↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
再生証言  作者: 卓哉
第一章 実演と不可能

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/32

第3話 現場

 路地は、思っていたより明るかった。


 袋小路の入口に立つと、突き当たりまでが一望できる。左側は三階建ての雑居ビルの側面で、下半分に錆びたシャッターが二枚。右側はコンクリートの壁で、隣の敷地との境になっている。地面は古い磁器質のタイルで、ところどころ割れて欠けていた。


 昼の光が真上から落ちている。夜とは何もかも違う。


 通りに面した側には、飲食店が二軒あった。片方は昼の営業を始めていて、換気扇から油の匂いが出ている。もう片方は看板が外されていた。人が死んだ路地の入口で、片方は普通に商売をしている。


 看板を外した跡が、壁に長方形で残っていた。日に焼けていない部分だけが色を保っている。外されたのはごく最近らしかった。


「掃除はされてるのね」


 鵜沢が言った。コートは着たままだ。手には缶コーヒーがある。


「数日前に、原状回復が入っています」


「早いわね」


「建物の所有者が須賀沼です。相続人が管理会社に依頼したと」


「早いわ、やっぱり」


 鵜沢はそれ以上言わなかった。冬坂も言わなかった。相続人が誰かは、まだ調べていない。


 冬坂は路地へ入った。三歩進んで止まり、振り返る。入口の幅は二メートルほど。その向こうに、通りの人の流れが見えた。


 誰かがここを歩いていれば、通りからでも分かる。


 路地の奥は、まだ薬品の匂いがしていた。洗剤とも消毒液ともつかない、少し甘い匂いだった。壁の下から一メートルほどの高さまで、コンクリートの色が濃い。水をかけた範囲が、そのまま残っている。


***


 管理会社の男が鍵を持って現れ、シャッターを一枚だけ上げた。錆で途中に引っかかり、男は両手で持ち上げ直した。中は空だった。床にコンセントの跡と、四つの脚の窪みが残っている。


 男の鍵束は大きかった。リングに十本以上あって、どれにも色の違うシールが巻いてある。使う一本を探すのに、彼は二度、束を回した。


「倉庫として使ってました。もう全部出しちゃって」


「何が入っていましたか」


「段ボールですね。書類の。大家さんのものだと思いますけど、中は見てないです」


「外側で、動かしたものはありますか」


 男は少し考えた。


「壁際にあった箱を外しましたね。空だったんで」


「箱」


「金属の。ガスの点検箱かなんかだと思うんですけど、配管が繋がってなかったんで、この機にゴミとして出しました」


 冬坂は実況見分の写真を出した。壁の下に、灰色の低い箱が写っている。高さは膝の下ほど。いまその場所には、タイルの色が変わった長方形だけが残っていた。


「いつ外しました」


「原状回復のときです。三日か四日前」


「重かったですか」


「いや、軽かったですよ。持ち上げたら中で音がしなかったんで、空だなって」


「持ち上げたのは、ご自身ですか」


「僕です。片手で持てました」


「どちらへ運ばれましたか」


「業者に出しました。金属なんで、まとめて」


「もう残っていませんか」


「ないですね。あの日のうちに持っていかれたんで」


 鵜沢は、そのあいだに路地の奥まで歩いていた。突き当たりの手前で足を止め、缶を持ったまま、何かを覗き込んでいる。


「ねえ。この室外機、どかせるの?」


「無理ですね」男は振り返らずに言った。「あれは建物のです。二階と三階の分で、架台ごと据えつけてあるんで」


「昔から?」


「僕が担当してからはずっとです。十年は経ってると思いますよ」


 鵜沢は答えず、架台の下を覗き込んだままだった。


 冬坂は写真を戻し、手帳に一行だけ書いた。それ以上は書かなかった。


 男は鍵をもてあそんでいた。早く終わらせたいのが分かる持ち方だった。冬坂は礼を言った。男はシャッターを下ろし、途中でまた引っかかり、下まで下ろしてから鍵をかけた。


 鍵をかけたあと、彼はシャッターを一度だけ手で押した。動かないことを確かめる動作だった。毎日どこかで同じことをしているのだと分かった。


***


 実況見分調書の図を、地面に重ねる。


 須賀沼が倒れていたのは、突き当たりの壁から一・二メートル。頭は奥、足は入口側。体は右を下にして横向き。顔は入口の方向を向いていた。


 突き当たりの壁の前には、空調の室外機が二台、鉄の架台に載っている。架台は壁から一メートルほどせり出し、両脇は壁との間に拳が入る程度しか空いていない。架台の下は、地面から十五センチほどだった。


 須賀沼の頭があったのは、その脚のすぐ手前になる。


 冬坂はその位置にしゃがみ、目線を地面から二十センチほどの高さに落とした。


「なにしてるの」


「視界を合わせています」


 タイルは冷たかった。手をつくと、目地に細かい砂が溜まっているのが分かった。洗われたあとに、また溜まったものだ。


 冬坂は、そのままの姿勢で待った。


 映像の三十秒を、頭の中で流す。壁の面が視界の右半分を塞ぐ位置。左のシャッターが視界に入る角度。地面と壁の境目が見える高さ。


 三つとも合うまでに、二度、位置を直した。一度目は壁に近すぎ、二度目は頭の向きが浅かった。三度目で、映像と同じ絵になった。


 膝が痛みはじめていた。姿勢を保っていられる時間は、そう長くない。


 右にコンクリートの壁。左にシャッター。地面は古いタイル。


 映像と同じだった。


 そして、正面には。


 冬坂は動かなかった。


「先生」


「なに」


「そこに立っていただけますか。入口のところに」


 鵜沢は缶を持ったまま、路地の入口へ戻った。十九メートル。冬坂の位置からは、彼女の膝から下と、地面と、その向こうの通りが見えた。


 鮮明ではない。だが、人がいるかいないかは分かる。


 通りを人が横切った。二人、続けて。どちらも判別はつかない。それでも、通ったことは分かる。


 冬坂は、そのまま二十秒ほど見ていた。人が三度、通りを横切った。三度とも、通ったことは分かった。


 映像の三十秒間、そこには誰もいなかった。


***


「もう一度、再生できないんですか」


 鵜沢が戻ってきて訊いた。冬坂は立ち上がり、膝についたものを払わなかった。


「できません。再生は一度きりです」


「見落としがあっても?」


「あっても。読み出しは脳の構造そのものを消費します。二度目はありません」


「期限は」


「死後四十八時間。それを過ぎると何も出ません」


 鵜沢は缶を振った。中身はもうないらしかった。


「じゃあ、須賀沼の三十秒は、あれで全部」


「全部です」


「やり直しは利かない、と」


「利きません」


 冬坂は路地の奥へ視線を戻した。


 現場は洗われ、箱は撤去され、映像はもう増えない。手元にあるのは、一度きり取り出された三十秒と、それを説明できない図面だけだ。


「先生。ひとつ、確認させてください」


「どうぞ」


「検察の主張では、加害者は須賀沼の背後から殴った。それは調書と合っています」


「合ってるわね。後頭部の左寄り」


「では、殴った後、加害者はどこへ行ったんでしょうか」


 鵜沢が動きを止めた。


 冬坂は路地の壁を指した。指先は触れない。


「この路地は袋小路です。突き当たりは壁で、越えられる高さではありません。シャッターは二枚とも施錠されていて、内側から開いた形跡はない。出るには、いま先生が立っていた入口しかありません」


「そうね」


「須賀沼は、入口の方向を向いて倒れていました」


 鵜沢は入口を見た。それから、地面の、冬坂がしゃがんでいた場所を見た。


「……映るじゃない」


「映ります」冬坂はうなずいた。「歩いて出れば十数秒。走っても六秒か七秒。どちらでも、映像の三十秒の中に必ず入ります」


「でも映ってない」


「映っていません」


 鵜沢は空の缶を握った。アルミが浅く鳴った。握った形のまま、彼女はそれを持ち続けた。


「隠れる場所は」


「ありません」


「後ろは」鵜沢は突き当たりを指した。「あの人の頭の側よ。あそこに立たれてたら、映らないでしょ」


「立てません。架台があります。裏は壁で、下は十五センチ。人が入れる隙間ではありません」


「シャッターの内側は」


「施錠されています。それに、隠れたところで、出るときには結局そこを通ります」


 鵜沢は空の缶を、指の腹で二度叩いた。


「検察の言ってる死角、ないってこと?」


「ないことになります」


「じゃあ、犯人はどうやって出たの」


 冬坂は答えなかった。


 答えを持っていなかったからではない。答えの候補が、どれも成立しないと分かっていたからだ。


 路地の奥で、風がタイルの欠片を転がした。細い、乾いた音がした。


 隣の飲食店の換気扇が回り続けている。壁越しに、皿の触れる音がした。昼の営業が続いている。


 通りのほうで、自転車が停まる音がした。誰かが店の前に停め、そのまま入っていったらしい。路地の入口には、誰も目を向けなかった。


 冬坂はもう一度しゃがみ、須賀沼の視界に自分を置いた。


 三度目は、一度で合った。


 壁。シャッター。タイル。そして十九メートル先の、明るい入口。


 その位置なら、加害者は映っていたはずだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。