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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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小さな波紋

 目が合ったと思ってまばたきをする間もなく、クロさんが私の目の前にいた。


「アオハ、教えてくれてありがとう。隣の部屋に行っていなさい。見てはいけないよ。マソホさんは見られたくないと思うからね」


「おかえりなさい…」


 私はこのときまだ自分の身体の変化に気付いてはいなかった。


「ただいま、マソホさん、気分は悪くありませんか?」


「大丈夫です…」


 私はクロさんの方に手を伸ばしかけて、そこでようやく自分の身に起こった変化について認識した。私の指の先がやけに丸く膨らみ心なしか水かきのようなものが現れていた。指先がペタペタする。


「手が…カエルに…?えっ、私どんな見た目になってますか?」


 顔までカエルになっていたらどうしようと、そのとき私は内心ではかなり慌てていた。


「安心して下さい。顔も身体もマソホさんのままですよ。足の指は…カエルっぽい見た目になってますが…波紋にしては可愛い部類だと思います…」


「そ…そうですか…チグサさんは…大丈夫なんですか?」


「大丈夫ですよ…と言いたいところですが、問題はアオハが自分はカエルだと伝えたのにも関わらず、その先の行為に及んだという点ですね。要するにハイアオさんのところの犬とツブシさんの間に起こったことと大差ないというのが現状で…ツブシさんもですが、チグサさんも人の姿に戻るまでに苦労しますし…しばらくは入院するしかないですね。あぁ、サギリさんが来ました。このままチグサさんは病院に搬送されます。こちらでやれる限りのことはしましたから…今はマソホさんの波紋の処理が優先ですね」


 そのときドアがノックされてクロさんは眉を寄せた。


「入ってもいいか?」


「えっ?統括…ですか?」


 クロさんは一瞬気の抜けた表情をした。


「わざわざ見に来なくてもいいです!」


 私は叫んだが、すでに統括は中に入ってきていて私の手を掴んでしげしげと眺めている最中だった。


「マソホ、今なら窓ガラスにへばりつけそうだな。試してみるか?」


 私の膨らんだ指先の吸盤を指で触って統括が笑う。


「しません、そんなこと…!」


 私は自分がアマガエルのように窓にくっついているのを少し想像してしまった。シュールにも程がある。


「波紋から出た能力…どこかで使えるかもしれないから試しておいた方がいいぞ?起きろ」


 私の指先はペタリと統括の手のひらにくっついて、引き上げられただけで起き上がった。試すと本当に両手が窓ガラスにくっつく。確かにその気になればへばりつくことが可能のように思えた。粘着性は高い。


「この感覚を覚えておくといい。腹からおかしなものが出ているときは試せないが身体の外側に生じた変化を記憶しておくことには意味がある。戦うときに使えるかもしれないだろう?」


「かも…ですよね?ないかもしれない…」


「ま、そうだな」


「統括は…何かあるんですか?波紋から思いついた能力…」


「そうだなぁ。身体の一部を固くする能力。防御の際には使えるぞ?鋼鉄のように…」


「なるほど…このペタペタする手なら…カーペットのゴミもよく取れそうですけど…」


 私が言うと統括はハッと短く笑った。


「ゴミ掃除だと!?まったく、ふざけた奴だな」


 統括はくしゃっと私の頭を撫でると満足気に部屋を出てゆく。クロさんは嘆息した。


「まったく…私も疲れたから早く休みたいのにいちいち邪魔をしにきて…」


 クロさんは私を手招くとさっと着替えてベッドに入る。疲れていると言ったのに、クロさんは部屋を暗くすると眠らずに私を抱き寄せて口付けをしてきた。


「あの…私…波紋が…」


「大丈夫ですよ。可愛いものだと言ったでしょう」


 クロさんはそう言って外したブローチを私の手のひらに握らせて私をきつく抱きしめた。



***



 どのくらい経ったのか、私が目覚めるとクロさんも身動ぎをして目を開けた。クロさんは私の手を取ると指を絡めて微笑んだ。


「戻りましたね…」


 手の感覚もさらりとしたものに戻っている。足の指を動かした私はいつもの感覚にホッとした。


「あの…アオハに合う魂を探すって聞いて…」


「えぇ、そうするつもりです。アオハはカエルですから積極的な性的誘惑には弱いところがあるのかもしれません…」


「そうなんですね。私…その辺りのことはどう教えたらいいのか…正直なところ分からなくて…」


「教えたことを忠実に守らせるのも大事ですが、アオハも元は生き物ですから、失敗から学ぶことも必要ではあるんですよ。今回のは少し想定したよりも大ごとになってしまいましたが…そこから学ぶこともマソホさんの式神としては必要だと思っています。私は呪禁師としては少々変わっているのかもしれませんが…忠実に主の命令のみを聞いて実行する機械のような式神は作りたくないのです…そういう雁字搦めの式神は…いざというときに自分で判断して動けなくなる可能性がある…私はアオハにもたくさん自分の頭で考えてほしい、そう思っているんです。分かりましたか?アオハ」


 いつの間にかベッドの横にアオハがちょこんと座って私とクロさんを見ていた。私は恥ずかしくなって慌てて胸元を覆う。アオハは事もなげに言った。


「あのね…チグサは胸にたくさん色々詰めてたから大きく見えてただけだったよ?実際の大きさは…マソホと変わらないかな?人間ってそういうことも誤魔化すんだね?変なの。脱いだらバレちゃうのにさ。それに人の身体はカエルとは違うから僕、どうしていいのか分からなかったんだ…待ってても産卵が始まる訳じゃなかったし…でもチグサが積極的に色々してくれたから、よく分からない間に何だか気持ち良くなって終わっちゃったけど…」


「そうでしたか。人は子どもを作りたいからだけではなくて、そういうこともする生き物なんですよ。気持ち良くなってスッキリしたい…でも…そうですね。本来ならそれは、適当に見繕った相手ではなく私とマソホさんのように、この人だと決めた相手とのみ行うべき行為ですから、その辺の女性に声をかけられても次からは簡単に乗せられてはいけませんよ?だから、今のように小さな姿でいる方が安全なんです。幼い子にそういうことをするのは悪いことだという意識が先に働きますから…分かりましたか?」


 アオハはこくりと頷いた。


「マソホさんは…アオハに裸の姿を見られることに…少し慣れた方がいいでしょうね。アオハ、カエルになりなさい。その方がマソホさんも緊張しませんから」


「えっ?ど、どういうことですか?」


「アオハに免疫をつけるんですよ。マソホさんにもですが。本来は身の回りのことを任せるのに式神を使う者が多いですからね」 


「ええっ!?恥ずかしいです」


「カエルですよ?」


「そっ、それはそうですけど」


 クロさんはアオハを手に乗せて平然と裸のままの私の身体をアオハに見せていた。アオハはカエルの声で鳴く。一通り観察が終わったところでアオハは再び子どもの姿になった。


「マソホもチグサもそんなに変わらないね。でも僕はマソホの式神だから、やっぱりマソホの方がいいや。チグサは一瞬だけすごく気持ちが良かったけど、マソホといる方がゆっくりずっとじんわり気持ちがいいんだ…」


 アオハは私の膝の上に乗ると背中をもたれてそう言った。クロさんが指を鳴らして私に服を着せてくせた。


「良かったですね。チグサさんにアオハを盗られなくて」


「え?」


「何がきっかけで契約関係が壊れるかは分かりませんから…たとえばチグサさんがとても魅力的な女性でアオハを全力で誘惑たとしましょう。その結果、マソホさんではなくチグサさんを守りたいと思うようになってしまう可能性もないわけではありませんから。現に悪い呪禁師はそういった手で式神を強引に奪う者もいますよ…私は身体で縛るようなやり方は…やりたいとは思いませんが」


「あの…それって…ハイアオさんの…犬のこと…ですか?」


 私が何となく放った言葉にクロさんはわずかに目を細める。


「なぜ、そう思いましたか?」


「そ…それは…その…ツブシさんに手を出したみたいだから…なんとなくそんな風に思っただけです…」


「あれは式神ではなく文字通り犬の魂でしたが…彼の手に掛かったことで犬ではない存在に変わってしまいました。あれは人に成り代わることが本来の目的だと思い込んでいるんです。本当は違うのに…美しい女になればハイアオに愛されると思い込んでいる哀れな魂です…なにも愛の形は一つではありませんし」


 クロさんは私の膝の上からアオハを抱き上げる。クロさんに抱きついたアオハはくすぐったそうに笑った。


「アオハ、波紋がどのようなものか少しは理解できましたか?マソホさんもアオハが来る前には、お腹から黒いものが溢れてしまったことがあったんですよ。ヤミカさんも。そうなると、とても苦しいんです。今回は手足が少し変わるだけで済みましたが…これからは気をつけて下さいね。襲われたら研修生相手でも攻撃して逃げて構いませんよ。いいですね?」


 アオハは頷いた。


「そっかぁ。攻撃しても良かったんだね。僕、どうしていいか分からなかったんだ」


 クロさんはアオハの頭を撫でた。


「マソホさんが同じような目に遭って嫌がっていたら…そのときも攻撃して構いません。分かりましたか?」


「うん、それは分かってるから大丈夫。ただ…自分のとき、どうしたらいいのか分からなかったから、これからは攻撃して逃げるね。あのときはびっくりしちゃって…カエルに戻ることもできなかったんだ…」


 アオハの頭を撫でながらクロさんはどこか切ない表情を浮かべた。でもそれは私も同じだった。私も同じ顔になっていると思った。


「アオハ、更衣室に入ってしまったとき、アオハはどんな姿でしたか?」


 不意にクロさんがつぶやいた。


「えっ?今と同じだよ。でも部屋から出してくれなくて…もっと大きくなれるでしょって言われたから…大人の姿になったら褒められて…ちょっと嬉しくなって…その後は…前に話した通り…」


(なるほど、分かりました。彼女は統括に嘘をつきましたね。大人の姿のアオハが入ってきて、抱きしめられたと言っていたんですよ。ま、波紋の大きさからしてバレるでしょうね)


 クロさんの声が私の頭の中に響く。私は思わず険しい顔をしてしまった。


「誰かにお願いされても、大きくならない方がいいですね。アオハが悪者にされてしまいますから」


 アオハはきょとんとしたが、私はその通りだと思った。アオハはむしろ被害者だ。私は腹が立ってきた。

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