第7話 資格
資格の状況は、公開されている。
冬坂は自宅の机で、再生記録課の公開名簿を開いた。現に認定を受けている技師の一覧。五十音順。四百人ほど。
名前が並んでいる。知っている名前が二十ほどあった。同期は三人いて、そのうち二人が残っている。もう一人がいつ消えたのかは、この名簿からは分からない。
三人のうち一人は、研修のとき隣の席だった。機材の起動手順を覚えるのが早く、冬坂が二度で覚えたものを一度で覚えた。もう一人は、訂正を先に求めてから辞めるべきだと冬坂に言った男だ。名簿の上では、二人は同じ列に並んでいる。何をした人間かは、名前からは分からない。
冬坂は、その二十ほどの名前を上から順に見ていった。見る必要はなかった。柏木がいないことは、二列目で分かっていた。それでも最後まで送った。
名簿には、認定の年だけが添えてある。何件立ち会ったかも、どんな事案だったかも書かれない。冬坂の知っている二十人が、この三年で何を見たのかは、この一覧からは何も出てこない。
柏木郁夫の名は、なかった。
次に、返上者の一覧を開いた。自分の名前がある。三年前の日付とともに。
この一覧は、認定者の名簿より短い。十七年で百人に届いていない。返上する人間は少ない。辞めるなら、たいていは黙って現場から離れるだけで、資格そのものは持ち続ける。持っていて損はないからだ。
画面を一度で下まで送れる長さだった。指を止める必要がない。
自分の名前の前後にも、名前が並んでいる。同じ月に返上した人が二人いた。知らない名前だった。三年前、自分は自分の手続きのことしか考えていなかった。同じ窓口で、同じ書式を出した人が、ほかにもいたことになる。
柏木の名は、こちらにもなかった。
冬坂は画面を閉じた。認定もされていない。返上もしていない。それでも技師である状態が、制度には一つだけある。
***
翌朝、再生記録課の二階へ行った。鵜沢は法廷があるので来なかった。
番号札を取り、七分待った。呼ばれた席に、皆瀬がいた。
「冬坂さん。本日はどのようなご用件でしょうか」
「柏木郁夫氏の、資格の状況について照会をお願いします」
皆瀬は手元の端末を見なかった。
「技師の資格の状況につきましては、認定者名簿および返上者名簿として公開しております。そちらをご確認ください」
「確認しました。どちらにも記載がありません」
「ではそのとおりです」
「記載がないという状態が、何を意味するのかを伺いたい」
皆瀬は一度うなずいた。否定でも肯定でもなく、聞き取ったという合図だった。
「資格の状況は三つに分かれます。認定、停止、返上です。認定者は認定者名簿に、返上者は返上者名簿に記載されます」
「停止者は」
「停止処分に関する情報は、当該技師の個人に関する情報として、公開の対象外となっております」
冬坂は少し黙った。
「では、名簿のどちらにも載っていない技師は、停止中であると理解してよろしいですか」
「そのような推認について、当課は肯定も否定もいたしません」
「照会の手続はありますか」
「ございます」皆瀬は引き出しから用紙を一枚出し、両手で冬坂の正面に置いた。「照会権者は、本人、所属機関の長、そして現に認定を受けている技師に限られます」
冬坂は用紙を見た。氏名の欄。資格番号の欄。
資格番号の欄は、八桁だった。自分の番号を、冬坂はまだ覚えている。返上した日に、それが失効した通知を受け取った。番号そのものは消えず、再発行されない、と書いてあった。
「返上者には」
「照会権はありません」
白い紙の上で、蛍光灯が細く光っていた。
「私はこの手続の中で、鑑定人として選任されています」
「存じております」
「鑑定人には」
「鑑定人という立場に、照会権は定められておりません」
皆瀬は言い直さなかった。言い訳もしなかった。彼は制度を読み上げているだけで、そこに彼自身はいなかった。
選任の決定は、受任のすぐあとに出ている。届いたのは紙が一枚だった。事件番号と氏名と日付。何ができるのかは書かれていない。鵜沢が請求し、裁判所が採った。それだけの紙だ。
その一枚があるから、証拠に自分の名前で触れられる。触れられるのはこの事件の記録だけで、ほかには何も付いてこない。
目の前の用紙には、氏名の欄と資格番号の欄しかなかった。鑑定人が書く場所はない。資格ではないからだ。外から渡されたもので、渡した側が引けば、その日で終わる。
「管理官」
「はい」
「柏木氏は、須賀沼敬一の再生に立会人として入っています。それは記録に残っています」
「立会人の氏名は開示しております」
「その立会が適法であったかどうかは、確認できないということですか」
「執行時に当課が確認しております」
「確認記録は非開示です」
「そのとおりです」
冬坂は用紙を折らずに持ち上げ、鞄に入れた。皆瀬は書類の角を、指の腹で一度だけ揃えた。
三年前、冬坂も同じ癖を持っていた。技師は皆そうなる。紙の角が揃っていないと、記録として気持ちが悪い。
いま自分がそれを見て、癖だと分かるということは、まだ抜けていないということだった。
***
庁舎を出ると、都築が門の外にいた。
昼休みらしく、コンビニの袋を提げている。冬坂を見て、袋を持ち替え、それからもう一度持ち替えた。
「冬坂さん」
「都築」
「あの、いま出てきたところ、見えてました」
「そうか」
「窓から」
都築は袋の口を握ったり緩めたりしていた。中でパンらしいものが潰れる音がした。
「あの、僕、聞いてないんですけど、柏木さんのこと調べてるって」
「誰から聞いた」
「聞いてないです。ほんとに。ただ、あの、名簿を二つとも開いた記録が残るので」
冬坂は都築を見た。
「照会ログか」
「公開名簿でも、続けて二つ見ると残るんですよ。誰が見たかまでは出ないんですけど、いつ何が見られたかは出ます。それで、朝からその二つが並んで見られてて」
「そこから、私だと」
「柏木さんの名前が両方にないの、知ってる人しか、その順で見ないので」
都築の手が、袋の上で止まりかけた。だがまた動いた。
「僕、何も言えないんですけど」
「訊いていない」
「そうですよね」都築はうなずいた。「でも、あの、停止って、勝手にはならないんですよ。処分ですから。誰かが申立てて、審査があって、決まる。時間もかかります」
「記録は残るな」
「残ります。処分の記録は残ります。非公開なだけで」
「非公開の記録に、私は触れられない」
「触れられないです」都築は言い切った。それから、少し早口になった。「でも、停止になった技師って、その日から現場に入れないんです。機材の認証が通らないので。指紋も、番号も、全部停止されます」
冬坂は、風で飛びかけた前髪を押さえなかった。
「認証が通らない人間は、立会人になれるか」
「なれないです」
「なぜ柏木は立会人リストに載っている」
都築は答えなかった。
初めてだった。この男が、答えなかったのは。
袋の中で何かが動く音がした。都築は視線を落とし、それから庁舎のほうを見た。二階の窓が並んでいる。どれも同じ角度でブラインドが下りていた。
昼休みは、あと十五分ほどあるはずだった。
「冬坂さん。僕、昼休み終わるので」
「ああ」
「あと、あの」
都築は一歩下がってから言った。
「柏木さん、去年の秋に停止になってます」
言ってしまってから、彼は自分の口を手で押さえたりはしなかった。ただ、袋を持ち直して、それだけだった。
「都築」
「はい」
「聞かなかったことにする」
「いえ」都築は笑った。困った顔の笑い方だった。「言いました、僕」
都築は歩いていった。門を入り、自動扉の前で一度振り返り、それから中へ消えた。
自動扉は、二段階の音を立てて閉じた。歩道からでも聞こえる音だった。
冬坂は歩道に立ったまま、手帳を出した。
去年の秋。停止処分。認証は停止される。現場には入れない。
そして先月二十八日、柏木郁夫は須賀沼敬一の再生に立ち会っている。四人目の、補助立会として。
冬坂は手帳を閉じた。閉じてから、もう一度開いて、同じ行を読んだ。
読み違えてはいなかった。
書いた行の下に、余白が残っていた。埋めるものが、まだない。




