満月の夜その3
濃霧から現れたのは、ブガティと呼ばれるダチョウから派生した希少な動物。
ダチョウはダチョウだが、いくつか違う所がある。
毛色は、頭から尾羽まで鶴を思わせる独特な模様をしている。犬並みの嗅覚があり、臭いに対する記憶力も優れている。更に、頑丈な肢に桁外れの蹴る力があり、初速から時速百キロメートルを超え、最大で三百五十キロメートルを超える速さで走る。ただ、エフワン並みの速さであるため持久力がない。そんな肢から繰り出される攻撃は、人が防具を装着しても内臓が破裂し、頭部に当たれば確実に死んでしまう威力だ。並みの魔物であっても同様。
ブガティは、物凄い速さでランスへ迫り目の前で急停止した。
長い首を上下左右に動かし、時折、首を傾げては睫毛の長いクリクリした大きい瞳でランスやエンダを観察している。
「これは珍しいのが出て来たのじゃ」
「なんなの、この変なの」
「ランスや、このブガティを生捕りにするのじゃ」
「えっ、いきなり生捕りって。どうして?」
「魔法を使いたいのじゃろ。これから教えるぞい。ほれランスや、剣を空へ掲げるんじゃ。ブガティを捕まえるイメージをするのじゃ」
ランスは、エンダを降ろして両手で剣を空へ掲げた。
捕まえるイメージ、捕まえるイメージ。
「イメージ出来たら、声を出して唱えるのじゃ」
「出でよ、魔人。ブガティを捕まえろ!」
しかし、何も起こらなかった。
「…私、才能無い?」
「ただの冗談じゃ」
「エン婆、怒るわよ」
「すまん、すまん。じゃが、魔人はちと無理があるのじゃ。それにじゃ、教えたいのは魔法よりも生き抜ぐ術なんじゃ」
「そう。それじゃあ、ブガティ捕まえたら生き抜く為に魔法を教えてくれる?」
「こりゃ一本取られた。いいじゃろう、ばぁばの負けじゃよ。じゃが、まずは知識からじゃ。それでよ…」
「よーし、やる気出て来た!魔法のこと、知識でも何でもいいから教えて欲しかったから」
ランスは、エンダの話を最後まで聞かず大喜びした。とても嬉しそうな顔をしているランスを見て、エンダは悟った。
しょうがないのぉ。魔法のことは一切教える気はなかったのじゃが、善悪の区別が分からない子供の好奇心は誰にも止められぬ。だからこそ、しっかり導いてやらねば。
ランスは、剣を鞘に納めてブガティに近づき、掴みやすそうな首を素手で掴もうとしたが、首を曲げられたり上下左右にステップされて、なかなか捕まえる事が出来ない。
「こいつ、全然捕まんない」
「ブガガガガ」
ブガティは、ランスを見ながら嘲笑した。
「馬鹿にして…」
ランスは、地面に転がっている石を三つ拾ってブガティへ向けて石を全て投げたが、あっさり避けられた。しかし、ブガティが避けるであろう方向へ先読みし、一瞬早く移動してブガティを正面から捕まえようとした。
「もらった!」
だが、その瞬間、ブガティはランスへ向かって前蹴りを繰り出した。
ランスは紙一重で避け、代わりに、背後に生えていた大木に当たり簡単に折れて吹っ飛んだ。
「は?」
「ランスや、一つ言い忘れておったんじゃが…ブガティの前蹴りには気をつけるんじゃ。死ぬぞ」
「それ、早く言ってよ」
「ブガガガガ」
ブガティは、嘲笑して何処かへ走り去ってしまった。
ランスは、ひらひらと宙を舞うブガティの尾羽を掴み、半ズボンのポケットに入れた。
「全然駄目、触る事すら出来ないわ」
「ランスや、今日は終いじゃ」
ランスはしぶしぶエンダを背負って歩き出す。
「エン婆、どうしたら捕まえられるの」
「それは言えないのぉ。じゃが、捕まえる方法は幾らでもある、よぐ考えるんじゃ」
その後は、魔物に遭遇することもなくエンダの家に着いた。
ランスはよほど疲れていたのか、睡魔に襲われうとうとしながら夕食を食べて、直ぐに就寝した。
翌日。
ランスは、朝食を食べながらブガティを捕まえる方法を考えていた。
「やっぱり魔法使いにならなきゃダメね」
「ランスや、ブガティはどんな奴じゃった」
「すばしっこくて、前蹴りが殺人級で、私を馬鹿にする」
「ランスや、ブガティは何を食べているか知ってるかい」
「知らない」
「ランスや、ブガティについて何も知らなすぎるんじゃ。相手を知る事はとても大切な事じゃよ」
確かに、昨日の事だけじゃ何も分からない。
「分かったわ、ブガティを観察してみる。見つからない様にね」
「そうじゃ、そうじゃ」
「まずは、ブガティを見つけなきゃだけど一体何処にいるのかしら」
「心配せんでも向こうから来るじゃろう」
「そうなの、どうして?」
「それは秘密じゃよ」
「教えてよ。あっ、そっか。それもブガティを知れば分かるって事ね」
「そういう事じゃ」
朝食を食べ終わったランスは、出掛ける支度して家を出た。
「エン婆、行ってくる」
「ランスや、待つのじゃ。森の中は色んな奴がおって危険がいっぱいじゃ。気をつけるんじゃぞ」
「うん、夕方には帰るわ」
ランスは、太陽の光が差し込む森の中へ入って行った。
ブガティを探索していると、ハエトリグサやウツボカズラに似た大型植物が一生懸命に猪や鹿を捕食していたり、沢山の向日葵が一斉に茎や葉を踊っているかの様にくねらせてアカペラで歌っていたり、総合格闘技で対決しているパンダと熊がいたり、若い亀と老いた兎が同じ速度で徒競争していたり、木の上にはサングラスを掛けている栗鼠や針鼠、夜行性なはずなのにハイテンションな蝙蝠、突然寝落ちする梟、やたら早口な烏が世間話をしていたりと、森の中は食物連鎖の残酷さはあれど、賑やかで不思議な事ばかり起こっていた。その新鮮な体験はランスを楽しませた。だが、ブガティの居場所は誰に聞いても無視されるか、嫌そうに「知らない」と答えるのであった。
ランスは、倒木に腰を下ろして休んでいると、口笛を吹きながら軽快な足取りで歩いて来るブガティを発見した。
直ぐに草木に紛れて姿を隠し、ブガティが通り過ぎるのを待って、後を追った。
すると、木の上で世間話をしている所を揺らしたり、徒競走中の若い亀をひっくり返してサッカーボールの様に蹴飛ばしたり、対決しているパンダと熊の間へ割り込み勝負の妨害をしたり、雄叫びを上げて向日葵たちの歌を妨害したり、捕食が済んでお腹一杯の大型植物の捕食器官に自ら入ったりと、森に住む動植物たちはとても迷惑そうにしていた。
一連の行動を遠目から見ていたランスは、ブガティの居場所を訊き回っていた時の事を思い出す。
なるほどね、あんな悪さしてたら嫌われるわ。
その後もブガティを遠目から観察していると、木の実を食べたり、膝から下を前へ曲げて逆正座して全く動かなかったり、動き出したかと思えば、また悪さしたりという一連の流れを繰り返していた。
昼下がり、突然ランスのお腹が鳴った。
川が流れる音が聞こえたから、魚を釣って焼いて食べようと思いついた。
そこら辺に落ちている頑丈そうな長い枝と、木に巻き付いている蔓を剥がして糸の代わりにする。獣の骨をサバイバルナイフで加工して釣針にして、お手製の自分の釣竿の完成。
ブガティは、夢中で釣竿を作成していたランスをこっそり見ていた。
緩やかな川に到着したランスは、適当に捕まえた虫を釣針に刺して川へ投げ込み、魚が掛かるまで待ち続けた。
思っていたより早い時間で一匹目の魚を釣り上げた。だが、釣り上げた瞬間、待ってましたと言わんばかりに魚をパクリと食べたブガティ。
横取りされたランスは、怒りを露わにしてブガティを追い払った。しかし、二匹目三匹目と魚を釣っては横取りされ追いかけ回してを繰り返し、いつの間にか日が暮れようとしていた。
結局何も食べられず諦めて帰宅することになり、ブガティは満足そうな笑みで悔しがるランスを見送った。
茜色に染まる獣道をとぼとぼ歩いていると、何処からか声が聴こえてきた。
前方へ目を向けると向日葵の集団が見えた。
あれは向日葵の大群、こっちへ向かって来てるわ。しかも、指パッチンしながらアカペラで歌ってる。男女の声のハモリも抜群に上手いけどって、今はお腹減ってそれどころじゃないわ。そのままスルーして行こう。
何事も無くすれ違うはずが、間が悪いことにランスの空腹音が鳴り響いた。
「俺との愛を守るためぇお前は旅立ちぃあしぃたを見失ったぅあ。んあ、百合愛⁈」
「誰よその人、私はランス。はぁ、このタイミングでお腹鳴るなんて…」
「腹減ったぁ」向日葵男声。「腹減ったぁ」向日葵女声。「腹減ったぁ」向日葵男声女声。
「うるさい、ハモるな」
「優里愛さん」向日葵男声。「優里愛さん」向日葵女声。「優里愛さん」向日葵男女声。
「だ、か、ら、ランスって言ってるでしょ」
「ランスってぇ」向日葵男声。「ランスってぇ」向日葵女声。「ランスってぇ」向日葵男女声。
「いちいちハモるな。もう帰るから、じゃあね」
「さようならぁ」向日葵男女声。
帰宅すると夕飯をテーブルに並べているエンダがいた。
特製クリームシチューにクロワッサン、いつものメニューだわ。
「ただいま、お腹空きすぎて倒れそう」
「おかえり、ならグッドタイミングじゃな」
ランスは、テーブル席に着くなり凄い勢いで食べて、あっという間に器が空っぽになった。
「特製クリームシチュー、まだあるからね」
「おかわり!聞いてよ、エン婆。お腹空いたから魚焼いて食べようと思って釣りしてたら、全部ブガティに横取りされたのよ。もう最悪」
「それでしょぼくれて帰って来たんじゃな」
「それにあいつ絶対性格悪いわ。森に住む動植物に嫌がらせなのか悪戯なのかとにかく悪さしてさ、生捕りにしたらローストチキンにしてやるんだから」
「そうかい、そうかい」
ブガティへの怒りや悔しさを発散するかの様に喋りまくるランスが、何故か可笑しくて、とても楽しそうにエンダは話を聞いていた。
「そういえばランスや、魔物は見たかい」
「見てないよ。エン婆の家に来てから一度も見てないよ」
「そうかい。いないに越した事はないんじゃが…森の様子はどうじゃった」
「なんか賑やかだった」
「そうかい、とにかく魔物を見たら逃げるんじゃ」
「うん、おかわり」
この森に以前からよく来る魔物がいたんじゃが、最近は見なぐなった。いないに越した事はないじゃが、ブガティ種の生き残りと何か関係があるのかもしれん。
鍋に入っていた特製クリームシチューを平らげたランスは、自室に戻って分厚い本を手に取った。以前、自室を掃除していた時に出てきた本だった。
何よこれ、中身が全部白紙じゃない。何の本か興味があったから捨てなかったけど…あっそうだわ、日記帳にしよう。私の冒険日記。
高さが膝ぐらいの小さなテーブルに、蝋燭に火が灯っている燭台を置いて、今迄の出来事を日記帳へ書いた。




