいんだ。まぁ…マソホちゃんは冷えないかな。ここは温かそうに見えるから、外の奴らも寄ってくるのかもしれない…」
ヤミカさんは窓ガラスが曇り出したのが気になったのか、乾いた雑巾で窓を拭き始めた。その窓ガラスに外側からバンッと音がしてべたりと血塗れの手の跡がつく。ヤミカさんは悲鳴こそ上げなかったが、代わりにミナミさんが大きな悲鳴を上げた。
「なんか…窓の外に…真っ赤な手が…たくさん…落ちてるんですけど…」
拭いたときに見えてしまったのだろう。ヤミカさんが困惑した様子でシロガネさんに告げる。私は極力窓の方を見ないことにした。
「あぁ、気にするな。雨の日はそうやって、こっちが怖がるようなものを見せてくるんだよ。無視してな。窓ガラスも拭かなくていいよ。近付くと面白がってやるやつもいる…気にしなければそのうち諦める…」
興味本位に窓の近くに寄ったシグレさんも、闇の中を見て嫌そうな顔をして窓から離れた。シグレさんの目には何が見えたのだろうと私は思った。
「雨は嫌だねぇ。二人とも早く帰って来ないかな…」
シロガネさんが度数の高そうなお酒をロックで飲みながら言う。
「シロガネさん…飲んでて大丈夫なんですか?」
ヤミカさんが言うとシロガネさんはニヤッと笑った。
「酔わないから大丈夫だよ。慣れだよ慣れ!酔わないと思えば酔わないし、酔いたいと思うときは酔える」
「えぇ?そうなんですか?」
ミナミさんが不思議そうに言う。
「あると思うからあるし、ないと思えばないんだ」
シロガネさんはグラスを揺らしてそう言った。
「それはそうですけど…」
私は残りのホットチョコレートを飲み干す。一滴も残さずに飲もうと思ったらできた。私はそのまま洗ってきれいになったマグカップを想像する。カップはピカピカになった。これは生前私が使っていて割ってしまったお気に入りのカップを再現したものだった。
「マソホのマグカップ、南国の海みたいな色でキレイだね」
ヤミカさんの声に私は南国の砂浜を想像する。マグカップを乗せて運んできたテーブルのトレイの中に小さな砂浜が現れた。ヤミカさんが椰子の木を生やす。ミナミさんも加わって、白い砂浜の上にビーチボールが現れた。シロガネさんが波を動かすと小さな波音が聞こえた。
「こっちに、おいで!」
気づけば私たちは白い砂浜に立って海を眺めていた。
「いい景色だねぇ…仕事がはかどりそうだ」
デいつの間にかッキチェアに座ったシグレ先生がビーチパラソルの下でサングラスをかけて、格好をつけて笑っていた。アロハシャツがやけに似合っていて、山ほどトロピカルフルーツの乗った巨大な飲み物まである。私は不本意にも笑いそうになってしまった。
「マソホ!着替えなさいよ!」
ヤミカさんは水着の上にラッシュガードを着ている。
「なんだよ、もっと露出したっていいじゃん」
シロガネさんが言ってヤミカさんに海水をかけた。
「あ!こらっ!」
バシャバシャと水を掛け合う二人を見ながらミナミさんが笑う。私もヤミカさんと似たり寄ったりの格好になって熱い砂浜を走ってみた。ヤミカさんの椰子の木が生えている。けれどもどこまでも続く海原はまるで本物のように見えた。
「あんまり遠くに行くなよ!」
シロガネさんの声が聞こえる。私が返事をしようとしたとき後ろから何の気配もなく突然誰かに抱きしめられた。
「……!!」
振り返るとそこに場違いな黒いコートを着たクロさんが立っていた。
「おかえりなさい!」
私はクロさんを抱きしめ返す。
「外は…?大丈夫でしたか!?」
「雨ですから色々いますが…大丈夫でしたよ、ね、フブキさん」
いつの間にか後ろからフブキさんが姿を現す。
「あぁ…まぁ、大丈夫でしたよ。海…いいですねぇ。山にばかり行かずに生きてる間に海にも行けば良かったかなぁ…」
そんなことをつぶやいたフブキさん目掛けてミナミさんが大きな水鉄砲で攻撃をしてきた。
「こらっ!ミナミ!」
フブキさんも水鉄砲を手に取り応戦する。クロさんと私は避難して少し離れたところにデッキチェアとビーチパラソルを設置した。いつの間にかクロさんもラフな格好になっている。
「マソホさん、ラッシュガードの下はどうなってるんですか?」
「ええっ?普通の水着ですよ?」
「…ビキニじゃないんですか?残念ですねぇ…」
クロさんに言われて、私は心配しながら待っていて少し損をしたような気分になる。ぴょこんとどこからともなく現れたアオハが顔をしかめて言った。
「海ってホントにしょっぱいんだね!びっくりしちゃったよ!」
「井の中の蛙大海を知る…といったところでしょうか」
「僕だって、海なんか来たことないよ。今日が初めて!って言ってもマソホから始まってみんなのイメージを借りてるだけだけどさ。お父さんは海難事故は担当しないもんね…」
シラタマがクロさんを見上げた。
「そうですねぇ。考えてみれば回されたことはないですね」
クロさんは思い返して頷く。
「ほぼカイナンさんと彼が指導した研修生や死神の担当ですからね。カイナンさんはその名の通り海難事故で亡くなった人たちを中心に受け入れてますから…死神にもそれぞれ得手不得手があって、得意分野を受け持つことが多いですからね…」
「そうだったんですね…」
「まぁ、稀に今回のように悪魔の襲撃などで、イレギュラーな担当替えは起こりますけどね。通常はだいたいそうです。だから私はマソホさんの担当なんですよ?」
手を伸ばしたクロさんに私は頭を撫でられた。少し照れくさい。ティーシャツにハーフパンツ姿のクロさんを初めて見たからだと思うことにする。
「マソホさん、泳ぎませんか?アオハとシラタマはここで待っているんだよ?」
クロさんに強引に手を引かれて私は海に入る。冷たいのは嫌だと思ったからか、ぬるい水だった。これなら平気だ。ザブザブと海に入って胸の辺りまで波が感じられるところまで歩くと少し陸が遠く見えた。
「マソホさん…」
クロさんが私の腰を抱き寄せて耳元で囁く。次の瞬間に唇が重なってそっと離れた。
「二人が見ていたら恥ずかしいでしょう?だから…」
クロさんはそう言って陸から離れた海の中で私に口付けをした。




