降りない幕
さあ、グランドフィナーレだよ。
役者はみんな勢ぞろい。
気持ちも最高潮に達してる。
たくさんの歓声の中、最期の幕を下ろすのはわたし。
いつまでも鳴り止まない歓声。
それどころか、まだまだ高まっていく。
さあ、幕を降ろすよ。
...ああ、なんてこと...。
幕が、降りない...。
昨晩、悪性黒色腫のラブラドールの様子を見に行った。
もう、ほとんど意識がなかった。
ここ2、3日で、急激に衰弱した様子だった。
「もう、つらいから...」
おかあさんが、泣きながらそう言った。
次の日の朝、電話を入れる。
電話に出たおかあさんの『お願いします』という言葉は、しぼり出すような涙声だった。
準備をして、AHTの舞ちゃんと一緒に出かけた。
到着すると、家族みんながそろっていた。
横たわるその子の体に触れる。
元気だった頃の温かさ柔らかさは、もうなかった。
その子とおかあさんたちが向き合っていられるように、後ろ足で注射のための血管を探す。
虚脱した血管は、なかなか姿を現してくれない。
ごめんね、ごめんねと繰り返すおかあさんの声が気持ちを焦らす。
指先の感触だけをたよりに、祈るように針を刺す。
ダメ、入らない。
もう一度...。
かすりもしない。
どーして、こんな大事な時に。
ごめんなさい。前脚で...。
針を新しく換える。
少しでも血管が出やすいように、駆血帯を使う。
皮膚の上から、血管を見る。
病院と違って暗いなぁ...。
でも、分からないのは明るさのせいじゃない。
指先に全神経を集中する。
刺す。
ダメ。
もう一度。
入らない...。
反対の腕。
入らない。
何度やっても、血管を探せない。
ならば、頸静脈だったら。
ダメ。
頚静脈すら、分からない。
ああ、どーしてこんな肝心な時に。
最期の最後に、わたしの不手際で舞台が台無し...。
ごめんなさい。
どーしたらいい?
こんな時に顔を見せる、恐ろしいほどのわたしの中の冷酷さ。
その子の痩せた胸を触る。
1inchの針しか持ってきていない。
後悔。
いくら痩せているとは言え、大型犬。
届くかな?
おかあさんに事情を説明する。
「それで、かまいません」
一番拍動の強いところ。
上からじゃ届かない。
下から...。
これでほんとに最後。
入って。
逆流しない。
これでもダメなの?
強く胸に押し付ける。
逆流。
時間かかっちゃったね、ごめんね。
幕が降りはじめたことはおかあさんにも分かった。
名前を呼ぶ、おかあさんの声。
さあ、これでもう、苦しいことは何にもなくなったよ...。
さよなら。




