第1話 モルガナと契約のキス
「ふんふんふ~ん」
枯尾花幽子は鼻歌交じりに、黒いマジックペンを模造紙に滑らせていた。
本棚には『呪術事典』『魔術大全』といった怪しげな背表紙が並び、机には放り出された宿題。
今日も勉強よりオカルトが優先だった。
「できた」
――描いていたのは、魔法陣。
ネットオークションで落札した魔導書を片手に、満足げに床に置いた魔法陣を見下ろす。
深夜二時。
両親は既に寝ている。
明日は平日。
どう考えても褒められた行為ではない。
けれど――。
「本当に出たりしたら素敵なんだけどな」
幽子は魔導書に書かれた手順のとおりに、わくわくしながら呪文を唱えた。
そう、彼女の趣味はオカルト研究である。
学校でもオカルトサークルに所属し、理科部にちょっかいをかけながら楽しく暮らしていた。
「……えっと、なんて読むのこれ。まあいっか。サラダアブラ・メンチカツラ・アブラハム・リンゴーン!」
……失礼、魔導書のとおりじゃなかった。完全に適当である。
しかし、魔法陣から光が溢れた。なんでだ。
「えっ」
幽子は予想外の事態に、思わず声が出た。
そのうえ。
「きゃあぁ!?」
魔法陣からなんか飛び出してくる。
角とコウモリのような翼、尻尾を生やした女の子だった。
「……えっ?」
幽子は二度見する。
それは間違いなく、悪魔であった。
「う、嘘ッ、私、学校にいたはず……ここ、人間界……!?」
尻餅をついた悪魔の少女は動揺している。
そして、なぜか苦しそうにしていた。
「……っ、まずい……人間界、魔力が薄すぎる……」
「わぁ、大丈夫?」
「大丈夫に見えますか……? このままだと数分で活動停止します……」
「えっ、そんなレベル?」
悪魔は予想外に敬語である。
呑気な口調で声をかける幽子を睨みつけた。
「私と契約してください。本当に死にます」
角の生えた少女の肩は小刻みに震え、額には冷や汗が浮かんでいる。
冗談を言っているようには見えない。
幽子は初めて、事態の深刻さを理解した。
「それは大変。いいけど、どうしたらいい?」
少女は恥ずかしそうに目を逸らす。
よほど言いづらいのか口ごもっていた。
しかし、もはやそんな余裕もないらしい。
「……キスしてください」
「……えっ?」
「だから、キスです。早く」
契約でキス。意味不明である。
しかし、悪魔の少女は冗談を言っている顔ではない。
多分キスしないと本当に死ぬ。
「え、キスってそういう……いやでも死ぬのはまずいよね」
躊躇している暇はない。
ファーストキスと悪魔の命、比べるまでもなかった。
「……まあいっか」
幽子は悪魔に、そっと顔を近づけ――。
唇を重ねると、幽子の中に流れる何らかの力が、悪魔に流れ込むのを感じる。
「!?」
「はい、これでいい?」
幽子が悪魔から離れると、角を生やした少女は顔を赤らめていた。
魔法陣からの光は消えたが、悪魔の少女は残されたまま。
「……夢とか幻覚ってわけではなさそうだね」
「私は悪い夢であってほしかったですけどね」
悪魔は拗ねたような顔をしている。
幽子はちょっと可愛いなと思った。
「君、名前は?」
「……モルガナ。サキュバスです」
「わぁ、本物なんだ。ちょっと触っていい?」
「許可を取る前に触らないでください」
「すご~い。翼も尻尾も本物だ」
「話聞いてください。何なんですかこの人間」
悪魔――モルガナは尻尾でペチペチと幽子の頬を叩く。
それでも、幽子は嬉しそうだった。
なにしろ、初めて成功した悪魔召喚である。
「とにかく……契約は成立しました。してしまいました。契約者、あなたは私に魔力を提供する義務が発生します」
「さっきみたいに、キスで?」
「……非常に、とっても、すごく不本意ですが、あなたから生気を経口摂取しなければなりません」
「そうなんだ。これからよろしくね、モルガナ」
「……あなたって、変わり者とか変人とか変な人って呼ばれません?」
「え、なんで? 私は普通に平凡な一般人だよ」
「絶対嘘だぁ~……」
――そんなわけで。
悪魔・モルガナと枯尾花幽子は、召喚契約を結んだのであった。




