鞭打ち
一方、ラディカル・シティの出入り口では、叶得と蓋世が死闘を続けていた。先ほど雄生が降らせた豪雨により、両者の血は更に滲んでいる。
「ガルルルル……」
唸り声を上げ、叶得はクラウチングスタートの構えを取る。その姿は、百獣の王を彷彿させるものであった。それから彼女は一気に加速し、間合いを切り替える。
「グルァア!」
彼女の拳は、蓋世の顎に直撃した。
「いい腕だな、くれよ」
そんな不穏なことを呟き、蓋世は彼女の右腕を抱える。直後、叶得の右腕の骨は容赦なく粉砕された。
「そんなっ……」
無造作に垂れる腕には、もう力は入らない。一見、それは彼女にとっての不利益でしかないように思える。されど柳田叶得は生粋の狂戦士――数多の修羅場を潜り抜けてきた身の上だ。幸い、まだ肩だけは動かせる状態にある。
「グルァア!」
いつもの雄叫びと共に、彼女は己の右腕をしならせた。その先端と標的との間合いは高速で縮められ、破裂音が響き渡る。それも、ただの一発ではない。無我の境地を極めた彼女は、一心不乱に有機的な鞭を振り続けた。
その場で繰りだされる新たな技に、蓋世は感銘を受ける。
「面白いッ! 筋肉で防げない数少ない痛みの一つは、鞭打ちによるものだッ! いくら鍛え上げられた肉体でも、その先端が音速を超えた鞭に打たれればッ……例外なく表皮を抉られるッ!」
「知ってるよ、そのくらい。だからこそ、鞭はかつて拷問に使われてきた。殊更に痛みを与えることに特化した武器において、鞭に並ぶものはない!」
「だが、貴様の鞭は諸刃の剣ッ! そのまま骨の砕けた右腕を酷使することは、自らの肉体を内側から破壊することを意味するッ! その末に、貴様はもう二度と右腕を使えなくなるだろうッ!」
確かに、叶得が腕をしならせれば、その皮下では人骨の鋭利な断片が筋繊維を損傷していくことだろう。無論、それも彼女の覚悟の上だ。
「それでも、キミを倒したという前例が欲しい!」
そんな切望を口にした叶得は、再び腕の鞭を振るう。空気の破裂する音が鳴り響き、彼女の指先は相手の首筋に命中する。それからも彼女は間合いを切り替え、蓋世の鳩尾、人中、こめかみ、尾骶骨などに鞭打ちを繰り出す。さりとて、蓋世も防戦一方ではない。彼が拳を突き出した先に、叶得は現れた。彼女は顔面を殴打され、後方に飛ぶ。その面はもはや、面影を残さない程に変形していた。
「まだまだ!」
咄嗟の判断で後方転回を行い、叶得は体勢を整える。その直後に間合いを切り替えた彼女は、蓋世の目と鼻の先に姿を現す。破裂音と共に、腕の鞭が振るわれる。ほぼ同時に、蓋世の拳も飛んでくる。二人の全力がぶつかり合い、鮮血が飛び散った。有機的な鞭の先端は相手の脳天、強靭な拳は相手の頬にめり込んだ。そんなほんの一瞬が、両者には十秒ほどの出来事のように感じられた。極限状態に立つ者だけが、踏み込むことを許される領域がある。この瞬間に分泌されるベータエンドルフィンは、モルヒネによく似た脳内物質だ。闘争という麻薬に取り憑かれた者たちは今、全身に重傷を負いながら笑っている。一発、また一発と、鞭と拳の応酬が続く。その網膜に返り血を浴びてもなお、二人は目を瞑らない。そして音速を超越することによる破裂音が数多響き渡った末に、両者は膝から崩れ落ちた。もう右腕を使えない叶得は、左腕だけで上体を起こそうとする。しかし、その視界は疲労によって著しく歪み、平衡感覚も失われる。一方で、蓋世もまた満身創痍だ。彼が命を失った瞬間を目視し、叶得は安堵の笑みを浮かべる。
「ボクが……前例になれた……」
それが彼女の最期の言葉だった。何人ものラディカルの屍が転がるその場所で、彼女は静かに息を引き取った。




