強引な口付け
その日の喫茶店は妙に落ち着かない雰囲気だった。特に私とクジョウさんはドキドキし過ぎている気がして、シロガネさんにその心臓は動いてないよと何度も言われる羽目になっていた。やがて喫茶店のドアが開いて憧れの作家の死神が姿を現した。
「どうも、シグレ先生お待ちしておりましたよ」
「やぁ、シロガネさん、それにクロガネさんもお久しぶりです」
シグレ先生はにこやかに微笑む。けれども常人とは異なるどこか怖いような気配をまとっていて、私もクジョウさんもサインを下さいなどと気軽に近付ける雰囲気ではなかった。平然と話しているのは第一階級の二人のみで、第二階級のナナクサさんも私たちの近くの席に座って神妙な顔付きをしていた。
「本日のオススメは何かな?ここ、また寮も始めたんだってね。君がヤミカさん?」
カウンター内にいたために、避難できなかったヤミカさんはシロガネさんの隣で固まっていたが、シグレ先生の言葉に頷いた。
「ふぅん、ベニの半分ね…もう半分は…っと」
喫茶店内を見回したシグレ先生はすぐに私の姿を見つけるとスタスタと近付いてきた。けれども私は本能的な恐怖に駆られて、思わず鎌を取り出していた。瞬時に男性の姿になった私の構えた鎌に重々しい手応えがして、シグレ先生の鎌が振り下ろされる。
「ちょっと!店の中で止めて下さい!!」
私は思わず叫んでしまった。何を考えているのか読めない。すぐに鎌は消え去り、目の前のシグレさんは私を見て微笑んだ。
「ぼんやりしてそうなのに…やっぱり中身はベニに近いのかな?そんなふわふわした見た目で判断力も鈍ってるんじゃないかと思ったけど、簡単に刺されないだけの警戒心はあるんだね。それに男性の姿で応戦するとは。気に入ったよ。ベニのときより面白い」
シグレ先生は鎌を握りしめたままの私の顎を掴んで至近距離で覗き込むと、何を思ったのか突然強引に唇を重ねた。ものすごい力で拘束されて身動きが取れなくなる。
「……!!」
私は一瞬何が起こったのか訳が分からなくなり、次の瞬間には怒りのあまり鎌を振っていた。瞬時に飛び退ったシグレさんに鎌は当たらなかったが、彼はポケットからメモ帳を取り出すとサラサラと何かを書き込んでいた。
「…その唇はほころびかけた花びらの如く甘い…マソホさんのお陰でまた良いシーンが思いついたよ」
なんて死神だ!と私は片手で唇を押さえて震えた。クロさんがやってきて私の唇に触れる。クロさんはシグレ先生を一瞥すると私を抱き寄せて呆れたような口調で言った。
「先生は官能小説家にでも転向するおつもりですか?私が縁を結んだ相手に手を出すのは止めて下さい。二度目はありませんよ?いくら先生でも、本気で斬ります」
「相変わらず怖いなぁ。クロガネさんは。やはり経験してみないと分からないこともあるでしょう?死んで良かったのは、人を斬るときのリアルな手応えも経験できるという点ですね。生きている間は書くために殺す訳にはいきませんから、出来なかったことも今なら難なくできる。こうやって他の死神の所有物に手を出したらどうなるのかも含めて…私はね、本当は波紋を経験してみたいんです。でもどうやったら今の階級でそれが叶うのか…マソホさんやヤミカさんを寝取ることも考えましたが…恐らくその程度では波紋は起こらない…だとしたら無理矢理奪う?そうするにしても点数を減らさなければと思いましてね…」
さらりと耳を疑うような台詞を口にしてシグレ先生は微笑んだ。私は彼の小説が大好きだったのに、本人を目の前にして、あまりのギャップにどう感じていいのか分からなくなっていた。ただ一つ理解したのは作品が好きだからと言っても、作者本人の人間性を好きになれるかどうかはまた別物なのだということのみだった。どこか静謐な文体を好んで書く彼が、こんな風に出会って間もない私にいきなりキスをしてくるような破天荒な人物だとは想像もしていなかった。私の隣ではクジョウさんまで度肝を抜かれた表情のまま固まっていた。私は困ってクロさんを見上げた。クロさんはカウンターから新しいお絞りを取ってくると私の唇を入念に拭いた。それを見たシグレ先生は笑い声を上げた。
「クロガネさん、嫌だなぁ。私をバイ菌みたいに」
「当たり前じゃないですか。あなたと間接キスはしたくありませんからね。大丈夫ですよ、マソホさん、私がしっかり上書きしますから」
クロさんの顔が近付いてきたので、私はその上書きに乗ることにした。腹が立ってもいたせいだった。たっぷりと時間をかけてクロさんは上書きをする。不意にクジョウさんの咳払いが聞こえたので私は慌てて我に返ってクロさんから離れた。
「……クロガネさんってそういう人でしたっけ?」
シグレ先生が首を傾げる。クロさんは事もなげに言った。
「私も点数を減らしたんですよ。今のところランクAに上がりたくはないですからね。上がるとするなら…少なくともマソホさんが私に追いついてからでしょうね…」
「これはこれは、鬼のクロガネさんからそんな言葉を聞く日が来るとは!それはそうと、クロフネの階級改ざんに関しては今後どうなるんでしょうね。今日は不本意ながら地下で執筆しながら一人預かってましたが…本当に一人じゃ何も出来ないんだから、困ってしまいますよ」
そう言いながらシグレ先生はどこかムッとした顔つきのヤミカさんが運んできた料理に手をつけた。味噌汁を一口飲む。
「はぁ…染みるなぁ。やっぱり味噌汁だよね。うん」
シグレ先生はそう言いながら再びメモ帳に何かを書いていた。アイディアが浮かんだら書き留めるタイプの人なのだと思ったが、正直なところ苦手な類の人だとも思ってしまった。私と共に端の席で本日の夕飯の生姜焼き定食を食べながら、クジョウさんはシグレ先生と平気で会話をするシロガネさんに感心した眼差しを向けた。クロさんも会話に加わって、階級の下がる死神の処遇について話している。仲が良いのか悪いのか分からないが、何となく私は面白くなかった。
「ちょっと、マソホ大丈夫?」
トレーを持って移動してきたヤミカさんが近くの席に座ってヒソヒソと声をかけてくる。
「あんまり大丈夫じゃない…かも」
私は千切りキャベツを飲み込んでから言った。シロガネさんの作る千切りキャベツはフワフワだ。いくらでも食べられる。
「上書きしてもらったじゃないですか」
クジョウさんがどこか恨めしげな口調で言って、隣の席のアキさんがちらりとクジョウさんの顔を見た。二人はなんとなく付き合っているという設定のまま一緒にいることが多くなり、実際に気が合っているように見えた。
「俺は怖くて近づきたくないけど…第一階級でも特別区の死神はやっぱり桁違いなんですね」
生姜焼きを食べていたナナクサさんも小声で言った。私がナナクサさんの顔を見るとナナクサさんは頭の中に語りかけてきた。
(シグレさんは死神の中で、恐らくハイアオさんの次に恐れられていると言っても過言じゃない程度には行動の読めない死神なんですよ。さっきみたいに平気で死神や研修生相手に鎌を振るうなんて日常茶飯時ですから。よく反応できましたね。トウキは全く反応できなかったらしく、シグレさんに胸を刺された状態で地下から担がれて戻ったら胸から肩にかけてパックリ裂けてしまって病院送りになったそうです)
(それ…食事中に言う話ですか?)
私は呆れた。
(あぁ失礼。でもマソホさんはこの程度の話題なら平気なんじゃないかと思って。で、どうでしたか?シグレさんの口付けは)
(そんなこと聞いてどうするんですか。言いませんよ)
(単なる興味本位の世間話です。噂によればマソホさんにキスをすると引かれる点数が他の研修生よりも多いのだとか。統括の匙加減なんでしょうかね)
「は?何なんですかそれは!」
私は思わず声を上げてしまって慌てて口を押さえた。
「ほんとだよ。一般的には三十点程度だけど、お母さんの場合は倍に設定してたよ?」
後ろからひょいとこちらを覗き込んだシラタマが白蛇の姿のままでニッと笑う。
「シラタマ…勝手に見てきたことを喋らないで。私だって初耳なんだから」
「へぇ。六十点減点かぁ。じゃああと二、三回しておこうかな…って、冗談ですよ。そんな怖い顔しないで下さい、クロガネさん」
「先生の冗談は当てにならないんですよ」
「それはタテハとシジミのことを言ってるんですか?私は止めましたよ?確かにあの頃肝試しは流行ってましたけど、それに乗るほど私は馬鹿じゃなかった。それなのに行った二人の招いた結果は自業自得以外の何物でもないです。クロガネさんまでその責任を負う必要はなかったと私は今でも思っています」
タテハさんの名前が出たので私はドキリとした。ではバラバラになってしまったのがシジミさんなのだろうかと思う。クロさんは特に答えずに味噌汁を飲んだ。
「その冗談を真に受けてしまう人も中にはいるということを言いたかっただけですよ。現実と虚構を織り交ぜるのが先生の得意分野なのでしょう。波紋とは少し種類は異なりますが、先生の生み出した世界に取り込まれてしまう者も少なからず存在する…その方向に巧みに誘導するのが良くないと私は言いたいだけですよ」
クロさんの語調が少し強くなる。シグレさんは乾いた笑い声を立てた。
「この話は何度語っても平行線ですねぇ…」
「では聞きますが、先生は生前の同業者にお前の作風は気に入らないから筆を折れなどと言ったことはさすがにないでしょう?今あなたが行おうとしているのは、そういうことだと言いたかっただけです」
シグレ先生は眉をひそめた。
「嫌な例え方をしますね。それとこれとは別次元の話でしょう。作家の仕事は物語を生み出すだけであって、魂をどうこうする仕事という訳じゃない。私はどちらかと言えば考え方は統括寄りなんですよ?男尊女卑はしませんが、死神に向いていない、または他の者の邪魔をするような、トウキのような研修生は死神にならない方がいいと思っている。波紋を出すならまだしも、言葉を操って同情させて他人を動かす。自分の手は汚さない。そんな奴が死神になったところで、何の役に立つというんです?辞めさせるなら今だと言っているんです。その選別はすべきだと思っていますよ?」
「彼が死神を続けようと思う限りは辞めさせることはできませんよ。でも先生は言葉巧みにその方向に誘導するんでしょうけどね。止血も満足に出来ない相手を刺して地下から担いで来たんですか?流れた血を回収しもせずに」
クロさんの声が低くなった。
「地下の有象無象の餌を増やすなと言いたいんですか?」
「いいえ。どの程度欠けたのかと思っただけですよ。喰われて失われる部分が多いほど人は記憶も失いますから」
「そうだなぁ…人が死ぬほどは流してませんよ。刺したまま来ましたから。ただ地上に出たら衝撃で裂けて落ちちゃったからドバッと流れたけど、それは回収して中に突っ込みましたから。でも、うわ言でアキアキってずっと呼んでて気持ち悪かったですよ。アキさん、私の想像以上にトウキは歪んでる。気を付けることですよ。そこの彼氏みたいに頭をスパンどころじゃ済まないかもしれない」
後半はこちらに向かってシグレ先生が言った。アキさんがビクリとする。
「ね、そこでなんだけど、アキさん密着取材させてもらえない?波紋じゃないのに影響を受けてアキさんと彼氏を狙ってくるのが、まだ出てくるかもしれないから。取材の見返りはボディガードでいいよ。ね、シロガネさん、そんな訳で一部屋貸してよ。たまには環境を変えて執筆作業もしたいんだ」
「えぇ?本気で言ってますかそれ?」
シロガネさんも目を見張る。シグレ先生は楽しそうに言った。
「だって、ここにいてマソホさんにキスしたら、クロガネさんにザックリ斬ってもらえそうだし、なかなかに刺激的じゃない」
その場にいた皆が一斉に私とクロさんを見る。
「やれやれ、シグレ先生はどうして火のないところに煙を立たせようとするんですか。悪い癖だな」
「むしろそれは褒め言葉だよ。刺激がないとアイディアも枯渇するからね。それは作家としての死だよ!」
こうして、半ば強引に喫茶店にシグレ先生が居座ることになってしまったのだった。




