月食
この職についてから、何度季節が回っただろう。
そんな中で時折、一瞬、わたしの中が濁る事がある。
でも、その濁りの小さな結晶はすぐに凝集し、その重さのために沈殿を始める。
そして、濁りが元どおりに透明になる代わりに、澱として深みに溜まってゆく。
それが何度も繰り返されているような気がした。
久しぶりの夜の手術。
しかも、大型犬。
昼間にも手術があったから仕方なく夜に入れたけど、続けてはしんどいなぁ。
代診の時は1日中手術してても飽きなかったのにな。
てゆーか、手術自体がなんだか辛くなってきた。
ところで、この子はおなか切るの3回目。
1回目は異物で腸切開。
2回目は帝王切開。
そして、本日の3回目はパイオ。
前回の帝王切開の時に子宮とってれば、こんなことにはならなかったのにね。
さてと...。
じゃぁ、いってみよー!
「点滴全部入れていいからね」
3回目ともなると、さすがに白線部分が硬い。
メッツェン切れねー。
おなかの中で変に癒着してなきゃ良いけど、以前の手術もわたしがしてるから、どーかなってても文句は言えないな。
白線を少し切ったところで、ちょっと縮れた大網が見えた...。
ああ、嫌な予感。
そしてさらに切ると、ああやっぱり。
濁った薄緑色の膿が流れ出した。
おなかの中は膿だらけ...。
わたしの気持は不安だらけ。
よくこんな状態で...。しんどかったろうに。
膿で膨れた子宮をずるずるとおなかの中から引っ張り出す。
一緒に膿も溢れ出し、ドレープに広がる。
手袋がねっとりとした膿でコーティングされ、すぐにぬるぬるになった...。
ありゃぁ、卵巣出ないよ。
こりゃ、あの時と一緒だな。
昨日いっこく橋に電話したら、森先生が出たからな。
そのせいかな。フラグが立ってたとか...。
歴史は繰り返す...、なんて。
そんな大げさなもんじゃないか。
まぁ、脾臓破裂のゴールデンがいないだけましだな。
「舞ちゃん、手洗ってくれる」
独りで足掻いても仕方ないものね。
膿の海の中(なんとも情けないおやじギャグだったり...)、ぬるぬるでやりにくくってしょーがないんだけど、なんとか卵巣側2カ所結紮切断完了。
次、頚管。
1回針刺して、糸を回す。
ありゃ、緩んだ。
いつもよりもう1周余分に糸を回す。
念のため2カ所の血管も結紮して切断。
断端には大網の縫合のサービス付き。
血行があった方が良いものね、きっと。
さて、洗いましょうか。
「生食、何本使える?」
「予備を残しておいても、6本ほどです」
「じゃぁ、全部使おう」
「バッグ切ってぶち込んで」
おなかの中に入れた透明な生食は、すぐに膿と混ざり混濁する。
サクションを突っ込んで吸引。
うちのサクションはひ弱なので、吸うよりもこぼれる方が断然多い。
それはドレープを伝って、床のペットシーツを濡らす。
さらに飛び散って周囲べちょべちょ...。
ああ、また靴汚れちゃうな。
でもさ、お正月にかえようと思って新しいの買ってあるんだ。それを前倒しすればいいか。
生食を6本使い切ったところで、おなかの中をかき混ぜても濁りはなくなった。
後は出来るだけ残っている生食を吸引する。
よし、これだけやればいいか。
ここで幕間。
汚染された手袋、器具、ドレープすべて交換。
新しいドレープかけてドレープを切った時に、すでにおなかが開いてるってなんだかシュール...。
さて、最終幕の緞帳が上がる。
とっとと縫合。
よし、連続で一気にいくぞ!
「針付きで2-0ないかな?」
「3-0しかないです」
「ああ、そう...」
仕方ない、いつも通り単純結節でいくか...。
「皮膚はホチキスね」
手術が終わって飼い主さんに状況を電話した。
後片付けをすべて終え、入院室の明かりを消す。
急に疲労感が身体中に流れ込んだ。
なんだか今までと違う感じだ。
ゆっくりと深呼吸をする。
「あ、そーいえば...」
すぐに窓を開けて夜空を見る。
「おっ...」
急いで携帯を出した。
「ねぇ、先生。空見て!真上。月食だよ」
ちょうど雲が途切れたところに、栄養状態5%でちょー削痩なお月さまが、ぼんやりと輝いていた。




