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再生証言  作者: 卓哉
第四章 追い込み

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第21話 勾留

 二度目の拘置所は、一度目と同じだった。


 同じ受付で同じ紙を書き、同じように携帯とペンを預けた。番号札の数字だけが違っていた。


 袋の口を結ぶ職員は、前と別の人だった。それでも結び目の位置は同じだった。


 道の向かいの幼稚園は、この時間はもう静かだった。植え込みは、前より短く刈られていた。


 待合には、前より人が少なかった。長椅子の端に、封筒を持った若い女がいた。前に見た人かどうかは分からない。封筒の角が柔らかくなっているところだけが同じだった。


 接見室のアクリル板も同じだった。傷が同じ高さに走っている。前と同じ椅子に座って、冬坂はそれを確かめた。


 板の下の隙間に挟まっていた紙の繊維は、なくなっていた。誰かが掃除したのか、別の書類と一緒に抜けたのかは分からない。


「今日は、好きに訊いていいわよ」


 鵜沢が言った。


 冬坂は彼女を見た。


「前は止められました」


「前は止めたわ」


「何が変わりましたか」


「あなたが外れた」鵜沢はコートの襟を直した。「外された人が来るのって、依頼人は覚えてるのよ。使えるものは使うの」


「使ってください」


「言われなくても使う」


 それから彼女は、少しだけ言い足した。


「あと、私が訊いても、あの人は答えないから」


 ***


 郷田実は、痩せていた。


 二週間しか経っていない。それでも、襟の合わせ方が変わっていた。首のところに隙間ができている。


 彼は座り、両手を膝に置いた。その置き方だけが、前と同じだった。


「先生」


「郷田さん。お伝えすることがあります」


「はい」


「私は、鑑定人を外されました」


 郷田の視線が、板の傷から上がった。今度は下がらなかった。


「外された」


「検察から申立てがあり、認められました」


「先生、辞めるんですか」


「辞めていません。外されました」


「それ、同じことじゃないですか」


 冬坂は、すぐに答えられなかった。


 この人は鈍い人ではない、と思った。一度目のときに、そう思わなかった自分のほうが雑だった。


「同じではありません」冬坂は言った。「立場は失いました。ですが、続けます」


「続けるって、何をですか」


「読むことです」


「読む」


「映像と、記録を。それは誰の許可も要りません」


 郷田はしばらく黙っていた。


「先生、なんで外されたんですか」


 ***


 説明には、三分かかった。


 三年前の事件。自分の証言で有罪になった人がいること。その人の家族が、本件に関わっている疑いがあること。だから中立性を疑われたこと。


 言いながら、冬坂は自分の言葉が短くなっていくのが分かった。事実を並べると、それは三行で済んだ。三年間、三行で済むことを説明できずにいた。


 昨日、同じ三行を検察官の声で聞いた。他人の口から出たときと、自分の口から出るときとで、長さは変わらなかった。


 郷田は最後まで口を挟まなかった。板の向こうで、姿勢も変えなかった。


 説明のあいだ、隣の接見室から声が聞こえていた。壁は薄い。何を言っているかは分からないが、抑揚だけが伝わる。片方が高く、片方が低い。低いほうが長く続いた。


 途中で、その声が止まった。止まってからのほうが、こちらの部屋は静かになった。


 郷田は、その静かさの中で座っていた。板の向こうで、手は膝の上にある。指の位置も変わっていない。


「その人は」


「亡くなりました。服役中に」


「そうですか」


 郷田は板の下の隙間を見た。書類を通すための、細い隙間だった。


「先生も、大変ですね」


 冬坂は、その言葉を受け取った。


 同情ではなかった。共感でもなかった。ただ、こちら側にも面倒があるのだと知って、それを口に出しただけだった。


 それでも、この件が始まってから、そう言われたのは初めてだった。


 鵜沢が横で、書類の位置を少し動かした。それ以外、彼女は何もしなかった。


 ***


「郷田さん」


「はい」


「言っていないことが、ありますね」


 郷田の手が、膝の上で一度だけ動いた。握ったのではない。指の位置を変えただけだった。


「何のことですか」


「須賀沼さんとのことです」


「話しましたよ。取引はしてたって」


「細かいのを、ぽつぽつと、と言われました」


「はい」


「その言い方を、私は覚えています」


 郷田は答えなかった。


 鵜沢が横で動かないのが分かった。腕時計も見ていない。


 沈黙は、たぶん十秒ほどだった。アクリル板の向こうで、郷田は一度、息を吸って、吐いた。それが聞こえる距離ではない。肩の動きで分かっただけだった。


「郷田さん。私は立証の外にいます。ここで伺ったことを、法廷に出す立場にありません」


「じゃあ、なんで訊くんですか」


「読み違えたくないからです」


 郷田は初めて、少し笑ったように見えた。笑ったのかどうかは、板の反射で分からなかった。


「先生。言えないんですよ」


「なぜですか」


「言ったら、こっちが悪いことになるんです」


 冬坂は動かなかった。


「言えば、私が、あの人を、そう思ってたことになるでしょう」郷田は言った。「恨んでたとか、困ってたとか。そういう話になるじゃないですか」


 あの人、と彼は言った。一度目のときは、名前で呼んでいた。


「動機だと言われる」


「そうです」


「それは、弁護に必要な事実です。隠せば、あとで検察に出されます」


「出されたら、そのとき考えます」


「そのときでは遅い」


「遅くても」


 郷田は言った。語尾が落ちた。落ちてから、もう一度上がった。


「言ったら、終わるんです。裁判じゃなくて、こっちが」


 ***


 冬坂は、次の言葉を用意していた。


 用意していたものを、口に出さなかった。


 出せば、この人は答えるだろうと思った。答えたあとで、答えたことを悔やむだろうとも思った。三年前に自分がしたのは、そういうことだった。相手に答えさせて、その答えを紙に書いた。


 鵜沢が咳払いをした。時間の合図ではなかった。彼女は何も言わずに、書類の束を膝の上で揃えた。角は揃えなかった。


「三軒の取引先ですが」冬坂は言った。「手紙は届きましたか」


「二軒から返事が来ました」


「一軒は」


「来ないです」


「どちらですか」


「いちばん長いところです」


 郷田はそれを、事実として言った。声は落ちなかった。


「返事の中身は」


「様子を見ましょう、と。二軒とも、同じことが書いてありました」


 同じ文面だったのだろう、と冬坂は思った。相談したのかもしれないし、思いつくことが同じだっただけかもしれない。どちらでも、意味は変わらなかった。


「手紙は、ご自分で書かれましたか」


「書きました。鉛筆で」


 郷田はそれ以上言わなかった。何本あるか、どこで手に入れたか、そういうことは訊かなくても想像がついた。


 ***


 時間になった。


 郷田は立ち上がりかけて、途中で止まった。座り直しはしなかった。中腰のまま、板のこちら側を見た。


「先生」


「はい」


「無罪になったら、戻れますかね」


 冬坂は一拍置いた。


「何にでしょうか」


「元に」


 職員が扉を開けた。郷田は最後まで、その答えを待たなかった。待つ気がなかったのではない。待っても出ないと、たぶん分かっていた。


 扉が閉まった。


 冬坂は板の傷を見ていた。細い線が、同じ高さに走っている。前に来たときより、一本増えているようにも見えた。


 数えていなかったので、確かめる方法はなかった。


 一度見たものを忘れない男が、あのとき数えなかった。数えるようなものだと思っていなかったからだ。


 受付で袋を返された。中身は預けたときのままだった。


 外へ出ると、風が出ていた。塀に沿った植え込みの上を、枯れ葉が転がっていった。刈り込みの高さが揃っているので、葉は引っかからずに端まで行った。



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