訓練代行
朝になって私たちは喫茶店の一階で食事をしていた。相変わらずシグレ先生もいたが、アオハ絡みの顛末を知ってか昨日よりは積極的に絡んではこなかった。
「マソホ、顔が怖いよ?」
向かいに座っているヤミカさんに言われて私は慌てて眉間に手を当てた。
「だって…小さい子にいたずらする犯罪者と変わらないじゃない!!」
アオハは子どもの姿で大人しく食事をしていたが、シグレ先生が少し離れた席から言った。
「人でないものに手を出すと波紋も長引くみたいだから、それ相応のペナルティは受けてるよ。あの子の手足はもっと全体的にカエルみたいになって緑に変色しちゃったみたいだし…聞けば手のひらと足首から下程度だったんでしょ?マソホさんは」
「…そうですけど何か?」
私のぶっきらぼうな返事にも懲りずにシグレ先生は興味深そうに私の方を振り返る。
「いやぁ、まさかこんなに早く間近で波紋を見ることができるとは思わなかったから。特別区はやっぱり面白いねぇ」
私は昨日記憶した通りに左手をカエルに変えてみた。ヤミカさんが目を見張る。目の前のクロさんも目玉焼きを箸から落してしまった。落下した黄身が割れる。とろりと中から半熟の黄身が流れ出たのを見ながら私はそれほど驚くこととは思わずにやってしまった自分に後悔した。
「あ、すみません、びっくりさせて。昨日どんな質感だったかなって、ちょっと思い出して変えてみただけで…」
「マソホさん、記憶したんですか?統括は確かに言いましたが…特に動物の特徴は記憶したとしても、なかなか再現するのは難しいんですよ?」
「え?でもクチナワさんだってやってますよね?」
するとクロさんは声を落として言った。
「…あれは自分の意思でやっている訳ではないんですよ。正確には戻せなくなった…というべきですが、絶対に指摘してはいけませんよ。膾斬りにされます」
「え?そうなんですか!?」
私は慌てて左手を元に戻す。ずっとカエルの手のままは逆に不便そうだ。そしてクチナワさんには下半身のことは絶対に指摘しないようにしようと心に誓った。
「…膾斬り…食事時に想像しちゃったじゃないですか。それって過去に指摘した人が…いたんですか?」
「えぇ。クチナワさんはキレると扱いが厄介なので…ちなみに軽口を叩いて斬り刻まれたのは…」
「あぁ、俺だよ俺!」
シロガネさんが軽い調子で言って手を挙げた。
「口は災いの元だよね。初めて身体の一部を自分の意思で変形してみて、それでうっかり言っちゃったんだよね。どうやって蛇になったんですか、戻せるんですよねって。そうしたら次の瞬間には首が胴から落ちてて…俺は空を見てた。日本刀が脳天に突き刺さる感覚があって…もうその後は…記憶がないよ。次に気がついたら病院だったからね」
「本当に勘弁して欲しかったですよ。とりあえず集められるだけ集めてまとめましたけど…二度とやりたくない作業でしたね」
朝食を食べながら話を聞いていたクジョウさんが眉を下げて胃のあたりを撫でる。その隣でアキさんは美味しそうに朝食を食べていた。女性の方がこの手の話題には強いのかもしれない。
「アキさんは…平気なんですか?」
クジョウさんが遠慮がちに尋ねる。
「えっ?あぁ、はい。平気がどうかで言ったら平気です。私…空気になるのが得意なので」
「空気?」
「いてもいなくても、誰の気にもされないようにする力ですかね。トウキといて身につけた能力…今の場合、聞いてしまってもリアルに想像しないように少しぼんやりするというか、そんな感じです」
自嘲気味に言ったアキさんにクジョウさんはますます眉を下げる。
「大丈夫ですよ。クジョウさんの前ではそんなことありませんから」
シグレ先生がアキさんをちらりと見ながらメモを取っている。こちらは聞かなくていい会話まで漏らさず拾って何か小説に役立てようとしているのかもしれなかった。
「リアルに想像し過ぎない…フィルターをかける行為は時として役に立つよね。死んで間もないときはリアルに想像し過ぎるから血がダラダラ出る訳で。肉体はないのに、まるであった頃のように感じてしまう。ここにあるから、ここにないに切り替える。つまりこの身体は想像だ。魂の残像みたいなものさ。だからかつてあった不便な入れ物から解き放たれた我々は、想像次第では何にでもなれる…ハズなんだけどねぇ…」
シグレ先生はしばらくの間片手を睨みつけていたが、はぁぁと大きなため息をついて脱力した。
「やっぱり見ただけじゃ無理だね。マソホさんみたいに簡単には変えられないよ。ねぇ、アオハくん、おじさんとイケナイ遊びしない?オジサンは優しいよ?」
「ちょっ!何言ってるんですか!!変な遊びにアオハを誘って波紋を出そうとしないで下さい!!」
私が声を上げると、シグレ先生は肩をすくめた。
「別に良くない?死んでまでみんな変な倫理観に縛られてるけど…昨日のあの子くらいに、ちょっと常識のネジがぶっ飛んでた方が死神としては後々大物になると思うんだよね。クチナワさんみたいにさ。私はそれからいくと、面白みのない小物だよ。ここにいるみんなは大いに失敗してその中から学べばいいと思ってる…だいたい…特別区の死神は過保護過ぎるよ」
シグレ先生は珈琲を飲みながらそう言った。
***
過保護、という点においてはあながち否定もできないと思いながら私は朝食後、痛みの訓練に参加するためにヤミカさんやアキさんと歩いていた。クロさんが同行し、シグレ先生もちゃっかりついてくる。不意にクロさんが携帯電話を取り出して足を止めた。シグレ先生もほぼ同時にスマホを見て、おやおや、と言った。
「…痛みの訓練の代行依頼が入ったのですが…」
「私もだよ。どうやら今日の第二階級の死神も不正組だったみたいだね…まったく…こんなギリギリになって変更なんて通常は起こらないものなんだけど…」
「無茶振りしても何とかできると思っているのが統括ですからね。今日の元々の訓練の内容は…なるほど。似たり寄ったりの幻影ですか…あまり面白くありませんから変えてしまいましょう。シグレ先生も片っ端から切り裂いてみたかったんじゃありませんか?」
「そういえば指導に関しては鬼なんでしたっけ…いやはや。俄然楽しみになってきましたよ」
突然シグレ先生の機嫌が良くなる。私とヤミカさん、アキさん、そして少し後ろでクジョウさんと話しながら歩いているフブキさんも、こちらの会話を気にしているのが分かった。フブキさんも痛みの訓練に出るからだ。いつもの訓練場所には、一時的に代理として受付のみ行うために集められたらしい死神がいた。クロさんは足早にそこに向かうと、どこからともなく半紙と筆を取り出して達筆な字でサラサラと書き始める。そこには、止血の仕方及びあふれた血の収集方法と書かれていた。実際に斬られても耐えられる者のみ参加可能、と更に下に書き加えられる。
「不安な人は指で試すから並んでちょうだい!こっちだよ!」
シグレ先生が微笑むと何人かの女性の研修生が、シグレ先生じゃない、などとヒソヒソ囁いてラッキーとまで言い出す始末だった。さながらサイン会のようにシグレ先生の元に次々と研修生が並び始める。我先にと並んだ女性が手を差し出すと、シグレ先生は言った。
「利き手で大丈夫?」
「はい!」
女性は深くも考えずに手を差し出すと照れたように微笑んだ。シグレ先生に手を握られたからだった。
「どの指で試す?」
女性が人差し指を彼の前に差し出すと、シグレ先生は小さな片手サイズの鎌を取り出して、サッと振った。何が起こったのか私にも分からないうちに、女性の人差し指は消え失せ彼女はけたたましい悲鳴を上げた。
「言ったでしょ?指で試すって。ほら、叫んでないでさっさと血を止める努力して?」
女性は泣き叫びながら右手を服で押さえて、そのままうずくまる。服がみるみるうちに血に染まる。後ろに並んでいた女性は踵を返して走り去った。その後ろの男性も慌てて逃げていく。長蛇の列はあっという間になくなり、ごく数人が所在なげにしてその場に残るのみとなった。
「指一本で大袈裟だなぁ。腕ごと落とされた訳でもないのに…近頃の研修生は軟弱で困るよ」
シグレ先生は呆れたようにため息をついた。




