予期せぬ波紋
私は喫茶店の一階でクロさんを待とうとしたが、シロガネさんに二階の部屋に行くように言われてしまった。
「シグレ先生が来たらうっかりうたた寝もできないよ?少し休んで待ってな。帰ってきたら起こしてあげるから」
「そうだよ、行こう!」
私はアオハとシラタマに手を引かれて二階の自室に入る。
「おやすみ、マソホちゃん」
シロガネさんはそう言って私の頭をさらりと撫でた。ヤミカさんもそろそろ部屋に戻るようだった。
「鍵は一応かけておいた方がいいよ。シラタマもアオハもいるから大丈夫だとは思うけど念のためにね」
私は言われた通りにドアを閉めてから施錠した。今日は出発時刻も遅かったからクロさんたちが戻るのも遅いかもしれないと思った。シャワーを浴びて歯を磨いてからベッドに入ると、アオハとシラタマがベッドの上にいた。
「今日はお母さんと一緒に寝る」
シラタマが言う。シラタマとアオハはどちらが右でどちらが左に寝るかを真剣に争った後に、私の両側にぴたりとくっついてきた。
「大丈夫だよ。僕らは気配に敏感だから。お父さんが帰ってきたらお母さんを起こすね」
シラタマが自信ありげにそう言った。
***
「マソホ、クロさんが帰ってきたみたいだよ?」
どのくらい経ったのか、誰かの声で私は目が覚めた。アオハだった。アオハは小学生くらいの姿ですでに起きていて、ハッと目を開けたシラタマが役目を取られたとばかりに、飛び起きて悔しそうな顔をした。けれどもシラタマは言った。
「ここで待ってた方がいいと思う…僕が先に様子を見てくる」
「えっ?ちょっと待って!私も…!」
けれども、なぜか突然青年の姿に変わったアオハに私は動きを封じられてしまっていた。
「今は行かない方がいいと思う。バタついてて…マソホから目が離れると危ないから」
「バタついてるって…何かあったの?」
「うん、ちょっと。でも大丈夫だよ。クロさんもアシシさんも無事だから。でも別の研修生がちょっとパニックを起こしたみたいで、ホムラさんが困ってるから連れてきたみたい」
「そう…なんだ…」
私は少し肩の力が抜けた。
「下にシグレ先生もいるからさ。だから様子を見てくるってシラタマ兄ちゃんは言ったんだと思う」
「え、シグレ先生、帰ってきてるの?」
「うん、帰ってきてるよ。ねぇ、人間ってどうして雄どうしでも交尾するの?」
「えっ!?ちょっ、いきなり何を言い出すのアオハ」
私はアオハの言葉にギョッとする。けれどもアオハは真面目な顔をして首を傾げていた。
「シグレ先生とミランさんは雄どうしでしょ?」
「そっ…それは…そうだけど…それは…相手のことが…好き…だから?」
言いながら私は次第に自信がなくなってくる。ミランさんは好きかもしれないが、シグレ先生の方はどうだろう?
「シグレ先生、さっきまでずっとシロガネさんにぐちぐち文句言ってたんだよね。経験はたしかに重要だけど、しなくていい経験もあるって。お尻が裂けるかと思ったって…」
「あーいいよ、その先は、なんとなく分かるから!!」
私はアオハの話を思わず遮ってしまった。アオハは不思議そうな顔をしたが、やがて小声で謝ってきた。
「ごめん、嫌な話題だった?そういうの…僕ってまだよく分かってなくて…」
「嫌っていうか…あのね、私は女だから…その…男性どうしのそういう関係については詳しくないっていうか…だから、聞かれても教えてあげられることが少ないというか…」
「そっか、そうなんだね。うん、分かったよ。そっかぁ。人間でも人間のこと全部は分からないものなんだね」
アオハはするすると縮んで再び小学生の姿になる。
「だからなのかなぁ?クロさんに他の研修生の前では無駄に大きくなるなって言われちゃったの。誘ってると勘違いされるからって。僕はカエルだから、研修生と交尾したら波紋が出るんだって。波紋っていうのもよく分かんないんだけどさ」
私は思わず頭を抱えたくなった。確かにアオハは女性の研修生に好かれやすい。クロさんが言ってくれたから良かったが、そういう生物としての本能的な部分のコントロールも含めて私がもっとしっかり教えなければならなかったのかもしれない、と今更ながら思った。私の気も知らずにアオハは言う。
「クロさんがね、近々ヤミカの式神になりそうな魂を探す予定だから、ついでに僕に合いそうな雌も探してきてくれるって言ってたよ。楽しみだなぁ」
本当に楽しみで仕方ないという顔をしているアオハの横顔は小学生のようで話している内容とのギャップを感じずにはいられなかった。時折人の姿をしていると元はカエルだということを忘れてしまう。私はアオハの頭を撫でた。アオハはフフッと笑ったが、突然真顔になって下の方に視線を移した。
「…あれが…波紋なの?うわぁ…うねうねした黒いのがたくさん出てる…シグレ先生は楽しそうにメモしてる。クロさんの機嫌が悪くなってるよ…どうしよう」
「…どうして分かるの?」
「え?マソホには見えてなかったの?早く言ってよ」
アオハは私の手を繋ぐ。すると床下の景色が透けて上から私とアオハは喫茶店の中を見下ろしていた。
「えっ?うそっ!チグサさん…!?」
私は黒いうねうねとした物体がお腹の辺りから出ている女性の顔を見て思わず声を上げてしまった。
「うん、そうチグサ。僕…ダメなことだって知らなかったから、チグサに誘われて…我慢できなくて…」
「えっ?」
私は嫌な予感に襲われてアオハの顔を見た。アオハはどこか落ち込んだような表情をした。
「でもやっぱりしちゃダメなことだったんだね。チグサも知らなかったんだと思う。僕カエルだよって言ったんだけど、大丈夫でしょって言うから…うっかり交尾しちゃったんだ」
「ちょっ…それって…いつの話?」
「うーんと…パン屋さんに行ったでしょ?そのとき、ちょっと手伝ってほしいってシラタマ兄ちゃんがタテハに呼ばれて…戻るのが遅くて暇だったから探しに行ったら…チグサがいて着替えてる途中だったんだ。チグサはあそこでバイトしてるみたいで…それで僕、慌てて出ようとしたんだけど…引き留められてキスされて…」
「そうだったの。これからは何かあったら、ちゃんと報告してね。私が解決できないことだったらクロさんに相談するから」
私は思わずアオハを抱きしめていた。チグサさんもチグサさんだと私は内心では思ってしまう。カエルだとアオハは言ったのに強行突破したのだと思った。それに確かにあの巨乳は武器になるだろうとも思ってしまった。
「ごめん、マソホ。今度からちゃんと言うね」
「うん。アオハは…なんともないの?」
「うん、大丈夫みたい。でも…シラタマ兄ちゃんにはお前は大丈夫でもマソホに波紋が出るかもって言われた…」
「えぇ?そうなの?待って?シラタマは知ってたの?」
「知ってたっていうか…バレたの。めちゃくちゃ怒られた。クロさんには様子を見ましょうって言われてて…マソホには不安を煽るようなことは言うなって言われたから、言わなかったけど…ごめんなさい…」
私はため息をついてしまった。起こってしまったことは仕方ない。
「あーしょうがないよ。アオハは知らなかったんだし。まさかアオハがカエルだって分かってて、そんなことをする研修生がいるとは思ってなかったし。アオハが傷付いた訳じゃないなら…いいよ」
私の言葉にアオハはとても驚いた顔をしたが、次の瞬間に叫んでいた。
「クロさん!!来て!!マソホに波紋が出ちゃいそう!!」
クロさんの目が確かに私を見た、とそのとき私は強く感じた。




