第2話 3980円の魔導書
幽子が朝起きると、ベッドには彼女一人しかいなかった。
他に寝かせる場所がなく、シングルベッドに召喚した悪魔とギュウギュウ詰めになって眠っていたような……。
しかし、部屋の中にはあの少女の姿はない。
「あれ? モルガナ?」
部屋を見回しても、隠れられそうなスペースを覗き込んでも、どこにもいない。
魔法陣を描いたはずの紙はどこかに消えていたし、魔導書は本棚にしまわれている。
昨夜のことは夢だったのだろうか、と首を傾げた。
「幽子~。学校に遅れるわよ~」
母の声が聞こえてきて、今日が平日だったのを思い出す。
慌てて準備を済ませ、家を飛び出した。
「へえ、悪魔召喚した夢を見たんだ」
「夢なのかどうかはまだ分からないですよ」
部活――オカルトサークルの黒間先輩と雑談に興じる。
ちなみにこの部活は学校側に認められていないので、同好会ですらない。
なんなら黒間先輩と幽子の二人しかいない。
「でも、朝になったら全部なくなってたんでしょ」
「それはそうなんですけど」
「でも、正夢ということもあるしね。そのうち成功するかも」
「はい! もっと頑張らなくちゃ」
「具体的に何を頑張るのかは不明だけど、その意気だ」
胡乱な会話をしながら、放課後を潰した二人は学校を出た。
黄昏時――逢魔が時とも言われる、黄金色の夕焼けに目を奪われる。
幽子の隣を歩く黒間先輩は、優しい微笑みを向けた。
「今度、星空観察という名目で理科部を呼び出して、UFO降臨の儀式でもする?」
「わぁ、楽しそうですね! 機会があれば、是非」
被害者の理科部にとってはたまったものではない。
そんな会話をしながら、幽子は家にたどり着く。
「ただいまーっ!」
「おかえりなさい、契約者」
「――え?」
悪魔――モルガナが、普通にいた。
ダイニングテーブルで、母と一緒にケーキを食べている。
「えええ!? モルガナ本当にいたの!?」
「何言ってるの、モルガナちゃんは生まれたときから一緒でしょ」
「え?」
母はこともなげに、「ケーキは手を洗ってからね」と台所に向かった。
幽子のためにケーキを切り分けるのだろう。
「ねえ、モルガナ、どういうこと?」
「まずは手を洗ってきてください。状況は説明します」
言われたとおりに洗面所で支度を済ませてから、ダイニングテーブルに座る。
母の持ってきたケーキにフォークを刺しながら、モルガナは事情を話した。
「昨夜、私を召喚したのは覚えているようですね」
「もちろん」
「あのあと、私は魔界に帰る方法を探しました。しかし……」
モルガナは苦々しい顔をする。
「……契約者。あなたがしたのは強制召喚ですね。しかも生気を渡す緊急契約をしてしまった。契約終了まで帰れません」
「強制召喚……」
「私、自分で言うのもなんですけど、結構高位の悪魔なんですよ。それが授業中に突然喚び出されて、慌てて契約などと……教師に聞かれたら噴飯物です。屈辱です」
「契約って途中で切れないの?」
「何しろ、契約書も作成していませんから……。人間界でも、口約束で契約が成立してしまうことがあると聞きます。契約終了条件もない、途中解約もできない。詰みです」
「そりゃ大変だ」
「なんで他人事みたいに言ってるんですか!?」
モルガナがバァン! とテーブルを両手で叩いた。
衝撃で、ケーキの皿が一瞬だけ宙に浮き、紅茶の表面に波紋が立つ。
「こら、モルガナちゃん。行儀が悪いわよ」
「…………すみません」
母に注意され、素直に席に座り直した。
モルガナは気持ちを落ち着かせるように、紅茶に口をつけてため息をつく。
「えっと……お母さんはどうなってるの?」
幽子は母の顔を見やった。
幽子とモルガナの話を聞きながら、何事もないようにニコニコ笑っている。
「少し、認識をいじりました。私のことは契約者と生まれたときからの姉妹のようなものに映っているはずです」
「えっ、認識操作魔術!? すご!」
「……あなた、昨日から思ってましたけど、魔術を多少かじっているようですね」
「嗜み程度には」
「人間って、嗜みで魔術をするものなんですか……?」
モルガナは首を傾げたが、「まあいいでしょう」と流した。
彼女は手近にある紙とペンを引き寄せて、メモを作成する。
「とにかく、契約者とは契約の内容を詰めたいと思っています。まず、一日三回のキス」
「なんで?」
「食事なんだから当たり前でしょう。あなた、一日一食で生きていけるタイプですか?」
「あ、それは無理かも。食べるの好きだし」
幽子が納得したのを見て、モルガナは頷いた。
メモに必要事項を記入してから、ペンの頭でコンコンとメモを軽く叩く。
「それから、私が魔界に帰る方法を探す必要がありますね。魔界と通信できる技術があればよかったのですが」
「それも追々考えないとねえ……」
「ひとまず、契約者がどうやって私を召喚したのか、話を伺いたいです。そこから逆算して送還もできるかもしれません」
話がまとまったところで、幽子とモルガナは自室に戻った。
モルガナが、部屋の隅に片付けていた模造紙を引っ張り出す。
あの夜、幽子がマジックペンで魔法陣を書いたものだった。
「……この魔法陣、記述が一部おかしくないですか?」
「ああ、私が適当に書き加えた」
「なぜですか?」
「こうしたほうが可愛いから」
「可愛いから……?」
モルガナは違和感を覚えたような顔をしている。
その後も、彼女による尋問が続いた。
「召喚に使用した魔導書はこれですね。どうやら本物のようですが、入手経路は?」
「ネットオークション」
「は?」
「送料込みで3980円」
「3980円で私をお手軽に召喚したんですか……?」
ネットオークションのページを見ると、『祖父の蔵から出てきた洋書を処分するために出品しました。内容は読めないのでよくわかりません』と写真付きで公開されている。
おそらく、魔術師の祖父がなくなったあと、何も知らない一般人の子孫が売りに出したと思われる。
モルガナは頭痛がするのか、手でこめかみを押さえていた。
「……で、どういうふうに召喚したんですか?」
「サラダアブラ・メンチカツラ・アブラハム・リンゴーンだったかな」
「なんですか、その明らかにお腹が空いてる深夜に唱えたようなテキトーな呪文は」
「たしかにお腹は空いてた」
「で、それで私、召喚されちゃったんですか」
「召喚できちゃった」
「もうやだぁ……」
話を聞けば聞くほど、モルガナが可哀想になってくる手法である。
そして、本物の魔術師がこの内容を聞いたら、憤死か卒倒するだろう。
おごご……と唸りながら頭を抱えるモルガナに、「あ、そうだ」と幽子が思い出したような声を出す。
「なんですか、なにかわかったんですか」
顔を上げるモルガナに、幽子がそっと口付けた。
モルガナは、キョトンとまばたきを数回。
「……?」
「ほら、おやつのキス」
「なんでこのタイミングなんですか……ごちそうさまです……」
たしかにモルガナの身体には、ケーキよりもキスによる生気が効く。
それはそれとして、モルガナは今後の生活が不安になる情報しか得られていないのだった。




