誰そ彼時
トウキは疲れて何のやる気も起きないまま部屋のカーテンを昼間から閉めて横たわっていた。部屋も散らかり放題だ。アキがいなくなってから掃除をしてくれる人がいなくなり不便だった。途中ドアをノックする音が聞こえたが無視を決め込む。死神になってから真っ先に手に入れたスマホを開く。はやくSNSを利用できるようになりたくて、もうじき第四階級が手に入るかと思っていたのに、トウキは階級落ちになったことを知らされたばかりだった。第六階級。しかもほぼ死神になりたての連中と大差ない点数しか持ち合わせていない。これではスマホが使えなくなるどころか、気晴らしに誰かを捕まえるためにランチをおごることもできない。
「クソっ!!」
アキがいれば。地味な女だったが身の回りは片付くし食材を買わせて向こうに料理させていたから食費も浮いていた。そういえばさっき誰か訪ねてきていたと思って、床に散らかったゴミを足で避けてトウキはドアを開ける。ドアの外にカップラーメンの入った袋が下げられていた。
「馬鹿にしてんのか?」
そう思いながらもそれを部屋の中に持ち込んでお湯を沸かす。蓋を開けてお湯を注いでぼんやり待っていた。そろそろ食べられるかと思って蓋を開けたトウキの目に飛び込んできたのは、大量の半透明の赤いミミズのような生き物が膨らんで飛び出した不気味な光景だった。
「うわぁぁぁ!!」
トウキは叫び声を上げて部屋から飛び出す。いつの間にか辺りは夕方になっており、どろりと血のように赤い色をした夕陽に照らされて建物の黒い影が不気味に伸びているだけだった。闇雲に走って、前に誰かの後ろ姿が見えてトウキは思わず叫ぶ。
「たっ、助けてくれっ!!」
「どうしたの?」
振り返った若い女性はトウキのただならぬ様子に少し怯えた顔をした。
「か、カップラーメン食べようとしたら…大量のミミズに変わっていて…!!」
「えぇ?見間違えたんじゃないの?それでそんなに慌てて走ってきたの?」
汗だくになっていたトウキは相手に少し笑われたことを腹立たしく思いながらも、確かにこうして冷静に言われてみれば見間違いかもしれないという気もしてきた。
「あ…あぁ…そう…なのかな?」
「寝ぼけた?家、どこなの?気味が悪いなら一緒に確認しに行ってあげようか?」
女性はトウキの手を握ると、上目遣いにトウキを見上げた。よく見れば可愛い顔をしている、と思った。トウキは頷いた。トウキは女性と共に歩き出す。マンションの部屋に戻ると開いたままのドア、それにすっかり水分を吸い尽くして膨らんだ麺がカップの中から飛び出していた。
「ほら、やっぱり見間違えたんだよ?安心した?ねぇ、どうしたのこの部屋、随分と散らかってるね。少し片付けてあげようか?掃除苦手なの?」
「あ…あぁ…うん、そうなんだ」
「そっかそっか。分かったよ。もう、仕方ないなぁ」
女性はトウキの部屋に上がると床に散らかった服をまとめ、ゴミをゴミ箱に入れる。ソファーの上の雑誌を整えてラックに入れてテキパキと動いた。ほんの少しの違いで部屋は見違えるようにきれいになる。
「あ…ありがとう…」
トウキは女性にお礼を言った。
「別にいいよ。私にも下心があるし」
「下心?」
「うん、だってお兄さん、格好いいもん」
「そうかな?」
「言われない?」
「あーたまには?」
「なんだ、自覚してるんだ」
女性はクスリと笑う。
「それで?下心って?」
「あー私…今行くところがなくって。元カレに役立たずって追い出されちゃって…今夜どうしようって困ってたの。なんでもするよ?どう?」
「なんでも?本当に?役立たずなんて言われたの?酷いな」
「うん…そうなんだ…実際に…そんなに役に立ってなかったし…」
「でも、片付けできるでしょ?」
女性はそこで再びトウキの目をじっと見つめる。トウキが頬を撫でると少し顔を近付けてきて目を閉じた。トウキは思わずその唇にキスをする。
「あ…つい…嫌だった?」
「ううん…いいよ。もっとしたい…こっちの方は…役立たずじゃないと思うよ…?」
トウキは寝ぼけたお陰でとても良い拾い物をしたと思った。抱きしめて口付けを交わしながらトウキはそういえば相手の名前を聞いていないことに気付いた。
「…名前は?」
「お兄さんはなんていうの?」
「俺はトウキだよ」
「そう…トウキ…いい名前だね。私の名前は…」
再び唇が重なる。甘い。トウキはそう感じた。どこかクラクラするような。
「…ミア…」
すでにミアに夢中になっているトウキは気付かなかった。ふやけたカップラーメンの麺の間から赤い半透明のミミズがゆらゆらと蠢いていることに。
***
アキはなぜか急に悪寒を覚えて、鳥肌の立った腕をさする。ベランダに出て窓の外を眺めているうちに夕陽が沈み始めていた。隣に立っていたクジョウが煙草をもみ消して、腕をさするアキを見た。
「そんなに寒いですか?そろそろ時間も時間ですし、中入りましょうか」
アキは頷いて中に入る。部屋の中に入ると少し寒気はマシになったが、妙な胸騒ぎがした。
「アキさん?大丈夫ですか?」
クジョウはソファーにアキを座らせてベッドの上からブランケットを持ってきてアキの身体にかけると、遠慮がちに腕を回して抱きしめた。
「寒いんですか?風邪…なんて引きませんよね?俺たちは…」
「何だか…ゾクゾクして…こんな感覚今まであまりないんですけど…これって…波紋の一種なんでしょうか…?」
アキの不安そうな声にクジョウは、講義で聞いた波紋とは様子が違うような気もすると思いながらも、すぐにシロガネを呼んだ。
「どうした?ん?」
シロガネは眉を寄せた。
「まずいかもしれないな。二人とも軟禁部屋に入ってろ」
「はい?」
それ以上説明もせずに、シロガネは足早に廊下の奥の部屋に二人を導くと南京錠を開けた。
「部屋の中では好きに過ごしてていいよ。念の為だ。もし何か異変が起こったらこのボタンを鳴らして俺を呼べよ?クジョウなら大丈夫だろうとは思うけど」
「えっ?俺なら大丈夫ってどういうことですか??」
ドアを閉めようとしていたシロガネは隙間から顔を覗かせるとニヤッと笑った。
「縁を結んだ赤い糸がくっついてるからだよ。この先大人の深い付き合い方をしても平気だってことだ。じゃ、ごゆっくり。飯は後で差し入れするよ」
シロガネはそう言ってドアを閉めてしまう。重い音が響き渡り辺りは静かになった。たった今言われたことに、気まずい思いをしながら、クジョウはアキを振り返った。
「…あの…なんか…ここ…変な部屋ですね」
適当に引出しを開けたクジョウはその中に拘束道具を見つけギョッとして慌てて閉めた。ベッドの作りもなんとなく変だ。壁には鉄のリングが埋め込まれている。シロガネが軟禁部屋と言った意味がようやく腑に落ちる。拘束してこの部屋から出さないようにするのだろう。だが何のために?
「あぁ…外に出さないための部屋?いや、外部の侵入からも守る部屋?どちらも…なのか?」
「そうかも…しれません…」
アキは相変わらずブランケットにくるまって震えていた。
「あの…クジョウさん…寒いので…来てほしい…です」
「あっ、あぁ…!!」
慌ててクジョウは隣に座ると、ベッドの毛布を被せてアキを抱きしめた。それでも震えが止まらないのでブランケットと毛布を一度アキの身体から剥がすと重ねてからベッドに横になった。
「中に入って下さい…あ、何も変なことはしませんから!この方が全身が温まりますから」
アキはそろそろと入ってきて、震えながらクジョウにしがみついた。クジョウは身体を密着させてアキを抱きしめる。
「クジョウさん…温かいです…」
「そ、そうですか。良かったです」
そう言いながらもクジョウは急に緊張してきた。こんなに密着したのはさすがに初めてだ。緊張のあまりクジョウは落ち着きなさそうに周囲を見回した。見れば見るほどおかしな部屋だと思った。天井の羽目板はやけに年季がかって見える。見つめているうちに木目がなんとなく目玉のように見えてくるので、クジョウは目を逸らして、アキの頭を撫でた。
「波紋…ですよね…多分…この寒気は…何だか…嫌な予感がするんです…」
クジョウはアキの頭を撫でながら、波紋だとしたらトウキ絡みなのだろうと思った。別れたのにしつこい奴だと思う。波紋を起こすほどに執着するなら、もっと誠実にアキに向き合えば良かったのにと思った。
(損得勘定優先で人と付き合ったことなんかないから、理解できねぇな)
クジョウは思った。
(そんなもの優先に付き合ってたって虚しいだけだろ)
「アキさん…俺じゃ役に立たないかもしれないけど…側にいますから…」
「役に立たないなんて…そんなこと…ないです…」
「まぁ、湯たんぽ代わりにはなりますかね…」
クジョウはアキを抱きしめなおすと照れたようにつぶやいた。




