縁の赤い糸
マユさんはシグレ先生の鎌に斬られて、小さな声を上げた。必死におなかに手を当ててなんとか溢れ出す血を固める。シグレ先生はその様子をあまり面白くなさそうに観察していた。ところが、そこから突然まるで映像を逆再生するかのように溢れ出して一度固まった血が動き出したかと思うと、するすると傷口に吸い込まれて一気に消え失せた。それは少し気味の悪い光景にも見えた。
「…君、それって吐瀉物でも可能なの?」
シグレ先生が嫌なことを訊く。
「理論上は可能ですけど…やりたくはないですね。覆水盆に返らずの真逆をイメージしただけです…面白くも美しくもなくてすみません」
マユさんの言葉にシグレ先生は片方の眉をピクリと上げた。
「それでも君は美しくなろうと見てくれだけは整えた訳だ。とりあえず君の目指した女の子には見えてるから及第点をあげよう」
女の子に見えている?と私は、どこからどう見ても今は女性にしか見えないマユさんを見つめる。そうしてそのときマユさんのことを不安そうにヨルさんが見守っていることに気付いた。
(もしかして…ヨルさんの相手って…)
私はヨルさんの様子からマユさんとの関わりを感じた。マユさんが終わって次の研修生に移ったが、ヨルさんは先ほどまでのように不安そうな表情はしなかった。
「ヨルさん、お疲れ様です」
マユさんがやってきてそう言って小さく頭を下げると、ヤミカさんはヨルさんの顔を物言いたげに見上げた。
「な、何?」
「誰?この可愛らしい子は」
「マユさんだよ」
「で?」
「で、って…」
ヨルさんは困ったような顔でマユさんを見る。マユさんは再びペコリと頭を下げて小声で言った。自分たちの番が終わっているとはいえ訓練中だ。
「あの、私はマユと言います。シグレ先生に指摘された通り…死んだときは男子でした。今は女の子っぽくはしてますけど…まだ全身じゃなくて…服の中はほぼ前のままです…ね?ヨル先輩?」
ヨルさんはマユさんに見上げられて、照れた様子で頭を掻いた。
「その…えっと、まぁ、たまたま話して相談を受けるうちに親しくなったっていうか…?そんな感じ…かな」
「ふーん、ヨルさんも何食わぬ顔して、可愛い子と仲良くしてるんだ?」
ヤミカさんが言うと、慌ててマユさんが首を横に振った。
「違うんです。私…生前は本当に…根暗で…オタクで…キモいって言われてて…見た目ももっと太ってて不細工だったんで…真っ先に姿を変えるところから始めたら、指導官にも呆れられて…」
マユさんはもじもじしながら言った。
「努力しても生前はできなかった部分でも、努力次第でなりたい自分に近付けるのは死神になって良かったって思うところかな…」
私はそう言いながら姿を男性に変える。ヤミカさんがふざけて私の腕に自分の腕を絡ませた。
「そうそう、こんなこともできる訳だし」
「そこ、話し過ぎ!!余裕で終わったからって調子に乗らないでよね」
シグレ先生の声に私たちは慌てて口を閉じた。
***
マユさんよりももっと苦手そうにしていた研修生は鎌で斬られた途端に真っ青になって倒れそうな顔付きになったり、実際に倒れたりしていた。クロさんが指導する研修生もそうで、やはり悲鳴を上げたり、無理だと言って直前で見学に回る者もいた。やがて時間になりシグレ先生が言った。
「今日の指導で及第点に満たなかった研修生は指導官にお願いをして個人的に慣れるまで練習をした方がいいよ。私よりもよほど優しく教えてくれるだろうしね。今回首を落とされたいと申し出た研修生はヤミカさんくらいだったが、首を落として欲しくなったらいつでも付き合うから連絡してほしい。むしろ指導官には直接お願いはしない方がいいだろう。正気を疑う者もいるからね。かなり以前に階級の上がった死神で、階級に関して少々不正が発覚して階級落ちした死神もいるんだ。指導官は仮に階級落ちしていたとしても、君たち研修生に律儀にそのことを伝える者は少ないだろうからね。だって恥ずかしいじゃないか。私のように階級が上がりすぎないように点数を減らそうと日々努力している死神とは違ってね。そんな死神に間違って首を落して下さいなんて言おうものなら、大変なことになるからね?あぁ、大変っていうのは一発で斬れもしないのに格好つけて斬ろうとして、君たち研修生の方が苦しむことになる可能性が高いって意味。失敗して顔を真っ二つにされたくはないでしょ?」
そこで私はなぜか反射的に鎌を出してしまった。私の反応は正しかった。シグレ先生の鎌と私の鎌がぶつかって鋭い音を立てる。
「おっと!せっかく点数を減らせるかと思ったのに、マソホそんは判断が早くて困るよ…もっと油断しててくれないと…」
「…何をする気だったんですか!?」
「えっ?そりゃあね、熱い口付けを交わして点数を減らそうかと…って、クロガネさん、怖い顔しないで下さいよ。場を和ませるためのジョークじゃないですか」
「場は和むかもしれませんが、私は全く和みませんよ。このように不意打ちを食らわせて誰かの唇を狙うのは悪い行為ですから、皆さんは真似してはいけませんよ?唇を奪っても平気なのは赤い糸で繋がった相手だけです。もしくは繋がりそうな相手…」
私は嫌な予感がして慌てて唇を押さえた。私の手の甲にクロさんの唇が触れる。
「クロさんまで公衆の面前で、何をするんですか!」
「おや、照れなくていいんですよ?ほら、見えますか?私たちに繋がる赤い糸が…」
クロさんは小指を立てた。私の小指に繋がる赤い糸が目に見える形で現れて私はキスされるよりも恥ずかしい思いをした。マユさんが目を見開いて糸を見ている。そして自分の小指を見てため息をついた。
「縁を結ぶのは…相手と心を通わせて信頼してもらうことも必要ですが、私とマソホさんのように前前世から繋がっていることもあります。あなたたちの糸はどこに繋がりそうですか?強く願えば糸も可視化できますからね」
クロさんが微笑んでヨルさんの顔を見た気がした。
***
訓練の終わった私たちはヨルさんとマユさんがどこか少しぎこちなく手を繋いで歩き出すのを見てひっそりと微笑んでその後ろ姿を見送った。それぞれの研修生の進捗度合いを素早くシグレ先生がタブレットに入力しデータを統括に共有する。クロさんを待っていた私は結局シグレ先生まで待つ羽目になる。
「マソホさんお待たせしましたね」
部屋の片付けをしたクロさんが言って私を振り返る。クロさんはタブレットをしまったシグレ先生に向かって言った。
「シグレ先生は運命の相手にはまだ出会っていないのですか?」
その言葉にシグレ先生は、大袈裟な溜め息をついた。
「私の運命の相手は…クロガネさんが何度否定しようとも、ベニ以外にあり得ないんだよ。前回だって…ベニは二人に糸が繋がった…だったら、私にだってまだ機会はあるはずなんだ」
「ですからあれは異常事態だったと言っているでしょう…すでにハイアオさんが…裏で着手していたからで…私とシロガネさんの二人に繋がるなんてことは通常では起こり得ないことなんですよ?」
クロさんの言葉にシグレ先生は首を横に振る。
「通常では起こらないかもしれないけど、それが起こったなら、私はまた起こる可能性の方に賭けるね。マソホさん、クロガネさんより、私を選んだ方が刺激的な毎日を過ごせると思うよ?」
私はこれまでの会話でおよそベニだった頃に何が起こったかは把握できたものの、なぜそんなにシグレ先生が私に拘るのかが理解できなかった。
「先生の言う刺激的とは、毎日首を斬られそうになるってことですか?私はそんな余計な刺激は求めてませんから、お断りします!」
「もーつれないなぁ…ベニの頃はもう少し優しかったよ?」
「マソホさん、騙されないで下さいね。シグレ先生は苛めっ子気質なところがあるので、ベニに鬱陶しい絡み方をしては嫌がられてましたよ?」
「だから、クロガネさんも余計なこと言わないでよね?」
シグレ先生が部屋に鍵をかけながら言う。
「言いますよ。シグレ先生は言葉巧みにあの手この手でマソホさんを誘惑しそうですからね。シグレ先生は早く他の方に繋がっている糸の行方を確認した方が懸命ですよ?無駄にマソホさんに糸を繋げようとしないで下さい。シグレ先生の単なる好奇心から実験的に私の縁を結んだ相手に手を出さないで下さいと言っているんです」
クロさんはきっぱりとそう言って私の腕を取るとスタスタと歩き出した。




