満月の夜その9
目が覚めると、嘴で体を突いているアルザスの姿が目の前に映っていた。
少し眠ってしまったわ。
ベッドから出て立ち上がったら、一瞬ふらついたけど、怠さが抜けて少し元気になった様な気がする。
ん…いい匂いがする。
急に来る空腹感、お腹の虫が鳴り響いた。
…お腹すいた。
「夕飯が出来たのね。さぁ、たらふく食べるわよ」
「ブガ」
一階へ降りると、テーブルには大量のクロワッサンと特製クリームシチューに、分厚いステーキが並べられていた。豪華だ。ステーキがあるだけで食卓に高級感が生まれる。
「いただきます!」
「ブガ!」
食事中、エン婆から鍛錬のし過ぎと注意されたけど、どんな所でも魔法陣が描ける様になりたいと、私の想いを伝えた。だけど、結果的に倒れてしまった事を指摘されて、何も言えなくなってしまった。私のことを心配してくれているのは分かるけど、ステーキが美味すぎてエン婆の話が頭に入ってこない。
「じゃが、魔力量の限界を知れて良かったんじゃないかい」
「おかわり。今度は気をつけるわ」
「ちゃーんと、ばぁばの言うこと聞かないと、おかわり無しじゃ」
「うげ。分かった、ちゃんと休むわ」
「よろしい。しっかり自己管理をしないといけないのじゃ」
食事を終えて自室に戻り、さっそく空中に天道虫の魔法陣を描く。
鍛錬している間、一度も魔法陣を描いていない。寝る間も惜しむくらい夢中で、気付いたら朝日が昇っていたなんてざらだった。今までの鍛錬で確かな手応えを感じて、突破したい壁をぶち抜く自信がついた。成功しないわけがないわ。
発光する魔法陣は消えることなく、空中に留まり続けた。更に、これでもかというくらい沢山の魔法陣を描いた。
これだけ描いても消えないわ。余裕、全然余裕。
ベッドがふかふかになる様に、想いを込めて天道虫の魔法陣を描けば、飛び込むと天井まで届きそうなぐらい体が跳ねて、弾力のある柔らかくてふかふかな寝ごごちが良いベッドになる。
壁に掛けてある大きい時計の針と数字が光る様に、想いを込めて天道虫の魔法陣を描けば、真っ暗な部屋でも時間が分かる。
蝋燭に火が点く様に、想いを込めて天道虫の魔法陣を描けば、パッと火が点く。だけど、部屋全体が明るくなるぐらい火の光が強すぎて眩しい。
魔法陣に込める魔力量が多かったのか、それとも複雑に描いてしまったのか。シンプルに魔法陣は描いているはずだから、それはないか。いや、もしかして…これ本物の火じゃない。本物だったらこんな光り方しないわよね。触っても全然熱くないし、吹きかけても消えない。というか、固体として火に触れられるってどういうこと。…そっか、無属性だから本物じゃないんだわ。火に似せた張りぼてを蝋燭に付けた感じね。無属性が適正だと他の属性は使えない。本物を操れないのが残念だわ。魔法陣で火を点けるより、マッチで点けた方が早そうだし、手元にマッチがあるならマッチで火を点けよう。
でも、ちょっと悔しいから試しに魔力を最小限にして…仄かに光る様に想いを込めて魔法陣を描けば…まあまあってところね。
魔法陣へ注ぐ魔力と魔力量の調節が難しいのよね。大雑把にやってしまうと、私が求める魔法と掛け離れてしまう。何度も試して、最適な魔法にしないと。
もう寝よ。しっかり寝て、明日には完全回復して、森のみんなに私のとっておきの魔法を披露するんだから。
ランスは満面の笑みで就寝した。
コクシネル。
ランスの想いを魔法陣にして、対象へ刻む事で効果を発揮する。
おまじないに使う魔法陣は、一括して天道虫を描いている。
ランスが与えたおまじないは、付与した対象の症状が正常な状態になるか、死亡、破壊、消滅するか、自らおまじないを消すか、自身が死亡しない限り半永久的に効果が続く。しかし、おまじないが消えない限り効果が続く為、魔力量が全回復しても魔力総量が完全に回復することはない。
簡単な数値で表すと、ランスの魔力総量が百だとして、一つのおまじないに使用する魔力量が五だとしたら、全回復したとしても魔力量は九十五までになる。致命的なのは、本人がその事に気付いていない事である。
翌日。
陽が昇りきった頃、雲一つない青空の下、ランスはアルザスの背に乗って以前ハルピュイアを倒した場所、アルザスの古巣でもある桜が咲く巨樹へ来ていた。
季節は夏を迎えているのに、変わらず満開の桜が咲き誇る季節外れの巨樹。そこには、大勢の動植物が集まっていた。
「来た来た、魔法使いが来たぞ」
「あの人間の子がハルピュイアを倒したというのか。信じられん」
「あの子が魔法少女になったって本当か。ぐへへ」
「あの人間の名前は何ていうんだい」
「たしか…ロドリゲスよ。いや、ラーメンだったわ」
「美しい、魔女とは思えん。結婚してくれ」
「何だ…このプレッシャーは…」
えっ、こんなにいるの。
ここへ来るまで、森のみんなとすれ違う度に桜の樹の下で魔法を披露するって言ったけど、まさかこんなに集まるなんて思わなかったわ。それに、聞いてると話が微妙に違う様な気がするし、相変わらず名前も覚えてもらえてない。今まで散々森中歩き回ったのに、まだ初対面がいるなんて…。
「人気者じゃな」
「おっす、姉御」
足元を見ると、亀造の甲羅に乗った兎師匠がいた。
「兎師匠に亀造、来てたのね」
「お主が魔法使いなったと聞いてのぉ。エンダもようやく重い腰を上げたんじゃな」
「約束したからね」
ランスとアルザスは、歌っている向日葵の群集を掻き分けて、桜が咲く巨樹の下まで辿り着いた。
アルザスの背に立って、集まっている動植物を見渡す。
あれは、栗鼠に針鼠。相変わらずへんてこなサングラス掛けてるのね。妙にハイテンションの蝙蝠に、早口で喋りまくっている烏。また熊とパンダが戦っているわ。あっ、梟が落ちた。
みんな…来てくれたんだ。決めた、明日出発する。
ランスは心に決めて話し始めた。
「みんな注目!」
ランスの声色はよく通る。
動植物は、雑談をやめてランスへ注目した。
「今日は集まってくれてありがとう。初めて見る顔ぶれが結構いるし、自己紹介も兼ねて今迄言い出せなかった事を伝えます。私の名は、ランス。アペロという村から来ました。オーディンとかいう自称神様から、村の人達が全員死ぬという最悪なお告げがあった後、村がガレンダー兵と魔物に襲われて、この森へ逃げて来ました。母や村の人達は死んで、私だけが生き残りました。お告げによれば、ダリア王国の王太子を王様にしないと、私は死んでしまうそうです。今のところ、お告げの通りになってしまって信じざるを得ないけど、そこまでしないと生き残れないとか、そんなの無理なんじゃないかって…。いっその事、魔物にでも食われて死のうかななんて思ったわ。そう思って諦めようとしたら、悔しい気持ちが込み上げてきて、訳も分からず全てが奪われて、何も出来なった自分に絶望して死ぬとか…ふざけんじゃないわって思ったの。だから、ダリアの王太子に会って事の真相を聞き出して、元凶をぶっ飛ばしてやるんだから。そんでもって、神様だのお告げだの世界樹だの、この世界で何が起こっているのか自分の目で確かめたい。だから、みんなとは今日でお別れ。明日の朝、ここを出発するわ」
ランスの話を聞いて、涙を流すものもいれば生き残った強運に感心するもの、家族を殺された怒りに共感するもの、突然の別れ話に驚くもの、決断が早過ぎて出発を止めようとするもの、名前が分かって満足したもの、皆別れを惜しんだ。
「みんな、ありがとう。もう決めたの。ここは温かくて優しい所だから…いつまでも甘えていられないのよ」
震える声、感極まったのか目に涙を浮かべているランス。
手で涙を拭い、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「それじゃ、気を取り直して。私のとっておきの魔法を見せてあげるわ」
ランスは空に向かって、直径十メートルはありそうな大きな蝶の魔法陣を、ゆっくりと丁寧に描く。
「プレミエクレール!」
ランスが唱えると、魔法陣から色鮮やかで多彩な蝶が多量に舞い降りて、動植物の周りをひらひらと縦横無尽に舞う。
動植物は、その幻想的な光景にただただ見惚れていた。
こんなに沢山の蝶を召喚するのは初めてだから、上手くいって良かった。でも、失敗したわ。夜だったら、蝶がもっと綺麗に見えたのに…。なんかもったいないわ。
ランスが魔法陣を消すと、光の残滓を残して蝶も消えていった。
動植物も夢の世界から覚めた様に我に返った。
「どう、凄いでしょ」
動植物からアンコールされたけど断った。明日森を出ることは今思いついたことで、これからエン婆に伝えるからだ。素直に応じるとは思えないから説得するのに時間がかかるはず。ただ、何を言われようとも明日出ていくけどね。
「じゃあね」
そう一言別れを言って、ランスはアルザスの背に乗ってその場を去った。
動植物はあまりに突飛な言動に、去り行くランスの背中を呆然と見ているだけだった。




